2020.11.10 18:00 | ||||
阪神タイガース | 0 | 終了 | 4 | 読売ジャイアンツ |
甲子園 |
全球ストレートの12球
阪神の藤川球児投手(40)が10日、甲子園で行われた巨人戦で、4点ビハインドの9回に登板。引退試合は全球ストレートの12球を投じ、1イニングを三者凡退に封じた。
タテジマの背番号22は、おなじみの登場曲が流れるなかリリーフカーに乗って登場すると、マウンド上で待ち受ける矢野燿大監督から直々にボールを渡され、マウンドへ上がった。
先頭の代打・坂本勇人を148キロのストレートで空三振に仕留めると、続く代打・中島宏之の初球には最速の149キロをマーク。4球目には見慣れないワインドアップで投じ、6球目の146キロで2者連続の空振り三振を奪った。続く3番・重信慎之介に対しては、阪神ファンの「あとひとり」コールのなか2球目の146キロで二飛に。全球ストレートの12球で1イニングを三者凡退に抑え、大きな拍手を浴びながら現役最後の登板を終えた。
球児を支えた強い思い「俺は負けていない。見返してやる」
試合後のセレモニーでは「JFK」の鉄壁ユニットで一世を風靡したジェフ・ウィリアムス氏、久保田智之氏らをはじめ、清原和博氏(元巨人ほか)、ダルビッシュ有投手(現カブス)らからのビデオメッセージが上映。藤川は時折笑みを見せながら、バックスクリーンに映し出される球友たちへ頭を下げた。
ラストスピーチではこれまでに携わった方への感謝の思いを述べつつ、ドラフト同期の松坂大輔(西武)と上原浩治氏(元巨人ほか)を引き合いに「二人は1年目から素晴らしい活躍をしていました。失敗と故障を繰り返す自分とを比べると、自分には無理だと、普通なら諦めてしまうでしょう。でも僕は“いまは勝ち負けはついてない”と、認めることだけは絶対にしませんでした。当時、周りから厳しい視線を感じたり、厳しい言葉を投げかけられることも沢山ありました。しかし、どんなときも、いつも、必ず見返してやる、そう思いやってきました」と、22年のキャリアを支えた強い想いを口にした。
スピーチ後半には個別に清原氏の名前を挙げ、「あなたがいなければ今の僕は存在しません。僕をここまで成長させてくれたのは清原さんとの対戦、そして存在です」と語り、「ライバル、松坂大輔、必ず投げる姿を見せて世の中の人を元気にしてください。あなたのそいういう姿が、いまの日本には必要です。僕があなたの一番の応援団になります。目標でいてくれてありがとう」と、藤川にとって特別な存在だった二人へメッセージを送った。
また、「この1カ月、セ・リーグの各チームのみなさま、球場関係者のみなさま、こんな一人のためにセレモニーを用意してくださりありがとうございました。きっと沢山の子どもたちへの夢や希望につながったと思います。夢をつなぐ。これが僕の現役生活最後の1カ月でやりたかったことです」と、日本全国を駆け抜けたラストランを振り返り、球界関係者への感謝を口にした。
最後は「野球選手、藤川球児とサヨナラをするときが来ました」と切り出し、「子供の頃からの先生方、いままでのすべての友人、そして世界中の野球ファンのみなさま、みなさまのおかげで最高に素晴らしい野球人生が送ることができました。長い間のご声援、本当に本当にありがとうございました」と締めくくった。
藤川球児・スピーチ全文
ではスピーチを始めたいと思います。
まずはじめに、この度、“野球選手”藤川球児のためにこんなに素晴らしい舞台を用意してくれた阪神タイガース球団、矢野監督をはじめとするコーチ、選手、スタッフの方々にお礼を申し上げたいと思います。
本日は阪神タイガースファン、そして全国の野球ファン、そしてプロ野球界の先輩の皆様に、今日この日を迎えるまでに皆様から頂いた、夢や希望を持ち、人生を前向きに生きることが出来たお礼を伝えたいと思います。
1999年に阪神タイガースに入団して、同じドラフト1位には同級生、西武ライオンズの松坂大輔、そして巨人軍の上原浩治さんがいました。二人は1年目から素晴らしい活躍をしていました。二人を見て失敗と故障を繰り返す自分とを比べると、自分には無理だと、普通なら諦めてしまうでしょう。
