東日本大震災から10年
東日本大震災から10年の節目を迎えた2021年3月11日。当時の出来事を風化させないため、当時の思いを今につなげるため、プロ野球の各球団や選手、OBらが、『Twitter(ツイッター)』や『Instagram(インスタグラム)』、『YouTube(ユーチューブ)』といったSNSなどで様々なメッセージを発信した。
ここに挙げた選手やOBの他にも多くのプロ野球関係者がインスタグラムのストーリーズなどで、YahooとLINEで「3.11」と検索すると1人につき10円が寄付される「検索は、チカラになる。」を紹介。また、NPBと12球団は、今年のオールスターが宮城で行われることなどを受け、「ずっと、想いをひとつに。」というテーマで開催することを発表した。
▼ 東北楽天ゴールデンイーグルス
これからも、がんばろう東北。
▼ 田中将大(楽天)
東日本大震災から10年が経ちました。
10年を迎えたから急に何かが変わることではありません。
これからも僕なりに出来る事を継続していくことが出来ればと思っています。
がんばろう東北
東日本大震災から10年が経ちました。
— 田中将大/MASAHIRO TANAKA (@t_masahiro18) March 10, 2021
10年を迎えたから急に何かが変わることではありません。
これからも僕なりに出来る事を継続していくことが出来ればと思っています。
がんばろう東北 https://t.co/UQlxH3Txpj
▼ 福岡ソフトバンクホークス
【東日本大震災から10年】
ホークスはこれからも、皆さんを応援します。
▼ 北海道日本ハムファイターズ
to TOHOKU
We will never forget 2011.3.11
私たち北海道日本ハムファイターズは2011年3月11日のことを決して忘れません。
▼ 横浜DeNAベイスターズ
3.11。
東日本大震災から10年。
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「見せましょう、野球の底力を。」
あの日誓ったみんなの思いを胸に、戦い続けます。
▼ 津留崎大成(楽天)
▼ 上沢直之(日本ハム)
いつまで経っても忘れちゃいけないことってあると思います。
僕の祖父母も福島に住んでいて被災しました。
子供の頃、夏休みにいわき市の海水浴場でよく遊んでたのを今でも鮮明に覚えてます。
3.11の後に父親に連れて行ってもらった時その光景が全く変わった姿になっていて衝撃を覚えました。
10年の歳月が経ちますがこれからもプロ野球選手として力を与えられる存在になりたいと思います。
▼ 和田毅(ソフトバンク)
あれから10年。
震災を知っている世代。
震災を知らない世代。
伝えていく、繋げていかないといけないなと。
これからも10年前の震災を忘れないように。
そして、あのような被害が2度と起きないように。
▼ 藤平尚真(楽天)
東北のチームで野球をやれている事。
より近くで勇気や元気を与えられるように
今シーズンも頑張ります!!
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— 藤平 尚真/SHOMA FUJIHIRA (@shoma19official) March 10, 2021
東北のチームで野球をやれている事。
より近くで勇気や元気を与えられるように
今シーズンも頑張ります‼️ https://t.co/aCAkejCP2h
▼ 高梨雄平(巨人)
東日本大震災から10年。
被災された皆様に心より哀悼の意を表します。
大学生の時、復興支援で目の当たりにした景色は一生忘れないでしょう。
年を取る度に考え方は変わりますが、
生きる、という事についてこれほど考える日はありません。
全てに感謝を。
東日本大震災から10年。
— 高梨 雄平 (@yuhei_takanashi) March 11, 2021
被災された皆様に心より哀悼の意を表します。
大学生の時、復興支援で目の当たりにした景色は一生忘れないでしょう。
年を取る度に考え方は変わりますが、
生きる、という事についてこれほど考える日はありません。
全てに感謝を。
▼ 由規(武蔵ヒートベアーズ/宮城県出身)
絶対に忘れない。風化させてはならない。
今も
これからも
当たり前ではない今を
感謝
▼ 岩隈久志(元楽天)
東日本大震災から10年が経ちました。
亡くなられた方々のご冥福を祈り、ご遺族の方々の安穏を祈り、被災された全ての方々へ心よりお見舞い申し上げます。
10年経ちましたが、あの日の事はいまだに鮮明に覚えています。
僕は遠征中で、仙台に残していた家族の安否確認ができずに慌てた事。
津波の映像を見た時の絶望感。
辛い記憶ですが、絶対に忘れたらいけない記憶だと思います。
今自分にできる事は継続した支援だと実感しているので、これからも続けていきたいと思います。
この写真は2012年のものです。
当時、南三陸診療所に勤務されていた方がこの大漁旗を作って下さり、嫁さんの弟を介して繋がり、仙台で我が家の英語の先生をして下さっていた女川町出身の先生と旦那さんがシアトルまで来て、球場で掲げてくれました。
2010年に一度は諦めたメジャーでしたが、2011年の開幕戦を勝ったあとにファンの皆さんから「逆境の中で再度世界を目指してほしい」との声を頂いて実現したメジャーへの再挑戦だったので、その中でこのように沿岸部で被災された方々の想いをシアトルに繋げられた事に胸がいっぱいになりました。
これからも自分達にできる事を誠実に続けていきます。
▼ デーブ大久保(元楽天監督)
震災から10年…
二軍監督時代南三陸での試合前地元の10数名の子供達が球拾いをしてくれた
子供達に「家族は無事だった?」って聞いたら何人もの子供の肉親が亡くなってた…
すぐ選手を集め話した「俺達の役目は3時間だけでも嫌な事忘れてもらう為にある…必死でプレーしよう…」
魂込めて共に前へ…
震災から10年…
— デーブ大久保 (@DAVEOHKUBO) March 10, 2021
二軍監督時代南三陸での試合前地元の10数名の子供達が球拾いをしてくれた
子供達に「家族は無事だった?」って聞いたら何人もの子供の肉親が亡くなってた…
すぐ選手を集め話した「俺達の役目は3時間だけでも嫌な事忘れてもらう為にある…必死でプレーしよう…」
魂込めて共に前へ…
▼ 星孝典(楽天二軍バッテリーコーチ/宮城県出身)
もう10年、まだ10年、色々な感じ方こそありますが、これからも変わらず、そしていい意味で変わっていけるように頑張りましょう!!
