今春4月のブルペンで異変
今季限りでの現役引退を表明し、19日に引退登板を行う松坂大輔投手(41)が同日に引退会見を行った。
松坂は会見の冒頭で「今シーズンをもちまして、引退することをご報告させていただきます」と、あらためて現役引退を表明。「選手は誰しもが長くプレーしたいと思い、こういう日が来ないことを願っていると思う。きょうという日が来てほしかったような、来てほしくなかったような、そんな思いがあったんですけど。現時点では、まだスッキリしていないんですかね。この後、投げることができて、そこで自分の気持ちもスッキリしたいな」と、複雑な胸中を吐露。
引退発表から会見までに時間を要した理由については、「僕自身が発表したものの、なかなか受け入れられなかった」と説明。「発表したにもかかわらず、自分の中で気持ちが揺れ動いていたので、球団にちょっと待ってくださいと言ってだいぶ経っちゃったんですけど、発表してから3カ月間、やれそうかなと思った日は…一度もなかったですね」と、率直な思いを口にした。
引退決断の要因については、昨春からの右腕の痺れにより手術を決断したものの症状が改善しなかったことを挙げ、今年の4月にブルペンで投球練習をした際に「何の前触れもなく右バッターの頭の方にとんでもない抜け方をして、指先でひっかけられないくらい感覚がなく、ボールを投げることが怖くなった」ことで、そこから時間を置いたものの右手の痺れが改善せず、「もう投げるのは無理だなと。それでやめなきゃいけないと自分に言い聞かせた」ことを明かした。
その後、家族に対して質問が及ぶと、言葉を詰まらせ、「だから会見したくなかったんですよね」と苦笑しつつ、言葉を絞り出すように「一言で感謝と言えば簡単なんですけど、簡単なものではなかったですし、いい思いもさせてあげられたかもしれないけど、我慢やストレスもあったと思います。本当に長い間、我慢してもらったなと思います」と妻や子供たちへの感謝の思いを口にした。
今後に関しては「家族との時間を増やしながら違う角度で野球を見ていきたいし、野球以外にも興味あることはあるので、そういうことにチャレンジしていきたい。野球界、スポーツ界に恩返しできる形を作っていければ」とコメントした。
また、山あり谷ありにプロ野球人生を振り返り、「選手生活の後半は叩かれることの方が多かったですけど、それでも諦めずに、、諦めの悪さを褒めてやりたい」と自身を称えたが、「これまでは叩かれたり批判されることに対して、それを力に変えて跳ね返そうとやってきましたけど、やっぱり最後はそれに耐えられなかった。最後は心が折れたというか。受け止めて跳ね返す力はなかった」との思いも明らかにした。
そして、“松坂世代”と呼ばれる同世代の仲間たちに対しては「本当にいい仲間に恵まれた」と語り、「松坂世代と言われることがあまり好きではなかったんですけど、僕の周りの同世代のみんながそれを嫌がらなかったおかげで、ついてきてくれたと言うとおこがましいかもしれないですけど、そんなみんながいたから、先頭を走ることができたとうか、みんなの接し方が本当にありがたかった」と感謝。松坂世代最後のひとりとなったソフトバンクの和田毅に対しては「僕の前に辞めていった選手たちが、僕らに託していったように、まだまだ投げたかった僕の分も毅には投げ続けていってほしい」とエールを送り、「できるだけ長くやってほしい」と全てを託した。
会見では、ファンに一番に見せたいという本人の意向により、18番のユニフォーム姿は披露しなかった。松坂は19日の日本ハム戦で先発し、打者ひとりと対戦する予定。試合後には球場を一周してスタンドのファンに挨拶を行うが、セレモニーは行われず、12月4日に行われるファン感謝デーで最後の挨拶を行う予定となっている。