でも、僕は“いまは勝ち負けはついてない”と、認めることだけは絶対にしませんでした。当時、周りから厳しい視線を感じたり、厳しい言葉を投げかけられることも沢山ありました。しかし、どんなときも、いつも、必ず見返してやる、そう思い、やってきました。
そして2005年タイガースで優勝することが出来ました。最高の思い出です。
そのあと、松坂と上原さんがメジャーリーグに行って、追いかけるように自分もメジャーリーグにチャレンジしました。しかし、本当に苦しいことばかりで、孤独で、また新人の頃のように上手くいかない日々が訪れ、明日すら…(場内拍手)大丈夫です(笑)。明日すら見失いそうになっていました。そんなとき、阪神タイガースに入団してからの苦労した経験が僕を救ってくれました。
俺は負けていない。
見返してやる。
独立リーグからもう一度リスタートして、自分の力を見せて、地元高知の子どもたち、そして日本のプロ野球ファンをびっくりさせてやりたいと思いました。
そこからタイガースに戻り、3年間かけて、やっとクローザーのポジションに戻ることが出来ました。
見返してやる。そのときにはもうそんな気持ちは全くなく、これが皆様からの叱咤激励なんだと知り、心の底からありがとうと、感謝の気持ちでいっぱいでした。
僕は自分自身に度々襲いかかる苦難に打ち克つことが出来ました。
清原和博さんへ。あなたがいなければ今の僕は存在しません。僕をここまで成長させてくれたのは清原さんとの対戦、そして存在です。
何年か前になりますが、僕も清原さん自身も苦しいときに、お守りを届けていただきました。「身体を大事にしろよ」。凄く力になりました。キヨさんはとても優しい方です。必ずお礼を伝えに行きますので、今後ともよろしくお願いします。
ライバル。松坂大輔へ。必ず投げる姿を見せて、世の中の人を元気にしてください。あなたのそいういう姿が今の日本には必要です。僕があなたの一番の応援団になります。目標でいてくれてありがとう。
それでは、阪神タイガースファンの皆様へのお礼を言わせてください。
僕の投げる“火の玉ストレート”には甲子園球場のライトスタンドの大応援団の皆様、チームの思い、そして全国のタイガースファンの熱い思いがすべて詰まってます。
それが皆さんの知る“火の玉ストレート”の投げ方です。
それは打たれるはずがありません。
打者のバットに当たるはずがありません。
僕が言うのも変ですが、不思議な力が湧いてきて、普段の自分ではなくなるのです。野球選手、藤川球児というのが皆様の気持ちの塊だったのだと思います。
ファンの皆様にとって僕の存在が誇りだというのならば、僕にとってもファンの皆様が誇りです。
その気持ちをこれからは後輩たちに一緒に送り続けましょう。そしてタイガース史上最高のキャッチャーで、僕が世界で一番尊敬している矢野監督を日本一の監督にさせてあげましょう。
選手やコーチのみなさん、あとはよろしくお願いします。もし困った時はいつでも呼んでください。すぐに駆けつけます。
そして僕自身よりも、本当に一度も世間の皆様へ顔も見せず、頑張ってきてくれた家族へ、この場を借りてメッセージを送らさせてください。
いままで沢山野球のために我慢させてきたけど、やっと明日から夫として、普通のお父さんとして、家族のために何でもしてあげられるようになります。長い間お待たせしました。これからは何をするときも、一番に皆を優先します。今までよりさらに笑顔のたえない家族になりましょう。
そして親父、お母さん、名前を「球児」にしてくれてありがとう。野球をやらせてくれてありがとう。辞めようとしているとき、何回も引き止めてくれてありがとう。二人が元気な間に恩返しする時間が出来ました。これから少しずつ恩返しさせてください。
そしてこの1カ月、セ・リーグの各チームの方々、球場関係者のみなさま、こんな一人の選手のためにセレモニーを用意していただきまして、本当にありがとうございました。
きっと沢山の子どもたちへの夢や希望につながったと思います。夢をつなぐ。これが僕の現役生活、最後の1カ月でやりたかったことです。
それではみなさん、“野球選手”藤川球児とサヨナラをするときが来ました。子供の頃からの先生方、いままでのすべての友人、そして世界中の野球ファンの皆様。皆様のおかげで最高に素晴らしい野球人生を送ることができました。
長い間のご声援、本当に本当にありがとうございました。