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日本シリーズ9連敗から日本一 巨人・川上監督が命じた「ドシャ降りのなかでの練習」

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プロ野球 評論家・川上哲治 文化功労者賞に決定し会見=1992年10月17日 写真提供:産経新聞社
話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、日本シリーズ9連敗から巻き返して日本一となった1961年の巨人と、その原動力となった川上哲治監督の“特訓”にまつわるエピソードを取り上げる。

昨年(2019年)と同じく、ソフトバンクの4連勝であっけなく幕を閉じた今年(2020年)の日本シリーズ。しかも、初戦はエース菅野が打たれ、第2戦はシリーズ球団ワーストの13失点を喫し大敗。第3戦はソフトバンクの継投の前に9回二死までノーヒットに抑えられ、第4戦でやっと先制したものの、柳田・甲斐に2ラン2発を食らい逆転負け……。

すべてぐうの音も出ない完敗。なぜこれほどまでに差が付いたかは、評論家・スポーツライター諸氏がさんざん語っていますし、どの意見も「ごもっとも」ですので、屋上屋を架すことは避けます。明らかに実力で劣っている以上、質の高い練習をするしかないですし、セ・リーグ全体の底上げも必要でしょう。セの他5球団も、「打倒巨人」ではなく「打倒ソフトバンク」を目標に戦っていただきたいものです。プロであるならば。

ところで今回、4年連続日本一となったソフトバンクは、広島と戦った2018年の第3戦から今年の第4戦まで、「日本シリーズ12連勝」という快挙を達成。一方巨人はその裏返しで、楽天と戦って敗れた2013年の第7戦から今年の第4戦まで「日本シリーズ9連敗」という球団ワーストタイの不名誉な記録をつくってしまいました。

新記録ではなく「ワーストタイ」と聞いて「え? 巨人って前にも日本シリーズで9連敗したことがあるの?」と思った方も多いのではないでしょうか。実は、59年前にも巨人は同じ屈辱を味わっていたのです。(以下、○●は巨人から見た勝敗)

1958年 vs西鉄 ○○○●●●●
1959年 vs南海 ●●●●
1961年 vs南海 ●○○○●○

確かに、1958年の第4戦から1961年の第1戦まで、4年越しで9連敗しています。当時といまとでは球界を取り巻く環境が大きく異なるとはいえ、連敗を止めて日本一を奪回した59年前(1961年)の巨人は、どうやって苦境を乗り切ったのでしょうか? 何かのヒントになるかも知れませんので、ちょっと歴史を紐解いてみましょう。

連敗が始まった年、1958年というと、昭和33年。東京タワーが完成し、東京六大学のスター・長嶋茂雄(立教大)が巨人に入団した年です。当時、巨人を率いていたのは名将・水原茂監督(当時は「円裕=のぶしげ」)。対する福岡の西鉄ライオンズ(現西武)を指揮するのは、「知将」と呼ばれた三原脩監督。三原監督は元巨人軍監督でもあり、水原監督とは大学時代からの因縁のライバルでした。

「巌流島の決戦」と呼ばれた1958年のシリーズは、巨人が初戦から3連勝。ところが「まだ首の皮1枚残っている」と三原監督がゲキを飛ばし、エース稲尾和久の活躍もあって、第4戦から西鉄が4連勝。「奇跡の大逆転」として伝説のシリーズになりました。

翌1959年、巨人の相手は南海ホークス(現ソフトバンク)でした。南海・鶴岡一人監督は初戦から第4戦までエース・杉浦忠を4連投させ(先発3試合、リリーフ1試合)巨人を撃破。シリーズ史上初のストレート勝ちで日本一となり、杉浦の「4連投4連勝」は、これまた後世に語り継がれる伝説になりました。

いまではあり得ない起用法ですし、おそらく空前絶後でしょうが、当時の日本シリーズでは、エースの連投は当たり前。第4戦が雨で1日順延されたことも4連投を可能にしました。杉浦と長嶋は立教大の同期生。大舞台に強く「シリーズ男」として知られるミスターですが、プロ1・2年目はいずれも悔しい敗北を喫していたのです。

翌1960年は、先述の三原監督を新監督に迎えた大洋ホエールズ(現DeNA)がセ・リーグ初優勝を飾り、巨人はリーグ6連覇を逃しました。水原監督は責任を取って、この年限りで辞任。代わって「打撃の神様」こと川上哲治ヘッドコーチが新監督に就任します。

1961年、川上監督は就任早々ベロビーチで初の海外キャンプを行い、メジャーから「ドジャースの戦法」を導入。シーズン中に参謀役として、元中日の牧野茂コーチを招聘するなど外部の血も入れ、2年ぶりのペナント奪還を果たします。

となれば次の目標は、1955年以来6年ぶりの日本一奪回。相手は再び南海でした。「前回ストレート負けを喫したホークスに再度挑戦」という構図は、今年の巨人と重なります。南海は、この年20勝を挙げたエース・杉浦をまた連投させたいところでしたが、杉浦はシーズン終盤に故障。シリーズも欠場することになりました。

