2011年〜2018年
「11年間熱いご声援ありがとうございました。ファンの皆様、監督、コーチ、そして選手の皆様に感謝の気持ちで一杯です。病気になっても出来るというところを、もっと見せたかったのですが思うような結果を出すことが出来ず、申し訳ありません」。
ロッテの南昌輝投手が今季限りでの現役引退を発表した。南は2010年ドラフト2位でロッテに入団すると、6年目の16年に「去年(2015年に)あがれなかった悔しさをぶつけてやろうと思っていました」とプロ入り後自己最多の57試合に登板し、5勝4敗16ホールド、防御率2.74と、前年一軍登板のなかった悔しさを晴らし大ブレイク。
翌17年は19試合に登板して、5.09という結果に終わり、オフの自主トレでは「去年(17年)はダメだったので、今年(18年)ダメだったらダメと思う。それぐらいの気持ちでやっています」と18年シーズンに向けて強い覚悟を持って練習に励んだ。
シーズンが開幕すると、5月には月間防御率0.82をマークし、前半戦だけで35試合に登板して防御率3.00の成績を残した。一軍で再び輝き放ち始めていたなかで、18年8月17日に国が難病に指定する「黄色靭帯骨化症」の手術を受けた。
術後は「シーズンも終わりに差し掛かっていましたし、早く一軍にいきたいとか、何も考えていませんでした。復帰したいというよりも、練習ができて楽しいなという感じでした」と身体を動かせる喜びをかみしめ、同年9月中旬にはランニング、同年9月下旬にはキャッチボールを再開。同年10月下旬にはブルペンで投球練習を行うなど順調な回復ぶりを見せた。
2019年〜野球ができる喜び〜
19年2月1日。春季キャンプは二軍のキャンプに参加し、チームメイトとともに「全部のメニューをこなしている」と通常メニューをこなし、8日にはブルペンに入り、捕手を座らせて変化球を交えながら56球を投げ込んだ。
11日にはキャンプで初めて打撃投手を務め、打者3人に対して変化球を交えて60球を投げ込んだ。復帰後初となる打撃投手後の取材で南は「初めはバランスを意識していたんですけど、ちょっとずつ感覚があってきたので、最後の方は力を入れて投げました」と話したあと、「バッターに投げるのは楽しい」と笑顔を見せた。
「病気になって特に思ったんですけど、あと何年野球選手としてプレーできるかわからないので、野球ができる間は思いっきり頑張りたい」。
この頃から南を取材していると、野球ができることの喜びを口にすることが多くなった。
その一方で選手として、一軍で活躍していく必要があった。復活を目指す過程において南に、“手術前の状態”に戻そうとしているのか、それとも“新しい形”を作っている最中なのか――。そんな疑問に南は「あの頃には絶対に戻れないと思うので、昔をベースに新しい投げ方、新しい感覚を探していきたい」と応じ、そのときの状態に合った形を模索していることを明かした。
6月9日の巨人二軍戦以降は、「セットの方がブレが少なかった」と走者がいないときもセットポジションで投げ、肘の位置もやや下げて投げた。
フォーム変更直後の7月初旬には「バッターもいることなので、なんともいえないですけど、真っ直ぐはいい感じで投げられている」と話していたが、「ハマっているときもあれば、ハマっていないときもある。その時によっていい位置を探りながらやっていますね」とその日の状態に応じて、肘の位置を微調整していた。
8月15日には1年ぶりに一軍昇格を果たし、同日の日本ハム戦で「緊張しましたけど、ホッとした気持ちと不安な気持ち。両方がありましたね」と、18年の7月20日のオリックス戦(ZOZOマリン)以来となる一軍のマウンドに上がり、1回を無失点に抑えた。
しかし、復帰後一軍で4試合に登板するも、防御率は12.27。「一言で言えば何もできなかった。結果はよくなかったんですけど、病気になっても案外投げられるなというのは、正直なところ思っています。ただ、感覚などまだまだ足りないところがある。そういうところをしっかり埋めていければ」。
南は一軍の打者を抑えていくため、20年シーズンに向けてのオフは「いろいろなことを試せる時期。試していってダメだったら新しいことができますし、いろんなことに挑戦してハマるフォームを探していきたいなという時期にしたいですね。何もこだわりがなく、一からです」と投球フォームを作り直す考えを示しオフに突入した。
2020年〜野球小僧になる〜
年が明けて、20年2月の春季キャンプ。ハマるフォームの形は固まりつつあるのか聞いてみると、「何がいいのかは永遠の課題。見つかればと思っています」とポツリ。
ロッテ浦和球場で行っていた自主トレでは、ヒジの位置を斜めにしたスリークォーター気味で投げていたが、「今年(2020年)はそこも探り中。それこそ今何がいいのかなというのを探しているところ」、「(キャンプ中は)上から投げるのでやっているけれど、調子が悪かったら下げたりと、良い状態を探している」と、試行錯誤は続いていた。
調子が悪い時というのは、「指にかかっていないというか、指にかかるボールが少ないときは悪いと思うので、指にかかるように考えてやりたい」と説明。
「今までやってきた経験をもとにして、同じことをやっていても、同じ成績しかでない。もう少し良いものを目指してというところで、試行錯誤している。今までの最低限のイメージはあるんですけど、それ以上に良くならないとダメ」と、より良い成績を残すため、より高みを目指してというところで悩んでいた。
「毎年ですが、あと何年(現役が)できるかわからない。結果もそうですけど、楽しく野球がやりたい。周りの目を気にせず、野球小僧になりたいと思います」。
そうして挑んだ、2020年は一軍で6試合に登板したが、防御率は4.91だった。
2021年〜野球に真摯に向きあう〜
21年のシーズンに向けて、自主トレでは「1年間戦える体じゃないですけど、まずは怪我をしないことと、年齢もそうだし、スピードとかでは勝負できないじゃないですか。速いピッチャーも入ってきているので、球のキレでしか勝負できないと思っている。打ちにくさとかを磨くしかないなと思っています」と“球のキレ”にこだわり練習した。
ファームでは、6月30日の巨人戦から9月23日のDeNA戦にかけて14試合連続で無失点に抑えた。
「同じようにトレーング、コンディショニング調整をしても同じ球を投げられるわけではないですし、どこか張っているので、感覚がかわったりする。ただそんなことも言っていられない。そこを“こういうときはこうしなきゃいけない”というのを、どんどん作って試合に向けて調整している感じですね」。
体の状態が日々変わっていくなかで、その日の一番の良い感覚を見つけて投げ続けた。その積み重ねが、二軍で安定した投球に繋がったのだろう。結果を残していたが、若手の好投手が増え、若い投手が次々に一軍昇格していくなか、一軍から声がかからなかった。
それでも、南は前を向いていた。「怪我がないことが一番。調子が悪ければ、いろんなことができますし、良ければ、“もっとここをよくしたいな”と野球に真摯に向き合える。怪我すると治すことが一番になってしまう。もう一個上の段階でよくなるためにと考えられていることが、楽しいなと思います」。
今年9月のオンライン取材でこのように話し、大きな故障がなく、日々大好きな野球について考えられているからこそ、より楽しむことができた。
野球ができる喜びをかみしめ日々を過ごしていたが、今後に関する話し合いを行った結果、10月29日に現役引退することを決断した。手術後に再び一軍の舞台で大活躍は叶わなかったが、完全復活を目指す過程のなかで、ZOZOマリンスタジアムやロッテ浦和球場で野球と真摯に向き合った背番号『33』の姿をマリーンズファンは忘れないだろう。
文=岩下雄太