“2度目”の開幕投手を担う
3月31日のマウンドに人一倍、強い思いを抱く男がいる。
タイガースの青柳晃洋が“2度目”の開幕投手を担うことが決まった。
「素直に嬉しい。ずっと前から自分が投げると思っていた。昨年は決まっていたけど投げられなかった。テレビで観ているのが悔しかったので」
2度目としたのは、昨年も3月中旬に当時の矢野燿大監督から通達され内定していたから。だが、直前で新型コロナウイルスに感染し断念。後輩の藤浪晋太郎(アスレチックス)に譲る形となった。
キャリア初の大役こそかなわず、シーズンも序盤は出遅れたものの、青柳は復帰後からフル回転して開幕から9連敗していたチームを快投で鼓舞。その後はローテーションを守って2年連続の13勝をマークするなど、最多勝、最高勝率、最優秀防御率の投手3冠で「エース」の称号に違わぬ数字を残した。
ただ、1つだけ手にできなかったものがある。それが、プロ入り後7年間でいまだに経験していないリーグ優勝。
昨年もセ・リーグ2連覇を成し遂げたスワローズとのゲーム差が広がる中でも「僕たちはまだ優勝を目指しているので、トップのチームを倒さないといけない」とナインの思いを代弁するように力強い言葉をつないだ。まだ見ぬ頂点への挑戦は昨年、直前で“足止め”を食らうことになった開幕のマウンドに上がる権利をつかむことから始まった。
「完全無欠」への昇華を期す1年
昨年12月、チーム内での確立された立場とは裏腹に背番号17は危機感をにじませていた。
「金本さんの時に入団して、矢野さんの時に1軍に定着して次、岡田監督になる。監督が替わる時は節目になるので。新しい監督が使ってくれるとは限らないので、しっかり(ポジションを)勝ち取らないといけないですね」
2軍での下積みも経てステップアップしてきた叩き上げの男は“貯金なし”のゼロからのスタートを強調していた。
オフの取り組みからもそれはうかがえた。1月から後輩の村上頌樹、岡留英貴らと行った静岡・沼津での自主トレーニングでは、球場スタンドの階段を駆け上がるなど疲労をためた状態で課すメニューを意識。
「疲れた時でも同じ動きができるかやっている。先発だと7、8、9回投げても落ちない(ように)」と闇雲にスタミナを付けるわけではなく、体がフレッシュでない状態の時にフォームの再現性を落とさずパフォーマンスを維持できるかに主眼を置いてきた。
獅子奮迅の活躍を見せた昨年も8月からの2カ月は2勝にとどまり9月の月間防御率は4.70と疲労が蓄積する時期にやや失速した。長いシーズンで波があることは自覚しているが“下り坂”を短期間にしたい。エースから「完全無欠」への昇華を期す1年と捉えている。
夢を持ち、それを言葉にすることの大切さ
グラウンドを離れても主力としての自覚がにじむ。近年は社会貢献活動に積極的で、オフシーズンには出身の神奈川県横浜市鶴見区に足を運んで小学生に講演活動を行っている。地元に注力するのには理由がある。
「モノやお金を贈ることは簡単ですけど、実際に行って喋る。会うことってすごく大事だと思う。もっとプロ野球選手を身近に感じて欲しいし、鶴見区で“青柳に会ったことあるよ”という人が多くなればいい」
そして、必ず伝えているのが夢を持ち、それを言葉にすることの大切さだという。
「自分のやりたいことを人前で言うのは恥ずかしいですよ。でも、ずっと持ち続けたから叶う。そういう子が1人でも2人でもいたらいいので、あえて言うようにしてます」
ドラフトも下位指名で、変則投法という“マイノリティー”から道を切り開いてきた。後に続く存在が出てきて欲しいと強く願う。
「エース」という称号にはそれほど興味はない。
「それは周りが呼ぶこと、決めることだと思う。それよりも自分はセ・リーグで一番のピッチャーになれるように。チームの優勝に貢献できるようにやっていくだけなんで」
高みに上り詰めても青柳晃洋は“挑戦者”であり続ける。
文=チャリコ遠藤(スポーツニッポン・タイガース担当)