ニュース 2020.04.10. 08:09

関根潤三さんが死去 球界関係者の追悼コメント

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大洋の新監督に就任し、塩谷球団社長(右)とがっちり握手する関根潤三氏。左は柴山球団代表=1981(昭和56)年11月6日、横浜市中区のホテルニューグランド
 ニッポン放送ショウアップナイターで長年解説者を務めてきた関根潤三さんが、9日に死去した。93歳だった。

 関根さんは現役時代、投手と野手の“二刀流”で活躍。投手で通算65勝、野手で通算1137安打を放った。現役引退後は、大洋、ヤクルトで指揮をとり、ニッポン放送ショウアップナイターでも解説を務めた。

球界関係者の追悼コメント

▼ 巨人・長嶋終身名誉監督
「私が初めて監督になった1975年、ヘッドコーチとして支えてくれました。とても温厚な人柄で、みんなに慕われたあたたかいヘッドコーチでした。大洋、ヤクルトと監督を務め、日本の球界を引っ張ってこられた貴重な方を失い、残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします」

▼ ソフトバンク・王貞治会長
「じっと構えてボールを見てスイングする。僕とは正反対。僕が「動」だったら関根さんは「静」でした。戦後まもなく関根さんが活躍された頃の昔の野球を色々教えていただきました。謹んでご冥福をお祈りします」

▼ ヤクルト・高津臣吾監督
「大先輩であり、素晴らしい人格者の方とお聞きしておりました。スワローズでは直接ご指導はしていただいてはおりませんが、球場などでお会いした時はすごく優しく、いろいろとアドバイスをいただいておりました。その教えをしっかり守って恥じない成績を残したいと思います。ご冥福をお祈り致します」

▼ ヤクルト・池山隆寛二軍監督
「私が若い頃に、一番我慢をして使っていただいた監督です。「三振しても下を向いて帰ってくるな」と指導され、その後、少し気持ちが楽になり自分の打撃になってきたと思います。ブンブン丸の基礎になったのかもしれません。長い間本当にありがとうございました」

▼ 日本ハム・栗山英樹監督
「関根さんとの思い出は何時間でも語れるほどお世話になりました。「関根監督」の存在がなければ、現在の私はいないと思っています。大した選手ではありませんでしたが、起用し続けていただきました。人を育てることの意味、人を育てるということはどういうことかということを、身をもって教わりました。本当の恩人でした。関根さんの思いを継いで、しっかりとやっていかなければいけないと、あらためて強く決意しました」

▼ 日本ハム・荒木大輔二軍監督
「一見優しそうな顔立ちをしていますが、とにかく厳しい方でした。ただミスをしたとしてもチャンスを与えてくれる監督でもありました。1992年、野村監督率いるヤクルトでリーグ優勝できたことは、関根監督が礎を築いてくれた賜物だと思います。野球界に数々の功績を残された関根監督の下でプレー出来たことは私の財産です。ご冥福をお祈りいたします」

▼ DeNA・田代富雄チーフ打撃コーチ
「とにかくお世話になり、感謝の言葉しかありません。現役時代、思い出に残っていることは、自分のことを何とか40本塁打を打てる打者になれるよう熱心に指導して頂いたことや、若手の時に伊東キャンプで猛練習したことです。また、1日に監督室へ4回呼ばれたことです。選手に対する接し方など多くのことを勉強させていただき、指導者として生きています。心よりご冥福をお祈りいたします」

(ニッポン放送ショウアップナイター)
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