大きな期待をかける新指揮官
オリックスの新入団選手入団発表が19日に行われ、「目標は球速165キロ。沢村賞を取りたい」と意気込みを語ったドラフト1位指名の山下舜平大投手(福岡大濠高)を始め、育成指名6選手を含む12人が、プロ野球選手としてのスタートを切った。
冒頭で湊通夫球団社長が、ドラフト後の報道を引用し、「『オリックスは絶対的エースと4番打者を一緒に獲得した記念すべきドラフト』と書いてもらった。エースと4番のみならず、(将来)オリックスの黄金時代を築いたメンバーが一挙に顔をそろえた歴史的なドラフトになってほしいと思う」と、今回のドラフトを総括した。
中嶋聡監督は「これからのオリックスを支える選手。我々首脳陣は、多くの選手を日本代表になれるよう指導したい。2年連続最下位は、ここにいるメンバーは関係ない。ここにいる全員を戦力として戦いたい」と、12人を激励した。
ドラ1・山下が会場を唸らせる!
例年ならファンの代表約300人の前で晴れの舞台を迎える新人選手たちだが、コロナ禍の今年は同じ広い会場に報道陣と家族、球団関係者だけのお披露目に。それでも、会場をうならせたのは、ドラ1右腕・山下の掲げた目標だった。
「(例えば)157キロを目指せばそこまでしか成長しないと思う。だからMAXの数字を設定してそこを目指すべき」。「(巨人の)菅野さんら、日本のエースがとるタイトル。どの投手も沢村賞を目指すのではないか」。18歳とは思えない強心臓で、地に足がついた高い目標設定だ。最高球速は中学時代から「聞かれたら答えていた」といい、高校1年で138キロだったのが3年間で「17キロくらいアップした」というから、大言壮語ばかりではない。
高校時代の3年間は、直球とカーブの2種類しか投げなかったという。「カーブを選んだのは、縦の回転をする直球の質を上げるため。横の変化をするスライダーではなく、縦の変化のカーブを磨こうと、監督さんと話し合って決めた」と、地味だが着実に地力をつける道を進んできた。「1年目は先輩から学んでステップアップしたい」と目標設定も堅実だ。
その他のメンバーも多士済々
ドラフト2位の元謙太外野手(中京高)は、「気持ちを前面に出すプレーと飛距離」をセールスポイントに挙げ、目標とする選手にオリックスの主砲・吉田正尚選手を挙げた。
「子供の頃からの夢がかなった」と笑顔を見せていたのが、小学校時代にオリックスジュニアで活躍した3位の来田涼斗外野手(明石商)。「積極的な走塁と長打力を武器に、1番打者としてチームを勢いづけたい」と、一軍での活躍に思いを馳せ、明石商のエースで同級生でもあるロッテのドラフト2位・中森俊介投手との対戦には「勝てるようにチームバッティングをしたい」と、プロの舞台での対決を心待ちしていた。
ドラフト4位の中川颯投手(立教大)は、「同じアンダースローのOB・山田久志さんに、(マウンドでの)気持ちの持ち方や配球、トレーニング方法を聞きたい。芸術的な投球を見せたい」と意気込み、同5位の中川拓真捕手(豊橋中央高)は「対戦したいのはソフトバンクの千賀投手滉大投手。受けたいのは山本由伸投手で、ストレートやキレのある変化球を捕れるようにしたい」と力を込めた。また、同6位の阿部翔太投手(日本生命)は「コントロールで自滅しないのがセールスポイント。ピンチで任され、困ったときに阿部がいる、と言ってもらいたい」と活躍を誓った。
12人の中で、最も元気だったのが、育成6位の古長拓内野手(福島レッドホープス)。「チャンスに強い打撃と負けん気を前面に出してプレーするのがセールスポイント」といい、「一人でも多くの人をオリックスファンにしたい。記録より記憶に残る選手になりたい」と、大きな声と笑顔で抱負を述べた。福岡国際大付高出身だが、故郷は福島県いわき市。2011年3月11日の東日本大震災では津波被害も受けており、「一日でも早く支配下登録されて、大阪から勇気と感動を与えたい」と意気込んでいた。
文=北野正樹(きたの・まさき)