ニュース 2021.06.14. 17:30

田尾安志が明かす、日米大学野球で渡米時のカジノ初体験「全員プラスで帰りました(笑)」

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ショウアップナイター エピソード55
<エピソード17 ~日米大学野球の試合には負けたが、その後の『試合』には大勝利!?~>



~今年2021年、放送開始から「55周年」のシーズンを迎えたニッポン放送「ショウアップナイター」。これを記念し、中継だけでは届けきれない取材情報や解説陣の“ここだけの話”など、「55」のエピソードを紹介していく連載企画~

ショウアップナイター解説者の田尾安志が、野球ではない“ゲーム”での「大勝利」について振り返った。

プロ野球、同志社大学時代の田尾安志氏は、日米大学野球選手権に3年連続出場。この実績がプロ入り当時の自身を支えていた 写真提供:産経新聞社



今年2021年に55周年を迎えるニッポン放送ショウアップナイター。その解説者である田尾安志が、プロ入り前の日米大学野球選手権大会の思い出について語った。

「プロのころのエピソードはみなさんご存知だと思いますので、アマチュア時代の思い出をお話します」

こう切り出すと、田尾は大学野球時代のエピソードを語り始めた。

「僕が大学4年生の時、日米大学野球選手権大会でアメリカに行きましたが、兎に角アメリカのチームは試合に全力で臨んでくるのが印象的でした。アメリカで試合をやるときはスカウトがみんな見に来るので、1塁までも全力疾走だし全てのプレーが全力だから、やっぱり強かったですよ。

特にあの頃、フロイド・バニスターとか、スプリットフィンガード・ファストボールを投げたマイク・スコットとか、すぐメジャーリーグに行ってバリバリ活躍できるようなピッチャーが何人かいました。のちに巨人に入団した平田薫がバントをするタイミングがありましたが、バットに掠りもせず『ありゃ~ダメだこりゃ。アメリカには凄いのがいるぞ!』って言ってベンチに帰ってきましたね。

当時、同じ日本チームにいた江川卓も球が速かったんだけど、江川より速いピッチャーが結構いるなと思いましたね。結局、試合は2勝5敗に終わりました」



ニッポン放送ショウアップナイター解説者 田尾安志氏



そして、その“思い出”は、試合中だけではなかった。

「全てのゲームが終わってから『ラスベガスに行こう!』という話になったんですよね。それで、僕と中畑清と、のちにドラフト1位で大洋に入った田村政雄など数人でロサンゼルスからラスベガスまで車を走らせました。途中は、ずっと砂漠で、ずーっと何にもないところを抜けたら、突如明るいところが出てきてね、夜中の4時頃に到着しましたが、『うわー!これがラスベガスか!!』って感動しちゃいましたね。

カジノで色々ゲームしましたが、結局みんなズラッとならんでブラックジャックをやってね、あの当時1ドルが300円くらいでしたが、1ドルかけると学生にしたらまぁまぁな値段なんですよ。最初は1ドル、ちょっと気合入れて5ドル、それが段々と盛り上がり100ドルとか賭ける奴がいましてね(笑) 僕はそんなに勝てなかったんだけど、物凄く勝った人がいまして(笑) 負けた人の分など補ってくれて結局、全員プラスで帰りました。

帰りもフリーウェイで4時間近くかけて帰りましたが、そのフリーウェイは車線がいくつもあってアメリカというのは、こんなに広いところなんだというのを初めて感じましたね。最近、中畑と会った時に『あの時は、凄く勝ったね』なんて話もしていたんだけど、その時のメンバーもね、全員プロに入りましたし、幸運にもラスベガスで勝てたという楽しい思い出です」

プロ入り前から、試合も遊びも全力プレーの田尾安志であった。

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