プロ参加後は苦戦が続く
ブエノスアイレスでの「お・も・て・な・し」から6年とちょっと。いよいよオリンピックイヤーの2020年を迎えた。
そこで今回は、野球の日本代表が初出場を果たした1984年ロサンゼルス五輪からの代表チームとオリンピックの知っているようで意外と知らない?“これまで”を、簡単に“おさらい”していきたい。
オリンピックにおいて野球が「正式競技」となったのは、1992年のバルセロナ五輪から。それまでは「公開競技」という扱いで、1996年アトランタ五輪まではアマチュア選手以外の出場が認められてはいなかった。
日本のプロ野球選手が参加するようになったのは、2000年シドニー五輪の予選からで、プロアマ混合チームに臨み出場権を獲得するも、オールプロの韓国に敗戦。本大会でも3位決定戦で韓国に敗れてメダルを逃し、2004年アテネ五輪からオールプロで五輪に臨むことになった。
長嶋茂雄監督の下、オールプロで臨んだ予選を突破し、アテネ五輪に出場した日本は、各球団から2名ずつ選手を招集して本大会に出場。長嶋監督の急病を受け、中畑清コーチが監督として指揮を執ったが、結果は3位。続く北京五輪もオールプロで臨んだが、4位という結果に終わってしまった。
その後、野球は正式競技から外れ、2012年ロンドン、2016年ブラジルを経て、2大会ぶりに東京五輪で一時的な復活を果たす。
▼ 1984年ロサンゼルス五輪(金メダル)※公開競技
予選で出場権を逃していたが、キューバの不参加や出場国枠の拡大により、「追加招集」という形で国内の野球人気が高い日本が出場権を手にした。予選リーグでは、韓国、ニカラグア、カナダと同居し、カナダには敗れたものの2勝1敗で準決勝に進出。準決勝では、延長戦の末にチャイニーズ・タイペイに競り勝って決勝進出を果たし、初出場ながら決勝で地元アメリカを6-3で退けた。
<上位3カ国・地域>
金:日本
銀:アメリカ
銅:チャイニーズ・タイペイ
<監督と主な選手>※所属は当時
・松永怜一 監督(住友金属)
・宮本和知 投手(川崎製鉄水島⇒巨人84年3位)
・秦 真司 捕手(法政大学⇒ヤクルト84年2位)
・正田耕三 内野手(新日本製鐵広畑⇒広島84年2位)
・広澤克実 内野手(明治大学⇒ヤクルト84年1位)
▼ 1988年ソウル五輪(銀メダル)※公開競技
野茂英雄、古田敦也、潮崎哲也など、後にプロ野球の第一線で活躍することになる選手たちを擁した。予選リーグ(プエルトリコ、チャイニーズ・タイペイ、オランダ)を3連勝で突破し、準決勝では開催国の韓国に競り勝ったが、決勝でアメリカに敗れ、連覇とはならなかった。
<上位3カ国・地域>
金:アメリカ
銀:日本
銅:プエルトリコ
<監督と主な選手>※所属は当時
・鈴木義信 監督(東芝)
・潮崎哲也 投手(松下電器⇒西武89年1位)
・野茂英雄 投手(新日本製鐵堺⇒近鉄89年1位)
・石井丈裕 投手(プリンスホテル⇒西武88年2位)
・古田敦也 捕手(トヨタ自動車⇒ヤクルト89年)
・野村謙二郎 内野手(駒澤大学⇒広島88年1位)
・笘篠賢治 外野手(中央大学⇒ヤクルト88年3位)
▼ 1992年バルセロナ五輪(銅メダル)※正式競技
この大会から野球が正式競技に。そして、大会方式も予選リーグは8チームによる総当たりとなった。キューバとチャイニーズ・タイペイに敗れた日本は、2位で予選を突破。準決勝で再びチャイニーズ・タイペイに敗れたが、3位決定戦でアメリカを下し、3大会連続でのメダル確保には成功した。
<上位3カ国・地域>
金:キューバ
銀:チャイニーズ・タイペイ
銅:日本
<監督と主な選手>
・山中正竹 監督(住友金属)
・杉山賢人 投手(東芝⇒西武92年1位)
・伊藤智仁 投手(三菱自動車京都⇒ヤクルト92年1位)
・三輪 隆 捕手(神戸製鋼⇒オリックス93年2位)
・大島公一 内野手(日本生命⇒近鉄92年5位)
・小久保裕紀 内野手(青山学院大⇒ダイエー93年2位)
▼ 1996年アトランタ五輪(銀メダル)※正式競技
のちにプロ野球で活躍する多くの野手が出場。バルセロナ五輪同様、予選は8カ国総当たりで行われ、キューバ、オーストラリア、アメリカに敗れたものの3位で予選リーグを突破した。準決勝では開催国のアメリカに快勝したが、決勝でキューバに敗れ、3大会ぶりの金メダルとはならなかった。
<上位3カ国・地域>
金:キューバ
銀:日本
銅:アメリカ
<監督と主な選手>
・川島勝司 監督(ヤマハ)
