◆ 「タイム」で決勝2ランが幻に
“幻の本塁打”というと、降雨ノーゲームやベース踏み忘れ、走者追い越し、観客の妨害などによるものがおなじみだ。
その一方で、それ以外の「まさか!」のハプニングで本塁打が取り消されたレアケース、あるいは判定の不運によって消えたホームランも少なくない。
今回はそんな幻弾にまつわるエピソードを集めてみた。
文句なしの本塁打を打ったはずなのに、想定外のアクシデントによって幻と消えるアンラッキーに泣いたのが、ロッテ時代の村上公康だ。
1975年6月1日の太平洋戦のダブルヘッダー第1試合。ロッテは3-3の7回一死一塁の場面で、8番・村上が加藤初の2球目を左翼席中段に叩き込み、5-3と勝ち越したかに思われた。
マウンドで頭を抱える加藤を尻目に、待望のシーズン1号を放った村上は「やったあ!」と飛び上がって一塁に向かったが、直後、萩原達也一塁塁審が「加藤が投げる前に一塁走者の新井(昌則)がタイムをかけていた」として、本塁打が無効であることを告げた。
その新井は「三塁コーチの土屋(弘光)さんが加藤の陰に隠れてサインが見えないため、タイムを要求した」と証言。萩原塁審も「新井は『タイム、タイム!』と言ったあと、インフィールドから出てきて、一塁コーチのもとへ相談に駆け寄ったので、タイムをかけた」と説明した。
そんな状況下で“幻の決勝2ラン”が飛び出すのだから、思い切り間が悪かったとしか言いようがない。
結局、村上は打ち直しで二ゴロに倒れ、「せっかくフルスイングできたのに……。変なところでタイムをかけたもんだ。本当にツイてないよ」とぼやくことしきり。
二ゴロが進塁打となり、二死二塁から飯塚佳寛の中前適時打で1点を勝ち越したのがせめてもの救いだったが、9回に同点に追いつかれ、時間切れ引き分け。
もし2ランだったら、1点差で逃げ切っていたところなのに、“痛恨のタイム”となった。
このほか、似たような事例では1966年5月10日の大洋-阪神でも、大洋・近藤和彦のサヨナラ本塁打が“タイムがかかっていた”ことを理由に取り消されている。
◆ 国民的行事「10.8」で“幻の第1号”
一方、シーズン最終戦で飛び出した待望の第1号が幻と消えたのが、巨人・川相昌弘だ。
1994年10月8日の中日-巨人は、どちらにとってもシーズン最終戦で勝ったほうがリーグ優勝というまさに“国民的行事”の一戦だった。
珍事が起きたのは、巨人が6-3とリードし、4年ぶりVまで秒読み態勢に入った9回表だ。
先頭の川相がセンターに大飛球を放つ。グングン伸びた打球は、中堅フェンス上部を越え、バックスクリーンに当たって跳ね返ってきたように見えた。
もし本塁打なら、川相にとってシーズン最終戦の最終打席で飛び出した第1号であるばかりでなく、優勝に花を添えるダメ押し弾である。
ところが、テレビの映像では明らかに打球がフェンスを越えていたにもかかわらず、福井宏二塁塁審は「フェンスに当たった」として、「インプレー!」をコール。
直後、長嶋茂雄監督が当然のようにベンチを飛び出し、全力疾走していた川相が頭から三塁に滑り込むよりも早く、「ホームランだろ!入っているじゃないか!」と小林毅二球審と福井塁審に激しく詰め寄った。
だが、判定は覆らない。長嶋監督も「せっかくウチにいい流れだったので、中断で壊したくなかった」と早めに抗議を切り上げた結果、川相のシーズン1号は三塁打に格下げとなった。
そんな不運にもかかわらず、川相は「優勝すれば(ホームランかどうかなんて)どうでもいいよ。打率も(初めて)3割打てたし、優勝もできたし、とにかく最高です」とつなぎ役の2番としてチームの優勝に貢献できたことを心から喜んでいた。
◆ 「映像がはっきり見えない」
ビデオ判定が導入されたのに、“画像不鮮明”で本塁打と立証できず、幻弾となる珍事が起きたのが2010年3月28日の阪神-横浜だ。
2-1とリードの横浜は6回、先頭の新外国人ホセ・カスティーヨが右翼フェンス際に大飛球を打ち上げた。
打球はフェンスの上部に当たり、グラウンドに跳ね返ってきたように見えたが、吉本文弘一塁塁審は「インプレー!」と判定。しかし、友寄正人球審が「気になった」と同年から導入されたビデオ判定を提案すると、友寄球審と吉本一塁塁審、控えの佐々木昌信審判の3人でビデオを確認した。
その結果、「映像が遠くてハッキリ見えなかった。“だろう”では判定を覆せない。100%フェンスを越えていると断定できなかったので、一塁塁審が見て判断したものを通すことにした」(友寄球審)という判定。なんと導入早々「ビデオ判定不能」というあと味の悪い結果になった。
来日初アーチが幻と消え、二塁打となってしまったカスティーヨは「ホームランと思った。悔しい」とガッカリ。
そして翌29日には、意外な事実が判明する。実は、録画装置がデジタル式の最新型だったにもかかわらず、テレビ画面が横長の「14型ブラウン管」だったため、小さ過ぎて判定できなかったというのだ。
「みんなで頭を寄せて見たけど、スローにすると、白い線になってしまった。現場の意見は審判部長にも伝えます」(佐々木審判)。
この意見が通り、同30日から「32型液晶」に交換されたが、肝心要のモニターが小型サイズだったというのは、間が抜けているとしか言いようがない。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)