中日や日本ハムで活躍し、通算2204安打、44歳までプレー
中日や日本ハムで活躍した元プロ野球選手で解説者の大島康徳さんが大腸がんのため、6月30日に都内の病院で死去したことが5日に発表された。70歳だった。
大分県立中津工業高等学校から1968年のドラフトで中日から3位指名を受けて入団。投手として指名を受けていたが、入団後は野手に転向し、3年目の1971年に一軍デビューを果たした。
中日では内外野様々なポジションを守り、1977年には打率.333、27本塁打、71打点と活躍し、79年には4番として全130試合に出場して打率.317、36本塁打、103打点を記録。83年には36本塁打で本塁打王のタイトルも獲得した。
しかし、1987年に交換トレードで日本ハムに移籍。すでに37歳だったが、88年にはチーム最多の63打点を記録するなど活躍し、90年には当時最年長の39歳10カ月で2000安打に到達。到達までに要した試合数2290試合も、当時の最長記録だった。
44歳まで現役としてプレーし、引退後は解説者として活躍。2000年から2002年までは日本ハムで監督を務めたほか、2006年には第1回WBC日本代表の打撃コーチを務め、日本の世界一に貢献している。
2017年には自身のブログで大腸がんのステージ4で手術を受けたことなどを公表。今年6月には肺に転移していることを同ブログ内で告白し、同28日には「ブログを書くことがキツくなってきた」として、以後は自身の言葉を奥さんが伝えていたが、29日の夜を最後に更新されていなかった。
その後、 訃報が伝えられた7月5日のお昼過ぎに「この命を生ききる」というタイトルでブログが更新され、今年の春頃に記したという感謝の言葉などが公開されている。
WBCで監督を務めたソフトバンクの王貞治会長は球団を通じ、「中日ではとても元気のいい選手という印象でした。日本ハムでも明るくて人気がありましたね。第1回WBCの時はヘッド格で打撃コーチを務めてくれました。選手たちとの距離も近くコミュニケーションをよくとってくれて選手たちをその気にさせてくれました。ご冥福を心よりお祈りいたします」と哀悼の意を表した。