ニュース 2021.10.23. 18:21

松坂大輔・斎藤佑樹 引退試合に見る「歴史の継承」

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【プロ野球西武対日本ハム】試合前に西武・松坂大輔が引退会見を行った。涙を浮かべながら質問に答えた=2021年10月19日 メットライフドーム 写真提供:産経新聞社
話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、今季(2021年)ユニフォームを脱ぐことを表明し、引退試合を行った斎藤佑樹投手・松坂大輔投手にまつわるエピソードを取り上げる。

セ・パともに優勝争いが佳境に入るなか、シーズン最終盤のこの時期は、今季限りでユニフォームを脱ぐ選手たちが、ファンに別れを告げる時期でもあります。10月21日も、ソフトバンクの本拠地・PayPayドームでの最終戦で、長谷川勇也の引退試合が行われました。

2013年、シーズン198安打を放ち、打率.341のハイアベレージで首位打者に輝いた長谷川。15年間の現役生活は故障との戦いでもあり、通算安打は1108本ですが、万全であれば2000安打に届いていたことでしょう。

引退試合となった日本ハム戦、長谷川の最後の打席は0-0の7回、1死二塁のチャンスで、代打での登場となりました。ヒットが出ればそれが決勝打となるかもしれず、これ以上ない場面でしたが、9勝を挙げているルーキー・伊藤大海の前にファーストゴロで凡退。しかし長谷川は最後まで“彼らしさ”を見せてくれました。一塁にヘッドスライディングを敢行したのです。

アウトを宣告されると、悔しそうにベンチへ下がり、レガースを投げつけた長谷川。引退試合というと、かつては勝敗に影響しない場面で登場し、相手側もそれとなく手加減をして花を持たせるのが“お約束”でしたが、最近は長谷川のように真剣勝負を望む選手も増え、相手も忖度しないケースも多くなりました。いい傾向だと思います。

17日に札幌ドームで引退試合を行った、日本ハム・斎藤佑樹もそうでした。プロ11年間の成績は、通算89試合登板、15勝26敗と決して芳しくありませんでしたが、早稲田実業高時代、駒大苫小牧高・田中将大(現・楽天)との甲子園での投げ合いが、どれだけ野球ファンを拡大したことか。間違いなく、球界に多大な貢献をした1人です。

斎藤は7回、4-3と日本ハム1点リードの場面で、先発・上沢に代わって2番手で登板。斎藤は真剣勝負を望みましたが、相手のオリックスは優勝を争っていますので、栗山英樹監督もどの場面で投げさせるか頭を悩ませたことでしょう。結果的に、いちばん盛り上がるシーンでの登板になりました。

先頭の福田周平に全力で投げた7球……結果は四球になりましたが、斎藤の野球に懸ける思いが伝わって来るラストピッチングでした。試合後のスピーチで、斎藤はファンにこう語りました。
『諦めて、やめるのは簡単。どんなに苦しくても、ガムシャラに泥だらけになって最後までやり切る。栗山監督に言われ続けた言葉です。その言葉通り、どんなに格好悪くても、前だけを見てきたつもりです。ほとんど思い通りにはいきませんでしたが、やり続けたことに後悔はありません』

~『スポニチアネックス』2021年10月20日配信記事 より

セレモニーではサプライズで、鎌ケ谷(日本ハムの2軍本拠地)にいるファームの選手たちが、斎藤の登場曲「勇気100%」を歌う映像も流れました。斎藤がなぜこれほど若手たちに慕われていたのか? それは彼が度重なる故障にもめげず、復帰を目指して鎌ケ谷で黙々と汗を流す姿を見ていたからです。
『斎藤は、持っていると言われたことがありました。でも本当に持っていたら、いい成績も残せたでしょうし、こんなにけがもしなかったはずです。ファンの皆さんも含めて、僕が持っているのは、最高の仲間です』

~『AERA dot.』2021年10月18日配信記事 より(斎藤佑樹のコメント)

また、今季限りで勇退する栗山監督にとっても、初陣となる2012年の開幕戦で開幕投手に起用したのが斎藤でした。7回、1点差の場面での起用には、斎藤に対する“愛”を感じましたし、これからの人生も頑張って欲しい、というメッセージでもあったと思います。11年間、お疲れ様でした。

