11日に放送された『ラジオペナントレースNEXT powerd byニッポン放送ショウアップナイター』に日本ハムの森本稀哲コーチが出演し、プロで悩んでいた時期に支えとなった2人の名前を挙げた。
森本コーチは「ヒルマン監督と新庄さんなんですよね。今まで同じこと言われていたのに、その2人が言ってくれた言葉が、「あ〜」みたいな感じで、何も技術変えていないのに突然結果が出出したんですよ」と話す。
「ヒルマン監督からは“ヒットいらないからとにかく思いっきって振れ”みたいな、“良いんだヒットは。相手に向かっていく姿勢を見せろ。お前に綺麗なヒットは求めていない”みたいなことを大敗した試合後に監督室で言われたんですよ。それで“ノーヒットOKだから”と言われて、「マジですか」と言って元気いっぱいやってノーヒットだったんですよ。そしたら次の日またスタメンで、“昨日の姿が良かった”と“今日もスタメン一緒だ”と、ノーヒットでOKって聞いたら、全然問題ないと言われて、ゲーム出たところでヒット2本でた。そこからです」。
当時の日本ハムの外野手事情でいえば、2004年に新庄剛志、2005年に稲葉篤紀といった実力のある選手たちが入団していた中で、2006年にレギュラーを獲得。
「外野手はたくさんいた中でそれをやってくれて、思い切ってピッチャーに向かっていく姿勢で行けばみたいなのが、今までは結果が欲しくてうまくいかなかった自分のパフォーマンスを出せなかった僕が、結果残っちゃっているというのが2005年」。
「2006年は新庄さんに“チャンスを掴みにいけ”と言われた時に、昨年(2005)からの流れで一気にレギュラーを取れたわけですよ」。
「今だから言えますけど、「なんで新庄来るんだよ」と思いましたよ。次の年に稲葉さんを取って「稲葉いらないだろう」と正直思っていましたよ、当時は。俺いるじゃん。でもきっかけをもらって、面白いのは今の話すごい宝物なので、松本剛くんに聞いたんですよ。何が変わったんだと聞いたら、ボスの思い切って振っていいというのがとにかくおもかったものが外れて、結果が残るようになりました。盗塁もどんどん行けというのが、とにかく生きやすかった。技術は何も変えていないです」。
考え方やきっかけでレギュラーを掴んだ現役時代の森本コーチ。そして、昨年首位打者に輝いた松本剛も同じようにレギュラーを勝ち取った。考え方で人は変わるのかもしれない。
(ニッポン放送ショウアップナイター)
森本コーチは「ヒルマン監督と新庄さんなんですよね。今まで同じこと言われていたのに、その2人が言ってくれた言葉が、「あ〜」みたいな感じで、何も技術変えていないのに突然結果が出出したんですよ」と話す。
「ヒルマン監督からは“ヒットいらないからとにかく思いっきって振れ”みたいな、“良いんだヒットは。相手に向かっていく姿勢を見せろ。お前に綺麗なヒットは求めていない”みたいなことを大敗した試合後に監督室で言われたんですよ。それで“ノーヒットOKだから”と言われて、「マジですか」と言って元気いっぱいやってノーヒットだったんですよ。そしたら次の日またスタメンで、“昨日の姿が良かった”と“今日もスタメン一緒だ”と、ノーヒットでOKって聞いたら、全然問題ないと言われて、ゲーム出たところでヒット2本でた。そこからです」。
当時の日本ハムの外野手事情でいえば、2004年に新庄剛志、2005年に稲葉篤紀といった実力のある選手たちが入団していた中で、2006年にレギュラーを獲得。
「外野手はたくさんいた中でそれをやってくれて、思い切ってピッチャーに向かっていく姿勢で行けばみたいなのが、今までは結果が欲しくてうまくいかなかった自分のパフォーマンスを出せなかった僕が、結果残っちゃっているというのが2005年」。
「2006年は新庄さんに“チャンスを掴みにいけ”と言われた時に、昨年(2005)からの流れで一気にレギュラーを取れたわけですよ」。
「今だから言えますけど、「なんで新庄来るんだよ」と思いましたよ。次の年に稲葉さんを取って「稲葉いらないだろう」と正直思っていましたよ、当時は。俺いるじゃん。でもきっかけをもらって、面白いのは今の話すごい宝物なので、松本剛くんに聞いたんですよ。何が変わったんだと聞いたら、ボスの思い切って振っていいというのがとにかくおもかったものが外れて、結果が残るようになりました。盗塁もどんどん行けというのが、とにかく生きやすかった。技術は何も変えていないです」。
考え方やきっかけでレギュラーを掴んだ現役時代の森本コーチ。そして、昨年首位打者に輝いた松本剛も同じようにレギュラーを勝ち取った。考え方で人は変わるのかもしれない。
(ニッポン放送ショウアップナイター)