話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、2月11日に亡くなった野村克也さんが、生前に選んだ「昭和~平成・プロ野球ベストナイン」にまつわるエピソードを取り上げる。
元・教え子や関係者が語る思い出のエピソードが、連日報じられている故・野村克也さん。日本球界において、いかに野村さんの存在が大きかったかを改めて実感しますが、現場を離れてからも、解説者・球界のご意見番として活躍されたのはご存じの通りです。
ニッポン放送にも、「ショウアップナイター」のスペシャルゲスト解説者や、ワイド番組のゲストなどでもたびたび出演していただきました。
いまから16年前の2004年12月、テリー伊藤さんの昼ワイド「のってけラジオ」に出演していただいたときは、担当作家の私がアテンドをすることになり、本番前に野村さんと1対1で打ち合わせをしました。緊張しましたが「ノムさんと直接、野球の話ができる!」とすごく興奮したのを覚えています。
暮れだったので、野村さんに2004年の球界について振り返っていただくとともに、これからの球界について忌憚のないご意見を伺ったのですが、「最後は何か、ノムさんならではの企画で締めよう」ということで、野村さんに“史上最強のベストナイン”を選んでいただくことに。
「エラい難しい話を振るやないか」と、いきなりボヤキが入りましたが、紙にダイヤモンドを描いて名前を入れて行くと、野村さんもだんだん乗って来て、その選手のエピソードも語って下さったりと大サービス。私にとっては至福のひとときでした。
それでは、ノムさんが厳選した「昭和~平成・史上最強ベストナイン」の顔ぶれをご紹介して行きましょう。なおこれは2004年の話ですので、それ以降にプロ入りしたダルビッシュ有、田中将大、大谷翔平らは入っておりません。その点、ご留意ください。
まずは内野から。
「ファーストとサードは、私にとっては憎っくきライバルだったけれど、ONで仕方ないでしょう。……怒られるやろ、他を選んだら(笑)」
一塁=王貞治、三塁=長嶋茂雄。「長嶋・王がヒマワリなら、私は日本海の海辺に咲く月見草」という有名な言葉を残した野村さん。
現役時代(南海)は日本シリーズでONと対戦。指揮官としても、ヤクルト時代に巨人・長嶋監督、楽天時代にソフトバンク・王監督と戦っています。
ONに強烈な対抗意識を燃やしつつも、2人への敬意は忘れていませんでした。
「セカンドは、スペンサーやな」
1964年~1968年、阪急ブレーブスに在籍。1971年に選手兼任コーチとして阪急に復帰し、1972年までプレーした元メジャーリーガー、ダリル・スペンサー。
阪急の主砲として活躍。全盛期の野村さんと打撃タイトルを争ったスラッガーで、試合中もベンチで相手投手のクセや配球についてメモを取るなど、研究熱心な選手でもありました。
「スペンサーには、いくら対策を立てても打たれて、ずいぶん苦しめられましたねぇ……。彼は、日本の野球を変えた1人ですよ」
ショートも多士済々で、悩ましいポジションです。古くは吉田義男(阪神)・広岡達朗(巨人)、あるいは2004年、アテネオリンピック日本代表のキャプテンを務め、ヤクルト監督時代の教え子でもある宮本慎也かと思いきや……
「いや、ショートは松井稼頭央やな」
西武では、走攻守3拍子揃ったプレーヤーとして活躍し、2002年にはトリプルスリーを達成。2004年はメジャー移籍1年目で、メッツでプレーしていました。
「いわゆる“名手”と呼ばれる選手は、守るだけで華がない。彼は打ってよし、走ってよし、守ってよし。絵になる選手ですよ」
晩年にテレビの企画で「平成のベストナイン」を選んだときは、ショートに松井ではなく、宮本を挙げていた野村さん。このときは「まだまだ」と、教え子には辛口評価でした。
続いて外野です。
「これも難しいねぇ……。張本・福本に、松井(秀喜)とイチローも外せんやろ。ウーム、どうしても3人じゃなきゃいかんのか?(笑)」
またまたボヤキが出ましたが、「13年連続盗塁王」という記録を持つ阪急・福本豊を走らせないために、南海時代、投手のクイック投法を改良。捕手vs走者として激しい火花を散らした野村さん。「やはり、福本は外せんやろ」。
