ニュース 2020.04.21. 18:29

「年間42勝」が2人も…!?【フォーカス・レコードホルダー】

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伝説の大投手・稲尾和久 (C) 西日本新聞/共同通信イメージズ

フォーカス・レコードホルダー ~勝利(シーズン)~


 「新型コロナウイルス」の問題で未だ開幕の見通しが立っていないプロ野球。前に進むことができない今こそ、過去の偉大な記録にフォーカスを当てて振り返ってみよう……ということで始まったのがこの企画。

 その名の通り、過去の記録にスポットを当て、“歴代No.1”の記録を持っている選手を中心に振り返ろう、というのがテーマ。今回取り上げるのは「シーズン勝利」。早速だが、NPBの歴代トップ10を見てみよう。


▼ 歴代最高記録・勝利(シーズン)
1位 42勝 ヴィクトル・スタルヒン [巨人/1939]
1位 42勝 稲尾和久 [西鉄/1961]
3位 40勝 野口二郎 [大洋/1942]
4位 39勝 真田重男 [松竹/1950]
5位 38勝 須田 博 [巨人/1940]
5位 38勝 杉浦 忠 [南海/1959]
7位 35勝 稲尾和久 [西鉄/1957]
7位 35勝 権藤 博 [中日/1961]
9位 34勝 藤本英雄 [巨人/1943]
10位 33勝 野口二郎 [セネタース/1939]
10位 33勝 野口二郎 [翼/1940]
10位 33勝 別所毅彦 [巨人/1952]
10位 33勝 稲尾和久 [西鉄/1958]
10位 33勝 小野正一 [大毎/1960]


チーム勝利数の60%を一人で…


 日本プロ野球におけるシーズン勝利数の記録は「42勝」。今では想像もつかない数字だが、驚きなのはそれを達成した投手が2人もいることだ。


 最初にこの記録を作ったのが、プロ野球黎明期に活躍したヴィクトル・スタルヒン。生まれはロシア、育ちは北海道という“日本プロ野球初の外国生まれ選手”である。

 191センチの長身を生かしたピッチングで、沢村栄治の後の巨人のエースとして君臨。春秋制から現行に近いシーズンに移行した1939年には、チームの96試合に対して68試合に登板。チーム66勝のうち、6割以上を占める「42」を一人で稼ぎ出した。

 ちなみに、この年にはプロ野球史上初の通算100勝も達成しており、通算165試合目での到達というのは、今なお破られていない最速記録だ。


 しかし、この記録に関しては後に“疑惑”も…。記録員が過去の結果をさかのぼってチェックしたところ、厳密には勝利がついていないのではないか、という試合が2つほど見つかったのだという。

 それでも、後にもう一人の「シーズン42勝」投手が誕生した際には、当時の記録員がつけた記録を尊重するべき、ということでスタルヒンの最多勝記録は「42」と正式に決定。日本記録は2人のもの、と結論づけられた。


▼ ヴィクトル・スタルヒン(1939)
68試(458.1回) 42勝15敗 防御率1.73
完投38 完封勝10 無四球1
打者1838 被安打316 被本塁打4
四球156 死球11 奪三振282
暴投6 ボーク0 失点114 自責点88


神様、仏様…


 そんなスタルヒンの大記録に肩を並べたのが、“神様、仏様、稲尾様”こと稲尾和久である。

 この人の伝説のエピソードといえば、1958年の日本シリーズ。全7戦中6試合に登板し、うち5試合が先発で4完投。3連敗からの4連勝でチームを逆転日本一に導いた活躍が「神様、仏様~」の元ネタになっているが、シーズン勝利数の記録を打ち立てたのはその3年後。1961年のことだった。

 この年はチーム140試合のうち、半数超えとなる78試合に登板。これは当時のプロ野球記録であり、2019年に西武・平井克典に抜かれるまではパ・リーグ記録でもあった。1イニング限定のリリーフでも大変な成績だが、稲尾の場合はそのうち30試合が先発登板。投球回数は404回というとんでもない数字になっている。


 しかし、そんな鉄腕も通算勝利数は276勝。プロ入りからの8年間で通算234勝、年平均29.2勝というすさまじいペースで白星を積み上げながら、1964年にはそれまでのフル回転がたたって右肩痛に苦しみ、初の年間未勝利に。

 以降も現役引退までの5年間で42勝と伸び悩み、通算の勝利記録では歴代8位という位置に留まっている。


▼ 稲尾和久(1961)
78試(404.0回) 42勝14敗 防御率1.69
完投25 完封勝7 無四球6
打者1554 被安打308 被本塁打22
四球72 死球6 奪三振353
暴投3 ボーク0 失点93 自責点76

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