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R.ローズ氏「みんなで一緒に乗り越えるってことを忘れないでね」 レジェンド助っ人からのビデオレター

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横浜史上最強助っ人ことロバート・ローズ氏 (C) Kyodo News

伝説の外国人選手からプロ野球ファンへメッセージ


 世界中を混乱に陥れている「新型コロナウイルス」の問題。7日には安倍晋三首相から『緊急事態宣言』が発出されるなど、これまで以上に注意深く生活していくことが求められている。


 周囲の大切な方を守るべく、「#stayhome」といったタグを使って著名人が外出の自粛を呼びかける運動も広がりを見せているなか、Twitter上の野球ファンにとって毎日の楽しみとなりつつあるのが、JRFPA公式アカウントの投稿だ。

 JRFPAとは、“Japan Retired Foreign Player Association”の略。正式名称は「一般社団法人 日本プロ野球外国人OB選手会」。かつて日本で活躍した外国人プロ野球選手と、そのファンの絆をつなぐことを目的に設立された団体である。


 TwitterのJRFPA公式アカウント( @OB_Foreign9 )では、かつて日本球界で活躍したOB助っ人が続々と登場。ビデオレターのような形で、我々にメッセージを送ってくれている。

 ここでは、そのメッセージを紹介しつつ、登場した選手の日本での活躍を振り返ってみたい。


▼ ボビー・ローズ氏
(※日本での登録名は「ロバート・ローズ」)

おはようございます。
元横浜ベイスターズのボビー・ローズです。
感染拡大を抑えるために世界が1つになって、
常に手洗いをして、人と適度な距離を保ち、
できるだけ自宅で過ごそう。
みんなで一緒に乗り越えるってことを忘れないでね。


マシンガン打線の象徴


 1967年3月15日、アメリカのカリフォルニア州で生まれたローズ氏。1989年にカリフォルニア・エンゼルス(現在のロサンゼルス・エンゼルス)でメジャーデビューを果たすと、将来の主軸候補として期待を受けていたが、1992年に移動中のバスが交通事故を起こし、足首を故障する災難に見舞われてしまう。

 それがキッカケでマイナーに降格すると、以降はメジャー昇格のチャンスに恵まれず。肘の故障などもあって燻っていたところ、日本の横浜ベイスターズという球団から声がかかり、野球人生が一変した。


 当時の横浜では、“同期”にメジャーでの実績でローズを上回っていたグレン・ブラッグスという選手がおり、特に春先はローズに注目が集まることはなかったなか、開幕からハイレベルで安定した打撃を見せつけ、終わってみれば130試合の出場で打率.325(リーグ2位/首位打者のオマリーとはわずか4厘差)をマーク。19本塁打ながら94打点を挙げ、広沢克己(ヤクルト)と並んで打点王のタイトルも獲得する。

 翌年は打率.296と少し数字を落としたものの、キャリアでシーズン打率3割に達しなかったのはこの年だけ。また、来日1年目の開幕戦から3年連続で全試合出場も達成。1996年の4月に1度だけ風邪により欠場があったものの、それまで405試合連続出場を記録しており、横浜に在籍した8年はすべて120試合以上に出場と、まさに計算の立つ存在だった。


 1998年には打率.325・19本塁打・96打点の活躍でチームの優勝に貢献。翌1999年はさらに調子を上げ、当時の右打者最高記録となるシーズン打率.369でぶっちぎりの首位打者に。キャリア最多を大きく更新する37本塁打を放ち、打点はプロ野球歴代2位の記録にあたる153をマーク。

 まさに“打ち出の小槌”状態とはこのこと。しかし、こんなキャリアの絶頂とも思えた1999年、当時32歳の男は一度「引退」を宣言している。


まさかの幕切れ


 かねてから、「辞めるなら“良い時”に。自分の意志で辞めたい」という意向を漏らしていたというローズ氏。ボロボロになりながらも球団から必要ないと宣告されるまで続けるより、引き際は自分で決めるというのが男の美学だったようだ。

 とはいえ、これだけ凄まじい成績を残してユニフォームを脱ぐというのは、誰もが耳を疑ったことだろう。その後、家族からの説得もあって引退は撤回された。

 そんなこんなで迎えた2000年、この年も135試合に出場。リーグ2位の打率.335をマークして、168安打で2年連続の最多安打にも輝いたが、交渉がうまくまとまらなかったこともあり、その年限りで横浜を退団。国内移籍か、メジャー復帰か…。去就に注目が集まったが、なんと男はどこのチームとも契約しなかった。それからの2年間はコロラド州で高校生に野球を教えながら、トレーニングを行っていたという。


 そんな中、2年も実戦から離れていた男に日本の球団から声がかかる。2002年のオフ、ロッテと契約を結んでNPB電撃復帰を果たすのである。

 2年のブランクがある、35歳の新助っ人…。とはいえ、日本での実績は凄まじく、主軸として期待する声も少なくなかった。伝説の助っ人による、NPBでの“第2章”がいよいよスタート。ところが、その幕切れは突然やってくる。

 キャンプ中の紅白戦で8打席無安打と結果を残せずにいると、突然の「引退」を発表。来日から1カ月と経たない間に、「野球に対する情熱がなくなった」と自身のキャリアにピリオドを打ったのだった。


 ロッテで“第2章”がはじまることはなかったものの、横浜では通算1035試合に出場して通算1275安打をマーク。通算打率は.325という驚異的な数字が残っている。

 ちなみに、規定の「4000打数」に達していないため、歴代記録のランキングには入っていないものの、足りない分の71をすべて凡打として計算したとしても、通算打率は.319。これは青木宣親(.326/※現役)とレロン・リー(.320)に次ぐ歴代3位に相当する数字。これは歴史的なハイアベレージである。

 タイトルも首位打者が1回、打点王は2回。最高出塁率が1回に、最多安打は2回。ベストナインは8年のキャリアで6度、ゴールデングラブ賞も1回獲得した。

 ほかにも、サイクル安打の達成3回はプロ野球史上唯一という大記録。キャリアの最後、その幕切れについては予想もしていない形となったが、横浜史上最強の助っ人にして、プロ野球史で見ても歴代屈指の外国人選手であったことは間違いない。


文=尾崎直也
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