27日の『ショウアップナイタープレイボール』内で、“ショウアップナイター解説者が語る優勝の舞台ウラ”が放送され、田尾安志氏がリーグ優勝した1985年の西武について語った。
同年の西武は広岡達朗監督4年目のシーズンで、1983年以来2年ぶりのリーグ優勝を果たした。同年にトレードで西武に加入した田尾氏は当時の西武について「渡辺久信、工藤公康が元気で、東尾さんが油を乗り切って絶好調、松沼の兄やんがいて郭泰源がいて、森繁和がいて、高橋直樹さんがいて、投手陣はバッチリいたんですよ。野手陣も石毛、伊東、辻とか若い連中が本当のレギュラーになっていくところで、ものすごく勢いがありましたね」と振り返る。
また、広岡監督の作戦については「送りバントというサインではないんですよ。一塁側へバント、三塁側へバント、プッシュバント、セーフティバントとか、バントでも全部サインの種類が違う」と明かした。
同年優勝したキーマンに石毛宏典を挙げ、「石毛がムード作りをしていましたね。素晴らしいことを言うんですよ」と話していた。
(ニッポン放送ショウアップナイター)
同年の西武は広岡達朗監督4年目のシーズンで、1983年以来2年ぶりのリーグ優勝を果たした。同年にトレードで西武に加入した田尾氏は当時の西武について「渡辺久信、工藤公康が元気で、東尾さんが油を乗り切って絶好調、松沼の兄やんがいて郭泰源がいて、森繁和がいて、高橋直樹さんがいて、投手陣はバッチリいたんですよ。野手陣も石毛、伊東、辻とか若い連中が本当のレギュラーになっていくところで、ものすごく勢いがありましたね」と振り返る。
また、広岡監督の作戦については「送りバントというサインではないんですよ。一塁側へバント、三塁側へバント、プッシュバント、セーフティバントとか、バントでも全部サインの種類が違う」と明かした。
同年優勝したキーマンに石毛宏典を挙げ、「石毛がムード作りをしていましたね。素晴らしいことを言うんですよ」と話していた。
(ニッポン放送ショウアップナイター)