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真中満も現役時代は“やんちゃ”だった!? 外出禁止期間中も「“少し”出かけてました(笑)」

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ショウアップナイター エピソード55
<エピソード11~真中満がルーキーイヤーに1軍にどうしても上がりたかった理由とは?~>



~今年2021年、放送開始から「55周年」のシーズンを迎えたニッポン放送「ショウアップナイター」。これを記念し、中継だけでは届けきれない取材情報や解説陣の“ここだけの話”など、「55」のエピソードを紹介していく連載企画~

ショウアップナイター解説者の真中満が、1993年の自身のルーキーイヤーに起きた過酷な出来事について語った。

プロ野球 巨人対ヤクルト ヒットを放つヤクルト・真中満選手 (捕手は巨人・村田真一捕手) 撮影日:1993年7月18日  撮影場所:東京都 東京ドーム 写真提供:産経新聞社



今年2021年、55周年を迎えるニッポン放送ショウアップナイター。その解説者である真中満が、自身のルーキーイヤーの厳しい環境を語り、一軍へ上がるための「モチベーション」としていたことについて語った。

「1992年ヤクルトスワローズにドラフト3位で入団。1993年がルーキーイヤーで、一軍にあがったのがその年の9月ぐらいでしたが、そこまで二軍で過酷なことがありました。当時の二軍監督・福富邦夫さんが非常に厳しい人で、実はその年、僕は4か月くらい外出禁止を言い渡されていました。その理由ですが、二軍の試合中にピッチャーからの牽制球でタッチアウトになったから。これで2か月外出禁止。だから、それから二度と盗塁しないと心に決めました(笑)。だって、次にまた牽制で引っかかったら外出禁止が4か月になるでしょう(笑)」

そして2か月の外出禁止がとけたが、それで終わらなかったというのである。

「二軍の試合中に外野で目測を誤って打球を前に落としちゃったんですが、それでまた2か月外出禁止。結果、その年は4か月外出禁止でした。外出禁止の期間中は、練習や2軍の試合が終わったら寮に帰るの繰り返し。コンビニに買い出し行くくらいはギリギリ許されてました。今だからお話できますが、当時僕もやんちゃな部分がありまして外出禁止期間中に『しょうがないよね』と自分に言い聞かせて“少し”出かけてました(笑)。ただ、その1年目の過酷なシーズンで二軍から脱出してやろうという気持ちは更に強くなりましたね」

このときのヤクルトは“最強”の打線。その“二軍脱出”を成功させるのは血のにじむ思いだった。

「ヤクルトは92年にリーグ優勝、93年は日本一になりましたが、飯田哲也、荒井幸雄、古田敦也、池山隆寛、ハウエル、広沢克己、土橋勝征と凄いメンバーが揃っていて、故障者が出ない限り一・二軍の入れ替えが無いくらい大変な時期でした。ですが、一軍に入れば『俺も外出できるな!』という思いで頑張り、ようやく9月に一軍にあがることができました。ちなみに、その年の11月の秋季キャンプ、そこで門限破りが見つかって二軍に戻されましたけど(笑)」

ニッポン放送ショウアップナイター解説者 真中満氏



「僕もそんな時期もありました。ですから、面倒を起こした若い選手たちはね、しっかり反省していい選手になってほしいなと思います。誰でも失敗はあるので。そこからいい選手になってほしいなと思いは強いですね」

失敗を経て大選手、優勝監督になった真中も、ルーキーイヤーは『やんちゃ』だった。

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