“平成の怪物”が引退を決断
西武は7日、松坂大輔投手(40)の今シーズン限りでの引退を発表した。
松坂は2019年オフに中日を退団し、古巣・西武への復帰を発表。2020年シーズンの6月には、中日との練習試合に登板するなどしたが、7月に「脊椎内視鏡頸椎手術」を受け、当初は2〜3カ月での復帰を目指していた。
しかし、状況は好転せず、プロ23年目の今季はB班でキャンプをスタートさせ、「まだリハビリの状態が続いており、中々自分の思うように身体を動かせていない(投げられていない)状態ですが、メットライフドームのマウンドに立って勝つということを目標に、1日でも早くチームに貢献できるようにやっていきたいと思います」と現状を説明していた。
さらに、「昨シーズンは1試合も投げることが出来なかったので、必ずマウンドに立つという気持ちをもってやっていきたい」と、復帰に向けて強い決意を示していたが状況は好転せず、今回の決断に至った。
松坂の決断を受け、西武の渡辺久信GMは「このような決断に至り、本人も大変悔しい思いをしています」と、その思いを代弁し、現状に関しては「体調面、精神面でも決して万全とは言えない状況です」と説明。「今は双方の回復に専念をさせていただきたく、ぜひ皆さまには彼のことを引き続き、温かく見守っていただけますと幸いです」と続け、回復後に会見を行う意向を明らかにした。渡辺GMのコメントは以下のとおり。
▼ 渡辺久信GMのコメント
このような決断に至り、本人も大変悔しい思いをしています。
昨年7月に手術を受け、それ以降も「メットライフドームで勝利する」ということを目標に大輔自身、厳しいリハビリに耐えながらここまでやってきました。
ライオンズファンに自身の姿を見せることができていない日が続き、体調面もなかなか向上せず、ずっと苦しい思いをしてきたと思います。
実際、今年もここまでずっと、球団施設などで毎日復帰に向けて必死にリハビリやトレーニングを重ねる大輔の姿がありました。
大輔は現在、体調面、精神面でも決して万全とは言えない状況です。
ただ、体調面、精神面が回復した段階で会見という形で、皆さまの前で本人から気持ちを話すことができると思います。
今は双方の回復に専念をさせていただきたく、ぜひ皆さまには彼のことを引き続き、温かく見守っていただけますと幸いです。
栄光と苦悩の23年間
松坂は1998年に横浜高校で甲子園の春夏連覇を果たすと、同年秋のドラフトで3球団(西武、日本ハム、横浜)から1位指名を受け、交渉権を獲得した西武に入団。デビュー戦となった1999年4月の日本ハム戦で初勝利を挙げると、高卒1年目の同年に16勝を挙げ、いきなり最多勝、ゴールデングラブ、ベストナイン、新人王の各賞を受賞した。
その後も右肘を痛め離脱した2002年まで3年連続で最多勝、ゴールデングラブ、ベストナインを受賞するなど、MLB・レッドソックスに移籍するまでの8年間で、最多勝を3度、最優秀防御率を2度、最多奪三振を4度、ベストナインを3度、ゴールデングラブを7度、沢村賞を1度と、数々のタイトルを獲得。輝かしい実績を提げて、2006年オフにポスティングでMLBのレッドソックスに移籍した。
レッドソックスでは1年目に15勝を挙げ、ワールドシリーズでも勝利を収めるなどチームのワールドシリーズ制覇に貢献。移籍2年目には18勝を挙げたが、翌年以降は毎年のように故障者リスト入りし、思うような成績を残せないまま2012年にFAとなり、インディアンス傘下のマイナーやメッツを経て、2014年オフにソフトバンク入団が発表され、日本球界に復帰した。
しかし、その後もコンディションが整うことはなく、ソフトバンクでは4年間で1試合の登板に終わり、2018年から所属した中日では同年に11試合に登板して6勝を挙げたが、翌19年は2試合の登板に終わる。その後、自由契約となり西武入団に至ったが、前述の通り一軍のマウンドに立つことなく引退を決意した。
なお、日本代表として2000年のシドニー・オリンピック、2004年の北京オリンピックを経験し、2006年と2009年のWBCでは両大会とも3勝を挙げて日本の世界一に貢献し、大会の最優秀選手にも選出された。NPBでは218試合に登板し、114勝65敗、防御率3.04という成績を残し、MLBでは158試合に登板して56勝43敗、防御率4.45という成績だった。