ニュース 2021.06.22. 11:00

カープのレジェンド山本浩二さんが語る自身と球団の過去、現在。チームの未来の姿とは?

無断転載禁止
山本浩二さん

『LEGENDS VOICE ~過去から未来へ~』


 セ・リーグ公式戦のタイトルパートナー「JERA」のスペシャルコンテンツ『LEGENDS VOICE ~過去から未来へ~』では、カープのレジェンドである山本浩二さんにインタビューを実施。現役時代のエピソードや現在のカープ、そしてチームの今後について語っていただきました。


 ※このインタビュー動画全編はJERAセ・リーグ協賛特設サイトの中で視聴することができます。

ファンだったカープへの入団


―― 小さい頃からカープファンだったんですよね? 広島生まれで。

「もう生まれた時からのカープファン。親が野球が好きでしょっちゅうカープの試合をラジオで聞いてファンになったね。家が五日市(現在の広島市佐伯区)というところで、県営球場に行くのに渡し船があって、5円払って球場に行っていた」

―― 法政大学からドラフト1位でカープに指名された時の心境は?

「あの年のドラフトは大豊作で(自分が)どこにいくかわからなかった。セ・リーグだと阪神からも(指名挨拶が)きていたので、振り返ってみると当時のくじの順番がかなり大きかったと思う」

―― 当時は1位指名の順番は事前の抽選で決まっていました。カープは2番目でしたね。

「そう。阪神が3番目。もし、阪神とカープの順番が変わっていた阪神に行っていた。でも、カープは2番目でも山本浩二か星野仙一か迷っていたらしい」

1975年のリーグ初優勝


―― 1975年のシーズンは赤ヘルに変わってチームの雰囲気が変わったんですか?

「監督の(ジョー)ルーツがやめてそれからじゃないかな。ひとつになった感じがあったのは」

―― 古葉(竹識)さんに監督が代わってからですか。

「古葉さんの前に野崎(泰一)さんというヘッドコーチの人が1週間くらい監督代行をやって、野崎さんはすごく選手に慕われていて『野崎さんのために頑張ろう』という感じでみんな気持ちがひとつになった。それから古葉さんになって古葉さんは兄貴分という感じで。それからチームの雰囲気が変わっていったのは確かだね」

―― 最終的には中日との優勝争いになりました。

「8月に入って優勝マジックが出たりしている時は1試合1試合がプレッシャーでものすごく苦しかった。地元でやる時は主力選手3、4人毎日ゲーム前に点滴を打っていたくらいだった。それほど肉体的にも疲れ、精神的にプレッシャーで疲れ…だから、余計に優勝の感激は大きかった」



現在のカープ


―― 今はチームの選手の過渡期に入って苦しい状況が続いています。

「2年、3年前まで3連覇しているのよ。これはものすごいことで、1年、2年経って『どうしてるんだ』と言われるのも、また心外だしね。(近年で見れば)よくやっていると思うよ。いろいろ書かれてはいるけどね。負ければ言われるのは間違いない。だから、それはもう気にしたらしょうがないし、今も目一杯一生懸命やるのは大事なことじゃないかと思うね」

 レジェンドの山本浩二さんが語るライバルとの関係、そしてカープの未来像とは? インタビュー動画全編はJERAセ・リーグ協賛特設サイトでお楽しみいただけます。





ポスト シェア 送る

もっと読む

  • ALL
  • De
  • 西