話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回はパ・リーグ盗塁王争いで、激烈な戦いの末にタイトルを分け合った4人のスピードスターにまつわるエピソードを取り上げる。
10月30日にレギュラーシーズン全日程を終了したパ・リーグ。近年稀に見る白熱した優勝争いの結果はご存知の通り、オリックス・バファローズが25年ぶりに優勝。そんな優勝争い同様、最後まで熾烈を極めたのが「盗塁王」争いです。
リーグ最終戦までタイトルの行方がもつれた結果、源田壮亮(西武)、和田康士朗(ロッテ)、荻野貴司(ロッテ)、西川遥輝(日本ハム)が24個で並び、4人が同時にタイトル獲得、という異例の事態に。もちろんこれはセ・パ両リーグを通じて初めてのことでした。
今季のパ・リーグ盗塁王争いを振り返ってみると、開幕からスタートダッシュを決めたのは、実はこの4人ではありませんでした。西武のルーキー・若林楽人です。4月までの26試合で12個の盗塁を決めるなど、プロ1年目とは思えない派手な活躍を見せてくれました。
そんな若林に悲劇が訪れたのは、5月30日の阪神戦。守備で左膝を負傷して「左膝前十字靱帯損傷」の大ケガを負い、診断の結果は“今季絶望”。この試合時点で両リーグ最速の20盗塁を記録していた若林は、パ・リーグ史上初となる「ルーキーでの盗塁王」も夢ではなかっただけに、悔しい戦線離脱となったのです。
悲壮感漂うなか、担架で運ばれた若林。その光景を目の当たりにしたのが、チームの主将・源田壮亮です。だからこそ、初の「盗塁王」をかけて臨む最終戦の前に、こんな言葉を残していました。
大ケガを負った当時は、転倒したまま起き上がることができず、苦悶の表情を浮かべていた「ワカ」こと若林。それを見た主将が燃えないはずはありません。10月だけで4つも盗塁死を記録しながらも、トップに並ぶ24盗塁を記録したのは、「ワカの分も」という思いを抱えながら、がむしゃらに走った結果でした。
源田同様、最後まで盗塁王へのこだわりを見せたのは、今年36歳、ロッテのスピードスター・荻野貴司でした。最終戦となった10月30日の日本ハム戦で今季24盗塁目を記録し、自身初の盗塁王に輝きました。
実は萩野、西武の若林同様、「ルーキーでの盗塁王」に挑んだ過去があります。2010年、プロ1年目だった荻野は、球団では25年ぶりとなる新人外野手での開幕スタメンを勝ち取ると、開幕から46試合で25盗塁を記録。その時点で「新人王当確」とメディアが報じるなど、荻野のプロ生活は順風満帆のように見えました。
ところが、5月に二塁に滑り込んだ際に右膝を負傷。検査の結果、「右膝外側半月板損傷」の大ケガでシーズン中の復帰は叶わなかった苦い経験を味わったのです。
そしてこれは、ケガを繰り返す荻野のプロ生活の始まり。2年目の2011年には右膝の軟骨痛。2013年は右足の肉離れ。2014年は左肩脱臼。2015年は左足の肉離れ。2016年は左脇腹の肉離れ……。あまりの故障続きに、2016年オフには「ケガ0」の願掛けも含めて背番号をそれまでの「4」から「0」に変更します。
それでも、2018年は初のオールスター出場を目前に控えた7月に、右手人差し指を骨折。毎年のようにケガを繰り返し、シーズン100試合以上出場したのは今季を含めてわずか4シーズンだけ。「なぜこんなにもケガに見舞われるのか」と悩んだこともあったと言います。
しかし、今季の荻野は自身初となる全試合出場を達成。6月には球団新記録となる、ルーキーイヤーから12年連続の2ケタ盗塁を記録。吉田義男(阪神)、張本勲(日本ハムなど)、大石大二郎(近鉄)に次いで25年ぶり4人目となる偉業を達成したのです。
さらに、36歳の荻野は「球界最年長盗塁王」の記録も更新。1982年の福本豊(阪急)、1987年の大石大二郎(近鉄)、2016年の糸井嘉男(当時オリックス)らが35歳シーズンで「盗塁王」に輝いていますが、彼らを超える36歳でのタイトル獲得は、長年苦しんだケガとの闘いに終止符を打った証と言えるかも知れません。
いずれにせよプロ12年目、常にケガとの闘いを繰り広げて来た荻野にとって、忘れられないシーズンになったことでしょう。
最終的に日本ハムの西川遥輝も24盗塁を記録。源田、荻野、和田、西川の4人でタイトルを分け合う結果になりました。この群雄割拠の時代はまだ続きそうで、懸命にリハビリに励む若林も来季は復帰予定。自身のSNSで次のように復帰への決意を語っています。
来季も、彼らの卓越した盗塁テクニックを堪能しながら、その意地がぶつかり合う激しい盗塁王争いが期待できそうです。
10月30日にレギュラーシーズン全日程を終了したパ・リーグ。近年稀に見る白熱した優勝争いの結果はご存知の通り、オリックス・バファローズが25年ぶりに優勝。そんな優勝争い同様、最後まで熾烈を極めたのが「盗塁王」争いです。
