笑顔と感謝の入団会見
DeNAは24日、トレバー・バウアー投手の入団会見を横浜市内のホテルにて行った。「初めまして、トレバー・バウアーです。今日ここに来ることができて、本当に嬉しく思っております」と喜びを語り、「皆様と一緒にシーズンを過ごせることをとても楽しみにしております。嬉しい気持ちでいっぱいです」と率直な心境を述べた。
バウアーは2011年のMLBドラフトで全体3位で指名を受けた超有望株。インディアンス時代の2015年に11勝(12敗)を挙げてブレイクすると、そこから4年連続で2ケタ勝利をマークした。
レッズ所属の2020年には、コロナ禍の短縮シーズンの中で11度先発して5勝(4敗)、防御率1.73はリーグNo.1の成績。先発投手として最高の栄誉である「サイ・ヤング賞」も受賞している。
会見に同席した萩原龍大チーム統括本部長は「我々は彼と親交を持っていたこともありまして、1月の中旬くらいにFAになったことを受けて全社をあげて検討した結果、これはぜひ獲得すべきだと決めました」と獲得に至った経緯を説明。
「彼も“沢村賞レベルの活躍をしたい”と言っていますので、優勝に向けた非常に強力な選手としてみています」と大きな期待も口にした。
「とにかく勝つこと、優勝勝ち取ること」
ベイスターズ入団の理由について、バウアーは「日本でプレーすることは、ずっとやりたいことリストに入っていました」と明かす。
「初めて日本を訪れたのは、2009年のアメリカ大学代表のとき。その時の思い出が忘れられないもので、野球に対する愛や熱を感じ、いつかここでプレーをしたいと思うようになった」と日本での思い出について振り返り、「東京ドームで、満員の中で試合をしたのは初めてだったので衝撃的だった。アメリカでは大学野球はそれほど注目を集めないので、プロだとどうなるのだろうか」と期待を膨らませたのだという。
さらにメジャーリーガーになってからも、「2019年に横浜を訪れた際に、ベイスターズが施設を見せてくれまして、まるでホームであるかのように歓迎してくれた。そのこともプレーしたいきっかけになった」。横須賀のDOCKを訪れ、今永昇太らと交流した時のことも決め手となったと語った。
日本での目標は「一番大事にしているのはチャンピオンシップ、勝つということ。個人的には200以上の三振を取りたい、ストレートの球速も平均で96マイル以上は出したいということもあるが、とにかく勝つこと、優勝勝ち取ること」と語り、とにかくチームの勝利を目指すという。
これからのスケジュールについては、「4月中に準備ができれば。試合で投げる状態まで持ってくるには、時間が少しかかるかなと思う」としながらも、「ここまでの調整で、全ての面で強化をしてきた。投げることも続けていましたし、休んでいたことはありません」と状態に不安がないことを強調。
「もっともっと力強くなったと思いますし、ボールも速く感じている。また、新しい球種のスプリットチェンジアップにも取り組んできたし、制球についても向上させることができた」とさらなるスケールアップにも自信を覗かせた。
新事業も発表
新天地での戦いについても「レベルの高い戦いをしたい」と目を輝かせ、具体的には三冠王・村上宗隆(ヤクルト)の名前を挙げるシーンも。
そのうえで、「ベイスターズの優勝に貢献するために、チームメイトと教え合う、学び合うことを一番初めにしたい。それから、大きな視点になりますが、自分は技術・スキル、そして能力を磨くことが好きで、野球を科学するサイエンスベースボールに情熱をかけてやってきた。それを日本でもやっていきたい」と今後の野望についても言及した。
日本のボールに関しても、「半分に切ってみたりして、アメリカのボールと比べても柔らかく、シームの大きさが離れているが、数カ月前から使用していて大きな影響はない」と語り、MLBでも屈指の理論派の一面も見せた。
アメリカでは間隔の短いローテーションを希望していたというが、「中3日での登板のイメージですが、チームの意向が一番。監督が決めることだと思う」とのこと。
続けて「自分自身としてはとにかく勝ちたい、たくさん勝利したい。できるだけ多くの試合、多くのイニングで投げたいですが、チームのベストのために投げたい」と付け加え、あくまでもチームの方針に従うと“優等生”宣言した。
また、この日は自身がデザインを手掛けたアパレルブランド『Bauer Outage』も発表。ユニフォームやTシャツ、タオルがラインナップされており、「停電を意味する“Power outage”にかけて、相手をバッター沈黙させる」という意味が込められているという。
「世界中のアスリートや野球好きの方々に楽しんでもらえるように」という想いも込めて、新天地にやってきた規格外の超大物。ストレートの平均球速「96マイル」を目指すという意味を込めた背番号「96」を背に、横浜の街に四半世紀ぶりの歓喜を巻き起こすキーマンとなる。
取材・文=萩原孝弘