野村元監督から「抑えにして悪かったな」
こらえ切れるはずもなかった――。ヤクルトの高津臣吾監督が、11日に「虚血性心不全」のため死去した野村克也元監督との思い出を語り、号泣した。
野村氏は南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、ヤクルトを4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた。恩師の突然の訃報に「言葉にならない」と話した高津監督は、言葉を詰まらせながら「入団当時から一から十までプロ野球の難しさを教わりました」と語ると、涙をこらえることができなかった。
現役時代と同じ「22」番を背負い、今季からヤクルトの監督に就任した。野村元監督の下で不動のストッパーとして、ヤクルト黄金期を支えた。元監督からは会うたびに「抑えにして悪かったな」と声をかけられたという。
監督として指揮を執る姿を見せることができず、恩師は天国へと旅立ってしまった。
「ぜひ見てほしかった。僕の野球を、采配を、作戦を……。必ずどこかで見てくれているので、恥ずかしくない野球をしたいなと思う」と語った高津監督。
「野村監督と出会って“野球が難しい”と思った。奥が深く、一つの物事を掘り下げ、わかりやすく僕らに教えてくれた。すべてが財産」と、感謝の思いを胸に今季を戦う。
嶋「プロ野球人生の中で、一番大きな存在」
楽天を退団し、今季からヤクルトでプレーする嶋基宏は、楽天入団の07年から3年間、野村元監督の下でプレー。会見で大粒の涙を流した。
嶋は「野村監督と出会ってなかったら、またこうやってユニフォームを着ることもなかったかもしれない」と話し、「僕のプロ野球人生の中で、一番大きな存在だと思います」と感謝の思いを述べた。
09年に野村元監督が辞任したときには、「(元監督から)『優勝チームには名捕手あり。だからお前は名捕手になって、優勝チームに欠かせないキャッチャーになれ』と言われました」と、恩師との思い出を語った。
「野村監督が最後に教えてくれたのが僕だと思うので、選手として頑張っていくところを見せられないですけど、いずれ僕も現役を辞めて、野村監督みたいに名監督になれるようにこれからたくさん勉強していきたいと思います」
野村氏からの教えを糧に、楽天の正捕手として13年にはチームを日本一に導いた嶋。その経験と誇りを携え、天国から見つめる名将のためにもヤクルトでもう一花咲かせる。
取材・文=別府勉(べっぷ・つとむ)