ということで、外野陣は「レフト・松井秀喜、センター・福本、ライト・イチロー」に決定しました。筆者が「通算3085安打の張本勲さんは、入れなくていいんですか?」と意地の悪いことを聞くと、
「張本は打つことだけ考えて、守備をサボってたからな。左中間のフライも、真剣に追わないんだもん。『センター捕れ!』って(笑)」
……あのハリさんに「喝」を入れられるのは、ノムさんだけでしょう。
さて、最後にバッテリーです。野村さんがピッチャーに誰を選ぶかは興味津々でしたが、
「まあ、カネやん(金田正一)で仕方ないでしょう。唯一の400勝投手だからねぇ」
金田さんと野村さんはリーグが違ったため、現役時代、ほとんど対戦することはありませんでしたが、1977年、野村さんが南海監督を解任された際、いち早く獲得の意思を示したのが金田監督率いるロッテでした。
このとき野村さんが口にした「生涯一捕手」は流行語となりましたが、互いに敬意を持っていた2人。相次いで鬼籍に入られたのは寂しい限りです。
さて、最後にキャッチャーです。もうこれは決まりでしょう。
「まあ、手前味噌になるけれど、野村ですかねぇ……」
ちょっと照れくさそうな顔で、自分の名前を挙げたノムさん。いやいや、「日本一の捕手」と呼ばれるにふさわしいのは、戦後初の三冠王であり、幾人もの名投手をリードして成長させたあなたしかいません。
こうして完成した、納得の“史上最強ベストナイン”。可能なら、兼任監督としてこのチームを率いる野村さんの姿を見てみたいものです。
「監督はもっと発言すべきですよ。選手のお陰って言ってちゃダメ。もっと采配でアピールしないと」(番組出演時のコメント)
「生涯一野球人」に徹し、私たちに野球の面白さ、深さを教えてくれたノムさんに、あらためて感謝。ご冥福を祈ります。
<野村克也さんが選んだ 昭和~平成 ベストナイン> *2004年12月時点
一塁:王貞治(巨人)
二塁:ダリル・スペンサー(阪急)
遊撃:松井稼頭央(西武・楽天)
三塁:長嶋茂雄(巨人)
左翼:松井秀喜(巨人)
中堅:福本豊(阪急)
右翼:イチロー(オリックス)
投手:金田正一(国鉄・巨人)
捕手:野村克也(南海・ロッテ・西武)
元・教え子や関係者が語る思い出のエピソードが、連日報じられている故・野村克也さん。日本球界において、いかに野村さんの存在が大きかったかを改めて実感しますが、現場を離れてからも、解説者・球界のご意見番として活躍されたのはご存じの通りです。
ニッポン放送にも、「ショウアップナイター」のスペシャルゲスト解説者や、ワイド番組のゲストなどでもたびたび出演していただきました。
いまから16年前の2004年12月、テリー伊藤さんの昼ワイド「のってけラジオ」に出演していただいたときは、担当作家の私がアテンドをすることになり、本番前に野村さんと1対1で打ち合わせをしました。緊張しましたが「ノムさんと直接、野球の話ができる!」とすごく興奮したのを覚えています。
暮れだったので、野村さんに2004年の球界について振り返っていただくとともに、これからの球界について忌憚のないご意見を伺ったのですが、「最後は何か、ノムさんならではの企画で締めよう」ということで、野村さんに“史上最強のベストナイン”を選んでいただくことに。
「エラい難しい話を振るやないか」と、いきなりボヤキが入りましたが、紙にダイヤモンドを描いて名前を入れて行くと、野村さんもだんだん乗って来て、その選手のエピソードも語って下さったりと大サービス。私にとっては至福のひとときでした。
それでは、ノムさんが厳選した「昭和~平成・史上最強ベストナイン」の顔ぶれをご紹介して行きましょう。なおこれは2004年の話ですので、それ以降にプロ入りしたダルビッシュ有、田中将大、大谷翔平らは入っておりません。その点、ご留意ください。
まずは内野から。
「ファーストとサードは、私にとっては憎っくきライバルだったけれど、ONで仕方ないでしょう。……怒られるやろ、他を選んだら(笑)」
一塁=王貞治、三塁=長嶋茂雄。「長嶋・王がヒマワリなら、私は日本海の海辺に咲く月見草」という有名な言葉を残した野村さん。
