移籍後初の開幕一軍
ロッテの茶谷健太が移籍5年目にして、初めて開幕一軍の切符を掴んだ。移籍2年目の20年は開幕直後の6月21日に一軍登録されたが、これまで1度も開幕を一軍で迎えたことがなかった。
18年オフにソフトバンクを自由契約となった茶谷は、「元々ホークスに残っていれば良かったというようなことも言われるんですけど、やるからには環境変えてここに来たいと思っていた。その中でも、少しでも成長できればいいなと思っています」と、19年に育成選手として入団。同年、打率.271、6本塁打、48打点でシーズンを終え、オフに支配下選手登録を勝ち取った。
支配下選手となった20年はシーズン大半を一軍で過ごしたが、21年は2月1日の春季キャンプ初日に右足ハムストリングスの肉離れで離脱。「下半身の怪我なので、動けないことがあると思うので、体重をまず増やしすぎないように。いつも以上にキレを出すことを意識していました」と、リハビリに励んだ。7月10日のDeNAとの二軍戦で実戦復帰を果たしたが、21年は一軍に一度も昇格することなく、シーズンを終えた。
22年も開幕二軍スタートも、「結果を残すしかないと思って日々やっていました」と、6月は二軍で14試合に出場して、月間打率は.412(51-21)、試合数を大きく上回る18打点。14試合中10試合で安打を放ち、満を持して6月21日に昇格。
プロ入り後初の猛打賞を達成するなど結果を残し始めた中で、7月27日に新型コロナウイルス陽性判定を受け離脱。復帰後、10試合連続で安打なしという時期もあったが、「自分でわかっているところをコーチの方々に聞いて、いろいろ削っていって元に戻せるように思っています」と試行錯誤した中で、調子を取り戻し、9月2日のオリックス戦以降、全25試合ショートでスタメン出場しシーズンを終えた。
「いい時はセンター方向にいっている。打てないとショートゴロ、サードゴロが多かった。とにかくセンター返しを意識しています。やっていたこと、方向性は間違っていなかったのかなと思いました」。
自分の打撃の状態が悪かった時に良い形に戻すための調整方法を見つけ、結果に繋げたことは自信になった。
結果にこだわってきた
茶谷はロッテに入団してから“結果”を残すことで自分の道を拓いてきた。
「結果が全ての世界なので、数字、目に見える部分でしっかりアピールしていきたい」(19年3月4日取材)
「全てにおいてアピールしなければいけない立場。結果だと思う。そこにこだわっていきたいと思います」(19年3月27日取材)
「(前半戦の点数は)0点です。(外国人選手の入団が決まり支配下枠70人の)枠が決まって、結果が残っていないというところ」(19年7月14日取材)
「結果が全てだと思うので、今年の結果じゃダメだということなので、来年(2020年)は規定打席に立って2割8分、9分、10本以上ホームラン打たないと支配下にはあがれない」(19年11月13日取材)
「二軍でしっかり結果を残さないとダメなので、キャンプ初日からアピールして、1日でも早く一軍にいられるように頑張りたいと思います」(20年1月23日取材)
「1打席目は全球スライダーで正直、1打席目はストレートしか狙っていなかった。2打席目はセンター方向を意識した結果、相手の投手も変則だったので、結果を出せて1本打てたのはよかったです」(20年2月8日 支配下登録後初の一軍での実戦で安打後の取材)
「今はたくさんチャンスを頂いている、一軍に上がればもちろんスタメンで出場することが第一の目標にはなりますが、代打だったり少ない打席で一打席一打席結果を残していかないといけないので、その時にしっかり結果を出せるように今はやっています」(22年6月19日取材)
「とにかく結果が出たことは良かった」(23年2月11日 途中出場で安打を放った楽天モンキーズ戦後の取材)
茶谷との取材を振り返っても、入団してからここまで“結果”にこだわってきたことがわかる。“結果”にこだわり、“結果”を残すことで自分の居場所を掴んできた茶谷の2023年がまもなくスタートする。
取材・文=岩下雄太