ショウアップナイター エピソード55
<エピソード10~強さは権藤博監督との意思疎通~>
~今年2021年、放送開始から「55周年」のシーズンを迎えたニッポン放送「ショウアップナイター」。これを記念し、中継だけでは届けきれない取材情報や解説陣の“ここだけの話”など、「55」のエピソードを紹介していく連載企画~
ショウアップナイター解説者の佐々木主浩が1998年の横浜ベイスターズのリーグ優勝、そして日本シリーズの裏話を語った。
今年2021年、55周年を迎えるニッポン放送ショウアップナイター。その解説者である佐々木主浩が、1998年に監督として横浜(現DeNA)を日本一に導いた権藤博氏との関係性を語った。
「1997年は7年ぶりのAクラス入りを果たしましたが、2位終わり本当に悔しい思いをしたので、権藤博さんが監督に就任した98年、この年は本当に優勝したいと思いました。そしてこの年は、本当に選手一人一人が自分の仕事をやっていて、大人のチームだったと思います。今この場面でどういうことをしなければいけないのか、どういうピッチングしなければいけないのか、というのを全員が良く分かってました。本当にプロの集団でした。
投手陣としては、野村弘樹という軸がいましたので、やっぱりそれが強みでした。自分としては抑えて当たり前だったので、新聞に載るときは打たれた時だけでした(笑)。権藤監督には、あまり褒められたことはありませんでしたが、監督と意思疎通が出来てましたので非常にやり易かったのが印象に残ってます」
その権藤監督との、リーグ優勝決定試合での印象深い出来事を佐々木は明かした。
「リーグ優勝を決めた1998年10月8日、チームが1点ビハインドで迎えた8回表の攻撃、満塁になった時点でブルペンから権藤さんに電話しました」
佐々木)逆転したらいきますよね?
権藤)いくわけないだろ!
「電話で怒られましたよ。でも8回裏から絶対登板するだろうなと思ってましたので準備しておいてよかったです。『ピッチャー佐々木!』って権藤さんが言った時は、『ほらな!』って思いましたよ(笑)。だけど、権藤さんはそのことを覚えていないみたいです(笑)。ピッチャーの事よりは攻撃の方に頭がいっていたんでしょうね。優勝が決まるという異様な雰囲気でしたから」
「そして、優勝した時のビールかけですが、優勝に慣れてないからビールがキンキンに冷えていて寒すぎて風邪ひきました(笑)。普通、ビールかけのビールは常温なんですよ。熱がひかないまま日本シリーズに突入し、第1戦で登板したときも38.3℃ありました。
この試合は点差があったので、まさか行かないだろうなと思ってましたが8回途中から行くことになったので『うそ~!?』と思いました(笑)。体がフワフワした状態でしたので、自分ながらあの状態でよく抑えられたと思います」
その日本シリーズも制し、38年ぶり2度目の日本一となったベイスターズ。その優勝パレードでの裏話も、佐々木は明かしてくれた。
「38年ぶりの日本一になって、横浜で行われた優勝パレードですが、チーム全員『人が集まるのかな?』と心配していましたが、沿道を埋め尽くすファンの多さを見てビックリしました。大洋時代から応援してくれていると思われる年配の方は泣きながら『おめでとう!』言ってくれたのが思い出に残ってますよね。
選手たちは再びパレードをしたいと思いますけど、波留敏夫が『また38年後に会いましょう!』と言っちゃったから、どうでしょうね。波留の呪いです(笑)」