実力派右腕を一本釣りした広島
プロ野球のドラフト会議が10月26日に行われた。早川隆久(早稲田大)と佐藤輝明(近畿大)のふたりがともに4球団競合となり、楽天が早川を、阪神が佐藤の当たりくじを引いた。そして、日本ハム、中日、DeNA、広島の4球団が一本釣りに成功している。
一本釣りした選手を見ていくと、中日の高橋宏斗(中京大中京)は高卒、日本ハムの伊藤大海(苫小牧駒大)とDeNAの入江大生(明治大)の大卒組には即戦力の期待もかかるが、もっとも即戦力に近い存在と言われているのが広島の栗林良吏(トヨタ自動車)だ。栗林は名城大時代の2年前にプロから指名されず涙を飲んだものの、社会人野球の門を叩き、ドラフト1位指名されるまでに完成度を高めてきた。
広島のドラフト1位指名を振り返ってみると、近年は大卒投手、その少し前は高卒投手の指名が多かった印象。栗林のように社会人出身の投手は、2012年に外れ1位で当時NTT西日本にいた増田達至(現西武)を指名して以来になる。実際に入団した選手では、宮崎充登(ホンダ鈴鹿/2006年大社・希望枠)以来14年ぶり。これは12球団で巨人(2004年自由獲得枠/野間口貴彦/シダックス)に次ぐ長さだった。
しかし、長らく指名がなかったからといって、過去の社会人出身のドラフト1位投手たちが奮わなかったわけではない。むしろ、1980年代から1990年代にかけては活躍した選手が多かった。
80年代は宝庫も近年は…
広島がこれまでに交渉権を獲得した社会人出身ドラフト1位の投手は、栗林が13人目(入団は12人)。その顔ぶれを見ると、錚々たるメンバーが並ぶ。
1976年に沢村賞を受賞し、通算103勝をマークした池谷公二郎(日本楽器/1972年)。1980年代の投手王国を支えた左腕・川口和久(デュプロ/1980年)に、炎のストッパー・津田恒美(協和発酵/1981年)。中継ぎで300試合以上の登板を誇る川端順(東芝/1983年)と長冨浩志(NTT関東/1985年)のふたり。そして、現在は監督を務めている佐々岡真司(NTT中国/1989年)らだ。
とくに1980年代の1位指名は、川口、津田、川端、長冨、佐々岡に加え、栗田聡(三菱重工神戸/1986年)と、6人が社会人出身の投手だった。栗田こそ一軍登板がなく結果を残すことができなかったものの、その他の5人はドラフト1位に相応しい成績を残している。
だが、1990年代以降は佐藤剛(本田技研/1992年)、遠藤竜志(NTT関東/1997年)、そして宮崎の3人が、いずれも結果を残せずユニフォームを脱いできた。この3人のなかで最多の登板数は宮崎の43試合だ。こうして振り返ると、1980年代に指名した社会人出身のドラフト1位投手たちは一時代を築いた一方で、1990年代以降の指名選手たちは結果を残すことができなかった。
栗林は社会人出身のドラフト1位投手としての大先輩でもある佐々岡監督のもと、この悪い流れを断ち切ることができるのか。Bクラスからの上位浮上を目指すためにも、“即戦力”として指名した栗林の右腕にかかる期待は大きい。
<広島の社会人出身ドラフト1位投手の通算成績>
※広島在籍時以外の成績も含む
▼ 千葉剛(日鉱日立/1969年)
7試合 0勝2敗 防御率4.50
▼ 池谷公二郎(日本楽器/1972年)
325試合 103勝84敗10S 防御率4.13
▼ 木田勇(日本鋼管/1978年)
※入団辞退
▼ 川口和久(デュプロ/1980年)
435試合 139勝135敗4S 防御率3.38
▼ 津田恒美(協和発酵/1981年)
286試合 49勝41敗90S 防御率3.31
▼ 川端順(東芝/1983年)
310試合 46勝26敗19S 防御率3.00
▼ 長冨浩志(NTT関東/1985年)
464試合 77勝77敗10S 防御率3.84
▼ 栗田聡(三菱重工神戸/1986年)
※一軍出場なし
▼ 佐々岡真司(NTT中国/1989年)
570試合 138勝153敗106S5H 防御率3.58
▼ 佐藤剛(本田技研/1992年)
21試合 1勝0敗 防御率6.13
▼ 遠藤竜志(NTT関東/1997年)
30試合 2勝2敗 防御率5.04
▼ 宮崎充登(ホンダ鈴鹿/2006年希望枠)
43試合 4勝11敗5H 防御率5.64