現役時代(南海)は日本シリーズでONと対戦。指揮官としても、ヤクルト時代に巨人・長嶋監督、楽天時代にソフトバンク・王監督と戦っています。
ONに強烈な対抗意識を燃やしつつも、2人への敬意は忘れていませんでした。
「セカンドは、スペンサーやな」
1964年~1968年、阪急ブレーブスに在籍。1971年に選手兼任コーチとして阪急に復帰し、1972年までプレーした元メジャーリーガー、ダリル・スペンサー。
阪急の主砲として活躍。全盛期の野村さんと打撃タイトルを争ったスラッガーで、試合中もベンチで相手投手のクセや配球についてメモを取るなど、研究熱心な選手でもありました。
「スペンサーには、いくら対策を立てても打たれて、ずいぶん苦しめられましたねぇ……。彼は、日本の野球を変えた1人ですよ」
ショートも多士済々で、悩ましいポジションです。古くは吉田義男(阪神)・広岡達朗(巨人)、あるいは2004年、アテネオリンピック日本代表のキャプテンを務め、ヤクルト監督時代の教え子でもある宮本慎也かと思いきや……
「いや、ショートは松井稼頭央やな」
西武では、走攻守3拍子揃ったプレーヤーとして活躍し、2002年にはトリプルスリーを達成。2004年はメジャー移籍1年目で、メッツでプレーしていました。
「いわゆる“名手”と呼ばれる選手は、守るだけで華がない。彼は打ってよし、走ってよし、守ってよし。絵になる選手ですよ」
晩年にテレビの企画で「平成のベストナイン」を選んだときは、ショートに松井ではなく、宮本を挙げていた野村さん。このときは「まだまだ」と、教え子には辛口評価でした。
続いて外野です。
「これも難しいねぇ……。張本・福本に、松井(秀喜)とイチローも外せんやろ。ウーム、どうしても3人じゃなきゃいかんのか?(笑)」
またまたボヤキが出ましたが、「13年連続盗塁王」という記録を持つ阪急・福本豊を走らせないために、南海時代、投手のクイック投法を改良。捕手vs走者として激しい火花を散らした野村さん。「やはり、福本は外せんやろ」。
ということで、外野陣は「レフト・松井秀喜、センター・福本、ライト・イチロー」に決定しました。筆者が「通算3085安打の張本勲さんは、入れなくていいんですか?」と意地の悪いことを聞くと、
「張本は打つことだけ考えて、守備をサボってたからな。左中間のフライも、真剣に追わないんだもん。『センター捕れ!』って(笑)」
……あのハリさんに「喝」を入れられるのは、ノムさんだけでしょう。
さて、最後にバッテリーです。野村さんがピッチャーに誰を選ぶかは興味津々でしたが、
「まあ、カネやん(金田正一)で仕方ないでしょう。唯一の400勝投手だからねぇ」
金田さんと野村さんはリーグが違ったため、現役時代、ほとんど対戦することはありませんでしたが、1977年、野村さんが南海監督を解任された際、いち早く獲得の意思を示したのが金田監督率いるロッテでした。
このとき野村さんが口にした「生涯一捕手」は流行語となりましたが、互いに敬意を持っていた2人。相次いで鬼籍に入られたのは寂しい限りです。
さて、最後にキャッチャーです。もうこれは決まりでしょう。
「まあ、手前味噌になるけれど、野村ですかねぇ……」
ちょっと照れくさそうな顔で、自分の名前を挙げたノムさん。いやいや、「日本一の捕手」と呼ばれるにふさわしいのは、戦後初の三冠王であり、幾人もの名投手をリードして成長させたあなたしかいません。
こうして完成した、納得の“史上最強ベストナイン”。可能なら、兼任監督としてこのチームを率いる野村さんの姿を見てみたいものです。
「監督はもっと発言すべきですよ。選手のお陰って言ってちゃダメ。もっと采配でアピールしないと」(番組出演時のコメント)
「生涯一野球人」に徹し、私たちに野球の面白さ、深さを教えてくれたノムさんに、あらためて感謝。ご冥福を祈ります。
<野村克也さんが選んだ 昭和~平成 ベストナイン> *2004年12月時点
一塁:王貞治(巨人)
二塁:ダリル・スペンサー(阪急)
遊撃:松井稼頭央(西武・楽天)
三塁:長嶋茂雄(巨人)
左翼:松井秀喜(巨人)
中堅:福本豊(阪急)
右翼:イチロー(オリックス)
投手:金田正一(国鉄・巨人)
捕手:野村克也(南海・ロッテ・西武)