フォーカス・レコードホルダー ~安打(通算)~
「新型コロナウイルス」の問題で未だ開幕の見通しが立っていないプロ野球。前に進むことができない今こそ、過去の偉大な記録にフォーカスを当てて振り返ってみよう……ということで始まったこの企画。
その名の通り、過去の記録にスポットを当て、“歴代No.1”の記録を持っている選手を中心に振り返ろう、というのがテーマ。今回取り上げるのは「通算安打」。早速だが、NPBの歴代トップ10を見てみよう。
▼ 歴代最高記録・安打(通算)
2位 2901本 野村克也 [1954~1980]
3位 2786本 王 貞治 [1959~1980]
4位 2566本 門田博光 [1970~1992]
5位 2543本 衣笠祥雄 [1965~1987]
5位 2543本 福本 豊 [1969~1988]
7位 2539本 金本知憲 [1992~2012]
8位 2480本 立浪和義 [1988~2009]
9位 2471本 長嶋茂雄 [1958~1974]
10位 2452本 土井正博 [1962~1981]
ただ一人の「3000」超え
王や野村といった大打者をおさえ、頂点に君臨するのが張本勲。これまでの日本プロ野球の歴史上でただ一人、通算3000本安打を達成している安打製造機である。
1959年、日本ハムの前身にあたる東映フライヤーズでプロのキャリアをスタートさせると、高卒新人ながら開幕スタメンにも抜擢され、1年目から125試合に出場。打率.275・13本塁打・57打点の活躍で新人王にも選出された。
1年目の115安打にはじまり、2年目は1本増えて116本も、この年は106試合の出場と出番が減ったなかでの自己記録更新。打率も.302と、規定には到達していないが、初の3割超えを達成している。さらに3年目の1961年には129試合の出場で159安打を放ち、打率.336で首位打者のタイトルを獲得。高卒から3年、まさにホップ・ステップ・ジャンプで飛躍を遂げた。
しかし、この後のキャリアを見ていくと、意外なことに“固め打ち”したシーズンは出てこない。今とは試合数が違うこともあるが、キャリアハイは巨人時代の1976年に記録した182というもの。歴代No.1の通算安打数を誇りながら、「シーズン記録」ではトップ20にも入ってこない。
逆に言えば、まさに“安打製造機”という文字の通り、それだけ安定した成績を長い期間つづけてきたということ。1966年から1974年にかけては9年連続で打率3割をマークし、キャリアで3割超えは実に16度。ハイアベレージの積み重ねによって、「3000」という金字塔は打ち立てられたのだった。
ちなみに、「日本プロ野球における3000本安打」は張本が唯一であるが、生涯で3000本以上の安打を放った選手と言えばもう一人いる。ご存知、イチローである。
イチローが日本のプロ野球で放った安打は1278本も、海を渡ってメジャーリーグでは通算3089本の安打を記録。日米合算にすると、これこそ前人未踏の数字である“4000超え”、「日米通算4367安打」という大記録になるのだ。
かつてはそのイチローが唯一だったシーズン200安打も、2000年以降になると6度も記録されているのだが、一方で「通算2000安打」というハードルは決してかんたんなものにはなっていない。
その中で、“3000”というさらなる高みに近づく選手は現れるのか…。たくさんヒットを放つ技術はもちろんのこと、求められるのはそれを継続していく力。新時代の安打製造機の台頭が待たれる。
▼ 張本勲・年度別安打
1959年:115本(125試合)
1960年:116本(106試合)
1961年:159本(129試合)
1962年:157本(133試合)
1963年:148本(150試合)
1964年:151本(129試合)
1965年:133本(132試合)
1966年:146本(122試合)
1967年:139本(120試合)
1968年:122本(114試合)
1969年:160本(129試合)
1970年:176本(125試合)
1971年:150本(128試合)
1972年:169本(127試合)
1973年:143本(128試合)
1974年:138本(120試合)
1975年:113本(119試合)
1976年:182本(130試合)
1977年:153本(122試合)
1978年:131本(115試合)
1979年:60本(77試合)
1980年:89本(102試合)
1981年:35本(70試合)
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[通算] 3085本(2752試合)