かたや巨人も、この年の勝ち頭は17勝を挙げた中村稔。いまなら十分すぎる勝ち数ですが、当時は「20勝投手が1人もいない」「エース不在」と言われたのです。このあたりも時代の差を感じますが、ともかく両軍ともに絶対的エースを欠いた状態で、1961年の日本シリーズは開幕しました。

この年の日本シリーズはとにかく、雨に祟られたシリーズでもありました。大阪球場で行われた第1戦がいきなり雨で順延。初戦を制したのは南海で、外国人投手ジョー・スタンカと、野村克也のバッテリーで巨人打線を完封。6-0の圧勝でした。野村はこの試合、先制ホームランも放っています。これで巨人は屈辱の「日本シリーズ9連敗」を喫したわけです。

当然そのことは、川上監督も巨人ナインもわかっています。気持ちを切り替えたいところで、第2戦がまたもや雨で順延。これが巨人に幸いしました。本来日曜日開催のはずが、2日延びて火曜日に行われた第2戦。巨人は南海投手陣に襲いかかり、8回表を終えて6-0とリード。初戦と真逆の展開になりました。南海も終盤、穴吹義雄(後に南海監督)の本塁打、野村のタイムリーなどで6-4まで追い上げますが、反撃もそこまで。巨人は堀本律雄・中村稔のリレーで逃げ切り、ついにシリーズの連敗を「9」で止めてみせたのです。

移動日を挟み、舞台を後楽園球場に移して木曜日に行われた第3戦。巨人は7回表まで2-4と劣勢でしたが、7回ウラに坂崎一彦・長嶋・宮本敏雄(=エンディ宮本、日系人スラッガー)の連打で一挙3点を奪って逆転勝利。シリーズの主導権を奪います。このまま勢いに乗って勝ち進みたいところでしたが、あいにく東京も雨に見舞われ、第4戦は何と2日も順延。日曜日にようやく開催されることになりました(本来なら第7戦が行われる日でした)。

2日続きで試合が中止になった土曜日、巨人ナインは「ここはゆっくり休んで、あすの試合に備えるか」というムードでしたが、川上監督の指示は何と「野手は多摩川(当時の練習場)に集合」でした。「本当にここで練習するの?」というドシャ降りのなか、長嶋・王貞治(当時高卒3年目)ら主力選手は、2時間近くも汗を流しました。

川上監督が無茶な指令を出した背景には「緊張感が解けたままのムードで戦っては、絶対にやられる」という危機感があったのでしょう。練習を終えた選手たちには「絶対無理、という状況でも、野球ってやってやれないことはないんだな」という自信が芽生えていました。

誤解のないよう申し上げておきますが、いま、こういう前近代的な練習を推奨するつもりはさらさらありません。ですが、思うに今回の巨人は(実力差以前に)こういった無理やりにでも「シリーズの流れをつかんでやろう」という努力が欠けていたように思います。

第4戦は、日本シリーズ史に残る伝説の名勝負となりました。2-1とリードしていた巨人は、9回表二死、あと1人で勝利というところで広瀬叔功に逆転2ランを打たれ、1点ビハインドで9回ウラを迎えることに。南海はこの回途中から、切り札のスタンカを投入。巨人は二死まで追い込まれますが、捕れば試合終了だったフライを一塁手が落球。命拾いした巨人は、長嶋の内野安打で二死満塁のチャンスをつくります。

しかし、続く打者・宮本は、1-2と追い込まれ、スタンカの投じた次の球が低めに決まったかと思いきや……円城寺主審の判定はボール。ゲームセットと思い、つい腰を浮かせたことをノムさんは後々まで悔やんでいました。スタンカ・野村の猛抗議も退けられ、試合は続行。次の球を宮本が弾き返して2者が生還し、巨人が劇的なサヨナラ勝ちを飾りました。

シリーズの行方を大きく左右したこの判定は、世間を巻き込む大騒動となり、「円城寺 あれがボールか 秋の空」という有名なフレーズも生まれました。3連勝で日本一に王手を掛けた巨人は、第5戦は落としたものの、第6戦を延長戦の末に制し、川上監督は就任1年目でみごと日本一奪回を果たしたのです。

以後、川上監督率いる巨人は、1962年・1964年は阪神にリーグ優勝を譲りましたが、1963年に再び日本一に輝くと、1965年から9年連続日本一(V9)を達成。黄金期を迎えたのはご存じのとおり。監督として日本シリーズに11回出場し、すべて日本一になっているのはONがいたとはいえ、すごいの一言です。

こうして振り返ってみると、あの雨中の練習は、後のV9を呼び込む1つのきっかけになったような気もします。練習に参加した長嶋・王・広岡達朗・森昌彦(祇晶)4氏が、後に全員日本一監督になっているのもまた、興味深いところですが。ソフトバンク・工藤公康監督が現役時代、その4監督のもとでプレーし日本一に貢献したことも面白い事実です。川上イズムを最も受け継いでいる指揮官は、工藤監督かも知れません(工藤監督も、日本シリーズ不敗監督ですし)。

就任1年目から思い切ってチームを改革。野球の質も練習法も変え、外部から新しい血を入れ、短期決戦では、がむしゃらに流れをつかみに行った川上監督。59年前の巨人から学ぶことは、意外とたくさんあるのではないでしょうか。
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