キャンプでドラ6ルーキーが躍動
ハンデを背負った、と形容したらもはや失礼だろう。再開に沈み、オフに二遊間を守ってきた京田陽太(DeNA)と阿部寿樹(楽天)をトレードで放出した中日。
立浪監督はドラフトで指名した7選手のうち、4選手を内野手で固めた。春季沖縄キャンプ、オープン戦から首脳陣の視線を集めたのは、ドラフト6位の亜細亜大・田中幹也。大学時代に大腸の摘出手術をした苦労人が元気よく、グラウンドに駆けだす。
指揮官は「病気のことがありましたから、心配なのは体力。新人はメニューで多少の配慮をして完走させました」。大腸の役割は小腸が補う。ドラ2・村松開人(明治大)らとともに練習をこなし、宿舎へ戻る。ルーキーを一緒くたにしたメニューはあっても、田中だから、という負担軽減はない。ほかの新人とともに汗を流し、ほかの新人とともに実戦をこなし、田中は頭角を現した。
トップに立ったのは3月12日。「2番・遊撃」でスタメン出場し、4打数3安打。オープン戦22打数8安打で打率.364。12球団でトップに立った。
「状態はいいと思います。ダルビッシュさんから打てて、ここから気持ちも楽に打席に立てています」。
大きなきっかけは2日に侍ジャパンと行われた合同練習(バンテリンドームナゴヤ)。米パドレスのダルビッシュの149キロを右前へ弾き返した。
「(見逃しストライクの)スライダーは三塁ベンチからボールが来たと思ったら、直角に曲がって……。どうやったら打てるのか、と思いました」。
経験は翌3日に生きる。侍ジャパンとの壮行試合で今永昇太(DeNA)からもHランプを灯す。俊敏な動きを生かした守備と、小力のあるキレのあるスイング。オープン戦は二塁を中心に、遊撃・龍空が2軍行きを命じられてからはショートにも入った。
難病を乗り越えてプロ入りを果たす
日常生活に不安を抱えてから2年弱。スタートは亜細亜大・3年の夏だった。
北海道合宿での練習中にスズメバチに左腕を刺され病院で血液検査を受けた。
病名を告げられて戸惑う。「潰瘍性大腸炎」。
大腸の粘膜に炎症が起こり、下痢や腹痛、血便などの症状が出る国指定の難病。すぐ帰京して精密検査。そのまま入院となった。
やるだけやってから諦めようと思った。医師と面談し、投薬ではなく全摘出に踏み切った。病気とゆるやかに付き合う、のではなく難病を抱えてプレーする道を選んだ。
薬の種類も、体に合わなかったのはひとつやふたつではない。副反応も出た。
思い切って摘出し、入院後は亜細亜大の寮へ向かう。3カ月の入院中に体重は11キロ減った。その半年後、全日本大学野球選手権大会で日本一チームの主将になった。
グラブのひとつにはハチが刺しゅうされている。「ハチに助けられましたね」。もし刺されていなければ、難病に気付かなかったかもしれない。
「どんなに苦しいことでも乗り越えていける」
そんな気がしている。今年の年明け、中日の選手寮「昇竜館」に入寮した。ほかの選手と一緒に、近くのラーメン店へ向かう。「普通に食べられますよ」。いたずらっぽく笑う。食事に対して、過度に気を使うこともなくなった。体が欲しているから、油分の多いラーメンもすすれる。田中は元気なのだ。
開幕直前の19日のオープン戦で右肩を脱臼した。ただ、シーズンは長い。まず怪我を治し、自力を蓄え、デビューする。
最下位からの逆襲を狙う立浪竜。昨季低迷した高橋周平が打てば勝つ試合が増えるだろう。日の丸を付けた髙橋宏斗の投げっぷりも注目される。エース・大野雄大や楽天からトレード加入した涌井秀章、その横浜高の後輩・柳裕也が安定した投球をみせれば、大型連敗とは無縁になる。
白星に向かって突き進む球団が何より力強い1歩、また1歩を踏み締めていけるキーマンは田中幹也。
BEYOND。その先へ-。あすのプレーされイメージできないどん底を味わった背番号2のフレッシュでハツラツとしたプレーは、チームメートを鼓舞し、見るものを魅了する。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)