ニュース 2021.07.30. 18:20

開幕戦で逆転サヨナラ 侍たちへ長嶋氏からの「無言のメッセージ」

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【東京五輪2020 開会式】聖火リレー (左から)王貞治氏(ソフトバンク球団会長)、長嶋茂雄氏(巨人終身名誉監督)、松井秀喜氏(GM付特別アドバイザー)=2021年7月23日 国立競技場 写真提供:産経新聞社
話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は7月28日、東京五輪で初戦に逆転勝利を飾った、稲葉篤紀監督率いる侍ジャパン(野球日本代表)にまつわるエピソードを取り上げる。
「序盤は重い雰囲気で試合が進んでるなとプレーしながら思っていました。でもみんなベンチで声を出してくれたし、最後は最高な形でつないでくれたので良い結果になって、まずは勝ってよかった」

~『スポニチアネックス』2021年7月28日配信記事 より(坂本勇人コメント)


福島で行われた東京五輪・野球競技の開幕戦、ドミニカ戦。初戦に勝って幸先のいいスタートを切りたい日本代表は、山本由伸(オリックス)を先発に立てて臨みました。ところが、侍打線はドミニカ先発・メルセデス(巨人)を打ちあぐね、試合は0-0のまま7回に。

ここで日本の2番手・青柳晃洋(阪神)がドミニカに先制の2点タイムリーを許し、その裏、日本は1点を返したものの、9回、栗林良吏(広島)がさらに追加点を許し1-3。9回裏、日本は2点ビハインドの厳しい展開で最後の攻撃を迎えることになりました。

しかし、このままズルズルと敗れる侍たちではありませんでした。一死後、相手のベースカバーのミスに乗じて、代打・近藤健介(日本ハム)がヒットでつなぎ、村上宗隆(ヤクルト)のタイムリー、甲斐拓也(ソフトバンク)のセーフティスクイズで3-3の同点に。

こうなれば、流れはもう日本のものです。1死満塁から坂本勇人(巨人)がセンターの頭を越すサヨナラ打を放ち、日本は鮮やかな逆転勝利で初戦をものにしました。最終回、ドミニカの抑え投手が不出来だったとはいえ、最終回の「全員でつなぐ意識」が実ったことは、今後の試合を一丸となって戦って行く上でも非常に大きな1勝でした。

特に試合を決めたのが、野手の最年長で、実質的なキャプテンである坂本だったのは稲葉監督としても嬉しいところ。坂本の代は「88年組」と呼ばれ、今回の代表にも田中将大(楽天)・大野雄大(中日)が参加しています。この代が最年長であり、チームを引っ張って行く役回り。初戦、勝負が決まる場面で坂本がきっちり決めてくれたことは、指揮官としては最高の展開でした。

ベテランが力を発揮する一方で、最終回、栗林が致命的と思われた1点を奪われた直後、後続を連続三振に仕留め、2点差で踏ん張ったシーンも印象に残りました。五輪という初の大舞台で失点し、ガタガタッと崩れてもおかしくないところ、開き直った精神力は新人離れしていました。彼の奮投が、打線の奮起を促したような気もします(結果的に栗林が勝ち投手に)。

このベテランから若手まで、侍が全員一丸でつかみとった勝利を観ていて感じたことがもう1つあります。それは何とかして「野球の面白さ」を伝えたい、という思いです。いま、少年層の野球人口が減っていることへの危機感は、現役選手たちも肌で感じています。

野球日本代表に課せられた使命は、金メダルだけではありません。いま、大谷翔平(エンゼルス)がふだん野球を観ない層からも関心を集めているように、侍たちは、素晴らしいプレー、面白いゲームを観せ、野球に憧れる少年少女たちを増やす役目も担っているのです。

現役時代、「観る人に楽しんでもらえる野球」「少年たちが憧れる野球」を意識してプレーしていた選手の代表が、今回の五輪で開会式に登場した長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督です。2004年のアテネ五輪では、代表監督を引き受けながら病に倒れ、本番で任務を果たせなかった無念さは長嶋氏の心のなかにずっとあったと思います。

13年ぶりに野球が五輪競技として復活した今回、聖火リレーで松井秀喜氏にも支えられながら、王貞治氏も含め3人で聖火リレーに参加した長嶋氏。「なぜあんなに長い距離を歩かせるんだ?」「痛々しい」という声もありましたが、筆者はあの長嶋氏の姿を見て、つい目頭が熱くなってしまいました。「長嶋さんは、自分の意思で歩いているんだ」ということが観ていてわかったからです。実際、開会式後にこんな報道もありました。
『体調が懸念される長嶋氏だが、今回の聖火リレーでは自らの足で歩くことにこだわったという。愛弟子の松井氏に支えられながらゆっくりと歩を進め、盟友の王氏とともに次の走者へ繋いだ』

~『デイリースポーツ』2021年7月24日配信記事 より


おそらく演出サイドは、長嶋氏の年齢と体調を気遣い、極力歩かなくて済むようなプランを提示したはずです。ところが「自分の足で歩く」ことにこだわった長嶋氏。この日のために、以前からずっとリハビリを重ねて来たという報道もあります。なぜそこまでするのか?……それは「長嶋茂雄」だからです。

1964年に東京五輪が開催されたとき、長嶋氏は球界を代表する、いや、日本を代表するヒーローでした。その自分が、57年ぶりの開会式で満足に歩けない姿を見せてしまっては、みんなをガッカリさせてしまうじゃないか……。そんな長嶋さんの無言のメッセージが伝わって来て、中継を観ていた筆者は「どこまで日本を背負うんですか、長嶋さん!」と、つい涙腺が緩んでしまいました。

またその姿を観て、同じくリハビリに励む人たちが「長嶋さんがあそこまで頑張っているんだから、自分も」と勇気づけられたかも知れません。さらに、長嶋さんがあの距離を歩いた意味はもう1つあった気がします。それは「世界へのアピール」。

今回、ソフトボールとともに五輪競技に復活した野球ですが、次の2024年・パリ五輪では再び除外されることが決まっています。ですが、2028年のロス五輪では会場が米国ということもあり、再復活も期待されています。自分が開会式で長く歩けば、それだけ「野球」を世界にアピールする時間も延びる……野球の世界普及にも取り組んでいた長嶋氏のこと、そのことも頭にあったと思います。

そんなこんな、現役時代からずっとファンだったこともありますが、観ていてつい胸が熱くなってしまった開会式の聖火リレーシーン。プロ野球選手なら、長嶋氏がなぜあの距離を歩いたのかも理解したはずです。開催反対の声も多いなかでのプレーは、当然やりにくさもあるでしょう。ただし出る以上は、勝敗の前にまず、野球の魅力を伝えること。長嶋氏はそのことを、侍のメンバーにあらためて伝えたかったのではないでしょうか。
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