▼ 今江敏晃(楽天二軍打撃コーチ)
あれから10年…。
あの日の事を風化させちゃいけない…。
東北だけじゃなく千葉、茨城、その他の
被災された方々の思いを胸に過ごしていきたい。
東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍している意味をもう1度、噛み締めて過ごしていきたい。
▼ 佐藤都志也(ロッテ/福島県出身)
震災から10年考えさせられる日でもありました。
10年前は大好きな野球が出来ず、野球ができること当たり前じゃないということ
いまはこうして、大好きな野球を第一線でできていること、これからはファンの皆様そして、東北の皆様にプレーで感動を与えられる様がんばります。
あの日を忘れずに。
震災から10年考えさせられる日でもありました。
— 佐藤都志也 (@toshi8sato32) March 11, 2021
10年前は大好きな野球が出来ず、野球ができること当たり前じゃないということ
いまはこうして、大好きな野球を第一線でできていること、これからはファンの皆様そして、東北の皆様にプレーで感動を与えられる様がんばります。
あの日を忘れずに。
▼ 尾形崇斗(ソフトバンク/宮城県出身)
3.11
東日本大震災から今日で10年経ちました。
僕自身ものすごく辛い思いをしました。地元の宮城県はものすごい被害を受けました。
当時僕は小学五年生でした。
3週間も水道、電気のない生活。コンビニやガソリンスタンドは3時間待ちの行列ができ、生活することもまともにできない状況でした。
そんな苦しい時に、当時の楽天イーグルスの選手達の姿やプレーが僕の励みになりました。
特に、田中将大投手の雄姿にはものすごく勇気をもらいました。
そして、10年経った今でも未だ復興されていない被災地もあります。
今度は、僕が、被災者の励みに慣れるように、あの時、勇気をもらった田中将大さんと同じグラウンドで投げ合えるように精一杯頑張っていきたいと思います。
そして、震災で犠牲になった方がに謹んで追悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
ぜひ読んでください🙇♂️ pic.twitter.com/N8pbuzsgKG
— 尾形 崇斗/SYUTO OGATA (@SYUTO515515) March 11, 2021
▼ 永井怜(楽天育成投手コーチ)
3.11
東日本大震災から10年。
被災した皆様に改めてお見舞い申し上げるとともに、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
自分に出来ることを継続していく事が大切。これからも「ともに前へ」。
3.11
— 永井 怜/satoshi nagai (@nagaisatoshi30) March 11, 2021
東日本大震災から10年。
被災した皆様に改めてお見舞い申し上げるとともに、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
自分に出来ることを継続していく事が大切。これからも「ともに前へ」。
▼ 森野将彦(元中日ドラゴンズ)
当時、選手会長だった私が仙台へ向かったのはその年の6月。
いつも降り立つ仙台空港。全く違う景色に、心がギュッと締め付けられました。
被災地訪問のため訪れた山元町の山下中学校では、野球部とソフトボール部のみんなと交流しました。
彼らは誰一人淋しそうな顔を見せず、笑顔で迎えてくれ、一緒に楽しい時間を過ごした私自身が何故か元気をもらって帰ってきた思い出があります。
彼らも成人し、立派な大人になっている事でしょう。
時は進み、人は成長していきますが、復興は同じスピードでは進んでいないような気がします。
改めて忘れてはいけないと思いました。私自身、何か力になれることはないかと考えています。
#東日本大震災から10年
— 森野将彦 (@morino_doranice) March 11, 2021
当時、選手会長だった私が仙台へ向かったのはその年の6月。
いつも降り立つ仙台空港。全く違う景色に、心がギュッと締め付けられました。
被災地訪問のため訪れた山元町の山下中学校では、野球部とソフトボール部のみんなと交流しました。