・川村丈夫 投手(日本石油⇒横浜96年1位)
・福留孝介 内野手(日本生命⇒中日98年1位)
・松中信彦 内野手(新日本製鐵君津⇒ダイエー96年2位)
・今岡 誠 内野手(東洋大⇒阪神96年1位)
・井口忠仁 内野手(青山学院大⇒ダイエー96年1位)
・谷 佳知 外野手(三菱自動車岡崎⇒オリックス96年2位)
▼ 2000年シドニー五輪(4位)※正式競技
この大会からプロ選手の参加が解禁となったが、シーズン中ということもあり、プロ選手の招集が議論に。最終的にパ・リーグは1球団1人となったが、セ・リーグからは2人だけの招集となり、プロ8名、社会人11名、大学生5名というプロアマ混合チームで参加。全選手がそろったのは五輪直前となり、プロとアマの待遇格差など、様々な問題が巻き起こった。
予選ではアメリカ、キューバ、韓国に敗れ、ギリギリ4位で臨んだキューバとの準決勝は0-3で完敗。韓国との3位決定戦にも1-3で敗れ、日本代表史上はじめて五輪でのメダル獲得を逃すという結果に終わった。
<上位3カ国・地域>
金:アメリカ
銀:キューバ
銅:韓国
<監督と主な選手>
・大田垣耕造 監督(東芝)
・渡辺俊介 投手(新日本製鐵君津⇒ロッテ00年4位)
・石川雅規 投手(青山学院大⇒ヤクルト01年自由)
・杉内俊哉 投手(三菱重工長崎⇒ダイエー01年3位)
・河野昌人 投手(広島)
・松坂大輔 投手(西武)
・黒木知宏 投手(ロッテ)
・鈴木郁洋 捕手(中日)
・阿部慎之助 捕手(中央大⇒巨人00年1位)
・松中信彦 内野手(ダイエー)
・中村紀洋 内野手(近鉄)
・田中幸雄 内野手(日本ハム)
・田口 壮 外野手(オリックス)
・赤星憲広 外野手(JR東日本⇒阪神00年4位)
▼ 2004年アテネ五輪(銅メダル)※正式競技
シドニーでメダルを逃したことを受け、長嶋茂雄監督の下で予選からオールプロでチームを編成。04年3月に長嶋監督が脳梗塞で入院したことを受け、中畑コーチが監督に就任し、各球団から2名ずつ選手を選出することになった。
結果的には、はじめて予選リーグを首位で突破したものの、その予選リーグで唯一黒星を喫したオーストラリアに準決勝でも苦杯を舐め、3位という結果に終わった。
<上位3カ国・地域>
金:アメリカ
銀:オーストラリア
銅:日本
<監督と参加選手>
・中畑 清 監督
・清水直行 投手(ロッテ)
・岩瀬仁紀 投手(中日)
・黒田博樹 投手(広島)
・安藤優也 投手(阪神)
・三浦大輔 投手(横浜)
・松坂大輔 投手(西武)
・上原浩治 投手(巨人)
・岩隈久志 投手(近鉄)
・和田 毅 投手(ダイエー)
・小林雅英 投手(ロッテ)
・石井弘寿 投手(ヤクルト)
・城島健司 捕手(ダイエー)
・相川亮二 捕手(横浜)
・小笠原道大 内野手(日本ハム)
・中村紀洋 内野手(近鉄)
・宮本慎也 内野手(ヤクルト)
・金子 誠 内野手(日本ハム)
・藤本敦士 内野手(阪神)
・福留孝介 外野手(中日)
・谷 佳知 外野手(オリックス)
・村松有人 外野手(オリックス)
・高橋由伸 外野手(巨人)
・木村拓也 外野手(広島)
・和田一浩 外野手(西武)
▼ 2008年北京五輪(4位)※正式競技
前回大会の反省を受け、各球団から2名ずつという選出枠が撤廃。自由な選手選考が可能となったが、状態が上がりきらない選手を短期決戦で起用し続けた星野仙一監督の恩情采配が槍玉にあがるなど、予選リーグは4勝3敗の4位に終わり、準決勝では韓国に逆転負け。3位決定戦でもアメリカに逆転を許し、メダル獲得を逃した。
<上位3カ国・地域>
金:韓国
銀:キューバ
銅:アメリカ
<監督と参加選手>
・星野仙一 監督
・川上憲伸 投手(中日)
・岩瀬仁紀 投手(中日)
・田中将大 投手(楽天)
・涌井秀章 投手(西武)
・成瀬善久 投手(ロッテ)
・ダルビッシュ有 投手(日本ハム)
・上原浩治 投手(巨人)
・和田 毅 投手(ダイエー)
・藤川球児 投手(阪神)
・杉内俊哉 投手(ソフトバンク)
・阿部慎之助 捕手(巨人)
・里崎智也 捕手(ロッテ)
・矢野輝弘 捕手(阪神)
・荒木雅博 内野手(中日)
・中島裕之 内野手(西武)
・宮本慎也 内野手(ヤクルト)
・西岡 剛 内野手(ロッテ)
・新井貴浩 内野手(阪神)
・川崎宗則 内野手(ソフトバンク)
・村田修一 内野手(横浜)
・青木宣親 外野手(ヤクルト)
・森野将彦 外野手(中日)
・稲葉篤紀 外野手(日本ハム)
・佐藤隆彦 外野手(西武)