「甲子園に出たかったですね」。
13日に放送された『ニッポン放送ショウアップナイター 巨人-中日戦』で解説を務めた里崎智也氏が、同中継中の『みんなの甲子園メモリーズ』で鳴門工業高校時代について語った。
里崎氏は「もう1回高校野球の苦しさを耐えられるかというとわからない。めちゃくちゃキツかったですね」と振り返る。
「ただ、それがあったから大学に行って花を開いて、プロにもなれたということがある。甲子園には出られなかったですが、高校時代の3 年間は僕の人生の中で一番大事な時期でした」。
「成果としてはなかったですけど、未来の成果のためにあの3年間はなくてはならなかった。高橋広先生のもとで、いろんなことを吸収しながらできたのは、人生で一番大事な時期でした」。
高校時代に甲子園出場は叶わなかったが、里崎氏は帝京大学に進学し、98年ドラフト2位でロッテに入団。プロ入り後は、05年の日本一、06年のWBCでは日本代表の正捕手として世界一、10年には史上初となる3位から日本一の立役者となった。
(ニッポン放送ショウアップナイター)
13日に放送された『ニッポン放送ショウアップナイター 巨人-中日戦』で解説を務めた里崎智也氏が、同中継中の『みんなの甲子園メモリーズ』で鳴門工業高校時代について語った。
里崎氏は「もう1回高校野球の苦しさを耐えられるかというとわからない。めちゃくちゃキツかったですね」と振り返る。
「ただ、それがあったから大学に行って花を開いて、プロにもなれたということがある。甲子園には出られなかったですが、高校時代の3 年間は僕の人生の中で一番大事な時期でした」。
「成果としてはなかったですけど、未来の成果のためにあの3年間はなくてはならなかった。高橋広先生のもとで、いろんなことを吸収しながらできたのは、人生で一番大事な時期でした」。
高校時代に甲子園出場は叶わなかったが、里崎氏は帝京大学に進学し、98年ドラフト2位でロッテに入団。プロ入り後は、05年の日本一、06年のWBCでは日本代表の正捕手として世界一、10年には史上初となる3位から日本一の立役者となった。
(ニッポン放送ショウアップナイター)