「野球人として年齢的にもここが最後」
ついに石井琢朗が帰ってきた。1998年優勝時の切り込み隊長が15日、ファーム施設で行われている秋季トレーニングに合流した。
打撃練習前に取材に応じた石井コーチは「浦島太郎状態ですね」と第一声。「馴染みのあった追浜球場から横須賀スタジアムになって、全部新しくなっている。僕が知っている横浜時代からは様変わりしていて。竜宮城に行って帰ってきた感じですかね」と独特の言い回しで古巣に帰ってきた思いを表した。
広島、ヤクルト、巨人でコーチを務め、対戦相手として見ていたDeNAについて「ここ数年なんで優勝できないのか。優勝してもおかしくない戦力で、対戦していて脅威だった。なんでだろうというところを中に入って、課題を監督やコーチの人たちと話しながら良い所を出していければ」とし、「今の時代は新しいものを便利に取り入れられるが、古き良き時代のいいものもある。融合していければ」とコーチングスタイルも明かした。
2008年に現役続行にこだわり広島へ移籍。横浜を去る決断を下した当時は「色々な思いもありました」と複雑な心境だったことを明かしたが、「外に出て色々なものを勉強してきた。(横浜に)いたときは井の中の蛙だったけど、大海原に飛び出していった。漂流してまた井の中に帰ってきた。ただいまって感じ」と笑顔でカムバックを喜んだ。
また「知っている監督、コーチ、スタッフがおられるので、またこうして横浜のユニフォームに袖を通す機会を与えてくれたDeNAに感謝してます。おそらく野球人として年齢的にもここが最後になってくる」と、横浜に骨を埋める覚悟も示し、「出ていったときにやり残したこと、自分がやらなきゃいけないものがあった。ここにいるときはどちらかと言ったら自分の成績、ファンの声援、年俸と、与えられたまま出ていってしまった。逆に今度はチームに良いものを残せたらと思います」と恩返しを誓った。
優勝からどん底まで一緒に経験した三浦監督に「彼が投げているときは打線で援護できなかった。今度は胴上げできるように」と、目標を口にした石井コーチ。紆余曲折を経て横浜へ戻ってきた男が、番長監督とともに明日の星を掴む。
取材・文・写真=萩原孝弘(はぎわら・たかひろ)