中日・福留孝介 (C) Kyodo News

◆ 日本で19年、アメリカで5年

 こっそりと本拠地に車を滑らせた。「誰にも気付かれないようにしたんだ」。

 9月上旬。現役引退を決めた中日・福留孝介はバンテリンドームナゴヤへ向かった。

 指揮官でPL学園の先輩・立浪和義監督に報告するためだった。監督室で面と向かって報告した。

 プロ24年のキャリアに終止符を打った。1999年に中日入団。2007年にMLB挑戦。日本復帰して阪神に入団。昨季14年ぶりに中日に加入した。

 昨季はスタメンに代打の切り札として頼られたが、今季は22試合出場で23打数1安打、打率は.043と低迷した。

 6月中旬に出場選手登録を抹消され、そのまま二軍暮らし。

 「個人的な目標なんてない。チームとして何とか優勝争いに入っていく。そういうシーズンにできたらいい。新しいチームで、自分が少しでも手助けできるようにやっていきます」

 そう誓って臨んだシーズン。優勝争いできずにチームを去るのは苦しい。ただ、このままプレーし続けて指揮官の重荷になるのはもっと避けたかった。

 今後の振る舞いとして、おぼろげながら感じていた「引退」の輪郭がハッキリした。

 心にケジメをつけて家族に報告。知人らへの連絡を済ませて9月8日、メディアの前に出た。

◆ 「おまえ、何だそれ!格好悪いな~」

 四半世紀のキャリアがある。野球ファンそれぞれに福留の思い出がある。

 2006年のWBC。準決勝・韓国戦での代打2ランを放ったのもそのひとつに違いない。

 サンディエゴの空に描いた放物線。実況の「生き返れ、福留」は大きく取り上げられた。

 記者が初対面したのは2012年1月。当時メジャーリーガー。楽天から中日への移籍が決まった山﨑武司さんとハワイで自主トレをしていた。

 私は、初めての海外取材でドキドキしていた。時差を把握し、締め切り時間に遅れないように。そんなことを考えていると、山﨑さんから「夜、ご飯に行こう」とありがたいお誘いを受けた。日本時間と米国時間、約束の食事の時間……。ごちゃごちゃになって、自分を落ち着かせたのを覚えている。

 時間把握に手を打った。時計、両腕につける作戦。当時、サッカー日本代表・本田圭佑さんがどうしていたかは分からない。おそらく、洒落のスタイルとしてメジャーではなかった。個人的には、実利を優先した。

 「おまえ、何だそれ!格好悪いな~」

 福留さんに初めて話し掛けられた言葉だった。まさに、その通り。「はい。格好悪いです」。話を切り替えようにも、気の利いた言葉が浮かばず、カメラをなでた。

 話を聞き、写真は名所・ダイヤモンドヘッドを背景にしたランニングと決めた。同じ場所を何度か走ってもらった。嫌な顔せず、往復してくださった。

 中日復帰から2年間は、コロナ禍での生活だった。

 40代中盤での1人暮らし。どこで、何を食べても、どうも味気なかったに違いない。突き抜けた実績があるからグラウンドで、単身赴任だから自宅で、孤独だったのだとも思う。

 プレーヤーは、現役最後のユニホームを中日だと決めて、阪神退団後に復帰を目指した。理解した球団はそれを受け入れた。

 10年前の時計は、壊れて捨てた。時間は過ぎていく。球界の歴史に、福留孝介は刻まれている。

 9月下旬のセレモニーまでもう少し。いろいろな福留を思い出そうと思う。

文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)

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