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後継者の苦悩と、転機になったトレード “ゴジラ2世”が歩んだ道のり

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日本ハム・大田泰示(C)Kyodo News

「5」月「5」日


 5月5日はこどもの日──。例年通りプロ野球が開幕していれば、この時期はシーズンの真っ只中で、各球団はお子さまファンに向けた様々な企画を考えていたことだろう。テレビで普段から見ていても、投手が投げるボールのスピードや、それを打ち返していく打者のパワーは生で見てこそ。しかし、2020年は残念ながらそれが叶わなかった。


 野球界で「5ならび」といえば、どうしても"ゴジラ"を思い浮かべる方が多いのではないか。日本が世界に誇るスラッガー・松井秀喜。男が1993年のプロ入りから、海の向こうに渡っても2011年まで背負い続けたのが「55」だった。

 以降、日本球界では巨人に限らず各球団で期待の大砲候補にその番号を与えることが増えたように思う。高校球界でも、左打ちで恵まれた体格の強打者は「(地名)のゴジラ」と呼ばれることが定番化し、多くの"ご当地ゴジラ"が誕生した。

 ということで、ここではプロ野球界で松井秀喜の後に「ゴジラ」の異名を受け継いだ選手たちにスポットを当ててみたい。今回は、その松井から巨人の背番号「55」を引き継いだ男について…。
 

苦しんだ巨人時代


 松井がメジャー挑戦のため退団して以降、巨人ではしばらく後継者が出なかった背番号「55」。満を持して引き継いだのが、2008年のドラフト1位で入団した大田泰示だった。


 東海大相模高の主砲として高校通算65本塁打を放った実績を持ち、将来の主砲候補として大きな期待を受けていた男は1年目から一軍で3試合に出場を果たすも、一軍に定着することは叶わず。2013年のオフには背番号を「44」に変更。事実上の“剥奪”だった。

 悔しさをバネに2014年は44試合、2015年は60試合と徐々に一軍での出場数を増やしていったものの、今度はレギュラー定着という壁に苦しむ。

 当初の“将来の大砲候補”は、いつの間にか高い身体能力を活かした「パンチ力もある守備・走塁要員」のような起用がメインとなり、迎えた2016年のオフに突然のトレードが決定。吉川光夫・石川慎吾との交換で、公文克彦とともに日本ハムへと移籍することになる。


移籍でブレイク!


 しかし、結果的にこの環境の変化が大田にとっての転機となる。

 移籍1年目の2017年はケガで出遅れたものの、4月中に一軍昇格を果たすとそのままレギュラーに定着。118試合に出場し、プロ9年目で初の規定打席に到達。打率こそ.258もキャリア最多の15本塁打をマークした。

 2018年もシーズン途中の死球で不運な離脱がありながら、それでも104試合に出場して打率.274・14本塁打・59打点と活躍。チームに欠かせない存在へと成長を遂げると、背番号を「5」に変更した昨季はキャリア最多の132試合に出場。打率.289・20本塁打・77打点という軒並みキャリアハイの数字を並べ、ケガにより出場こそ叶わなかったものの、オールスターゲームのメンバーにも選出されるまでになった。


 “ゴジラ2世”として巨人で活躍する道は絶たれたものの、今では日本ハムの不動のレギュラーにしてリーグ屈指の外野手になった。

 「55」ではじまり、「44」から「33」を経て今では「5」へ。紆余曲折を経て、たくさんの壁を乗り越えて成功を掴んだ大田泰示のさらなる活躍に期待したい。


大田泰示・プロフィール

ポジション:外野手
投打:右投右打
身長/体重:188センチ/96キロ
生年月日:1990年6月9日
経歴:東海大相模高-巨人(08年・D1)-日本ハム
[昨季成績] 132試 率.289(557-161) 本20 点77
[通算成績] 579試 率.264(1803-476) 本58 点222
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