リーグ最終戦までタイトルの行方がもつれた結果、源田壮亮(西武)、和田康士朗(ロッテ)、荻野貴司(ロッテ)、西川遥輝(日本ハム)が24個で並び、4人が同時にタイトル獲得、という異例の事態に。もちろんこれはセ・パ両リーグを通じて初めてのことでした。
今季のパ・リーグ盗塁王争いを振り返ってみると、開幕からスタートダッシュを決めたのは、実はこの4人ではありませんでした。西武のルーキー・若林楽人です。4月までの26試合で12個の盗塁を決めるなど、プロ1年目とは思えない派手な活躍を見せてくれました。
そんな若林に悲劇が訪れたのは、5月30日の阪神戦。守備で左膝を負傷して「左膝前十字靱帯損傷」の大ケガを負い、診断の結果は“今季絶望”。この試合時点で両リーグ最速の20盗塁を記録していた若林は、パ・リーグ史上初となる「ルーキーでの盗塁王」も夢ではなかっただけに、悔しい戦線離脱となったのです。
悲壮感漂うなか、担架で運ばれた若林。その光景を目の当たりにしたのが、チームの主将・源田壮亮です。だからこそ、初の「盗塁王」をかけて臨む最終戦の前に、こんな言葉を残していました。
『本来であれば、今はワカが圧倒的に走っていたと思います。ワカの分も取れればうれしいです』
~『日刊スポーツ』2021年10月23日配信記事 より
大ケガを負った当時は、転倒したまま起き上がることができず、苦悶の表情を浮かべていた「ワカ」こと若林。それを見た主将が燃えないはずはありません。10月だけで4つも盗塁死を記録しながらも、トップに並ぶ24盗塁を記録したのは、「ワカの分も」という思いを抱えながら、がむしゃらに走った結果でした。
源田同様、最後まで盗塁王へのこだわりを見せたのは、今年36歳、ロッテのスピードスター・荻野貴司でした。最終戦となった10月30日の日本ハム戦で今季24盗塁目を記録し、自身初の盗塁王に輝きました。
実は萩野、西武の若林同様、「ルーキーでの盗塁王」に挑んだ過去があります。2010年、プロ1年目だった荻野は、球団では25年ぶりとなる新人外野手での開幕スタメンを勝ち取ると、開幕から46試合で25盗塁を記録。その時点で「新人王当確」とメディアが報じるなど、荻野のプロ生活は順風満帆のように見えました。
ところが、5月に二塁に滑り込んだ際に右膝を負傷。検査の結果、「右膝外側半月板損傷」の大ケガでシーズン中の復帰は叶わなかった苦い経験を味わったのです。
そしてこれは、ケガを繰り返す荻野のプロ生活の始まり。2年目の2011年には右膝の軟骨痛。2013年は右足の肉離れ。2014年は左肩脱臼。2015年は左足の肉離れ。2016年は左脇腹の肉離れ……。あまりの故障続きに、2016年オフには「ケガ0」の願掛けも含めて背番号をそれまでの「4」から「0」に変更します。
「自分ではケアしたつもりでも、まだ足りない。今までやってきたことを見直して、練習前後にケアの積み重ねをやっていきたい。0番は足の速い人のイメージがある」
~『Full-Count』2016年12月15日配信記事 より(荻野貴司のコメント)
それでも、2018年は初のオールスター出場を目前に控えた7月に、右手人差し指を骨折。毎年のようにケガを繰り返し、シーズン100試合以上出場したのは今季を含めてわずか4シーズンだけ。「なぜこんなにもケガに見舞われるのか」と悩んだこともあったと言います。
しかし、今季の荻野は自身初となる全試合出場を達成。6月には球団新記録となる、ルーキーイヤーから12年連続の2ケタ盗塁を記録。吉田義男(阪神)、張本勲(日本ハムなど)、大石大二郎(近鉄)に次いで25年ぶり4人目となる偉業を達成したのです。
さらに、36歳の荻野は「球界最年長盗塁王」の記録も更新。1982年の福本豊(阪急)、1987年の大石大二郎(近鉄)、2016年の糸井嘉男(当時オリックス)らが35歳シーズンで「盗塁王」に輝いていますが、彼らを超える36歳でのタイトル獲得は、長年苦しんだケガとの闘いに終止符を打った証と言えるかも知れません。
いずれにせよプロ12年目、常にケガとの闘いを繰り広げて来た荻野にとって、忘れられないシーズンになったことでしょう。
最終的に日本ハムの西川遥輝も24盗塁を記録。源田、荻野、和田、西川の4人でタイトルを分け合う結果になりました。この群雄割拠の時代はまだ続きそうで、懸命にリハビリに励む若林も来季は復帰予定。自身のSNSで次のように復帰への決意を語っています。
『今は気持ちの整理が上手く出来ずとても悔しい気持ちでいっぱいですが。後に復帰までが大事な時間だったと思える様に前を向いてポジティブに成長します』
~2021年6月1日更新 若林楽人選手のインスタグラムより
来季も、彼らの卓越した盗塁テクニックを堪能しながら、その意地がぶつかり合う激しい盗塁王争いが期待できそうです。