1日おいて10月19日、現役最後のマウンドに上がったのが、西武・松坂大輔です。甲子園でも、プロでも、メジャーでも活躍。「平成の怪物」が、ついに23年間のプロ生活に別れを告げるときがやって来ました。

個人的な話で恐縮ですが、筆者は松坂がデビューした1年目(1999年)、彼のピッチング見たさに何度も西武ドーム(現・メットライフドーム)へ足を運んだ1人です。22年前に生で観た、うなるような剛球はいまでも忘れられません。2006年、パ・リーグプレーオフでのソフトバンク・斉藤和巳との息詰まる投手戦もスタンドで観戦。これも深く記憶に残っています(1-0で西武が勝利)。その試合を最後にメジャーへ移籍した松坂。

19日の引退試合は、札幌ドームにいたため生観戦は叶いませんでしたが、ラスト登板の映像を観て、涙が出そうになったのは筆者だけではないでしょう。最速が118キロ。確かに、22年前、同じマウンドで剛速球を投げていたときの姿は見る影もありませんでした。

しかし松坂は、日常生活にも支障が出るような状況から懸命にリハビリを重ね、再び西武のユニフォームを着て公式戦に登板。本拠地のマウンドで投げた。このことが重要なのです。試合後の会見で、松坂は体の状態について尋ねられ、こう答えました。
『大丈夫じゃないです(笑い)。ああいう状態でマウンドに立ちましたけど、本来立ってはいけないと思っていましたし、立てるような体の状態じゃないと自覚はしてましたので。ああいう姿でも投げるところを見せられて良かったと思います。ただその反動はもう来ています』

~『日刊スポーツ』2021年10月19日配信記事 より

なぜそんな状態にもかかわらず、松坂はマウンドに立ったのか?……ファンに、現在のありのままの姿を見てもらうと同時に、最後はメットライフドームのマウンドで締めくくりたい。そして、もう投げられないのだと自分自身も納得したい。そんな理由の他に、もう1つ、こんな思いもあったのではないでしょうか。「後輩たちに、プロ野球選手とは何かを伝えたい」。

松坂の希望もあって最後の対戦相手となった近藤健介は、横浜高の後輩です。高校の大先輩に憧れていた近藤にとっては、まさに夢のような機会。松坂とは18年のオールスターゲームで1度だけ対戦していますが、公式戦ではこれが最初で最後の対戦となりました。

松坂もまた真剣勝負を望み、近藤も三振で花を持たせることはしませんでした。全5球、1度もバットを振らず、四球を選んだ近藤。「できるだけ長く、松坂の最後のピッチングを見ていたい」というファンの願いをわかっていたからで、近藤自身も同じ気持ちだったからでしょう。
『松坂さんは小さい頃からずっと追いかけ続けてきた大先輩。こうして引退試合に立ち会えたことだけでも幸せですが、打席に入って対戦できたことは一生の宝物です。これまで野球界を先頭で引っ張ってこられた偉大な先輩に、少しでも近づけるように精進していきます』

~『デイリースポーツonline』2021年10月19日配信記事 より(近藤健介のコメント)

西武で、渡米前の松坂と一緒にプレーした経験があるのは、レギュラー陣ではいまや栗山巧と中村剛也ぐらい。その後に入団した選手たちにとって、松坂はいわば“伝説の人”です。しかし、この試合に出場した選手たちは「松坂と同じ試合に出た」と言える。引退試合は「歴史の継承」も兼ねているのです。

試合後、場内を一周したあとに、プロ野球人生の原点でもある本拠地のマウンドに手を当てて、別れを告げた松坂。最後は、西武の選手たちがマウンドに集まり、松坂を胴上げしました。
『胴上げされるのは怖いのであまりと思っていたんですけど、同年代(でコーチ)の赤田将吾から背中を押してもらった。日本ハムにいる横浜高校の後輩たちも来てくれたのでうれしかった』

~『朝日新聞デジタル』2021年10月19日配信記事 より(松坂大輔のコメント)

胴上げの輪のなかには、日本ハムからも近藤の他、淺間大基、髙濱祐仁、万波中正が松坂のTシャツを着て参加。彼らは全員、横浜高出身です。貴重な経験をした彼らが、大先輩・松坂のように、これからファンを沸かせてくれることを期待します。
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