巨人・松田宣浩内野手が28日、今季限りでの現役引退を表明し、東京都内で記者会見に臨んだ。
【松田宣浩引退挨拶】
「本日はお忙しい中たくさんの方にお集まりいただきありがとうございます。このような素晴らしい引退会見を用意していただいた読売ジャイアンツ、球団関係者の皆様ありがとうございます。私松田宣浩、今シーズンでユニホームを脱ぎます。現役引退することを決断しましたので、ここにご報告させていただきます。読売ジャイアンツ1年、福岡ソフトバンクホークス17年、18年間のプロ野球生活は私にとって夢のような時間でした。本当に野球が大好きでした。18年間、たくさんの方と出会い、たくさんの方に支えられ、野球をすることができました。本当にありがとうございました」
【一問一答】
―― 引退を決断した理由とタイミングは?
「約1年前に原監督さん、球団関係者の皆さんのご縁で、こうして読売ジャイアンツの一員になることができました。その時に原監督さんからムードメーカーではなく、戦力として考えているという…(涙)。戦力として考えていただけているという温かい言葉をいただいて、飛び込んできました。その中でとにかくジャイアンツのために一生懸命やる、それだけでした。そのために何ができるかと考えてやってきました。その中で、一軍でプレーしても結果というのは出すことができなかったというのが、正直な思いです。その中で2回目の一軍、二軍降格になった夜に、まずは妻にそろそろ引退の時期かなという思いを打ち明けました。正式に想いを伝えたのは、横浜3連戦の最終戦終わった後に原監督さんに自分からお時間をいただき、そこで引退をさせていただきますとご報告させていただきました」
――原監督からどんな言葉があった?
「18年間、よくやってくれたよと温かい言葉をいただいて、本当に結果として出せなかったので、読売ジャイアンツ、原監督さんには申し訳ない気持ちで今はいっぱいです」
――巨人で過ごした時間は?
「この1年、ジャイアンツの皆さんには自分の2つの思い、考えを叶えさせていただきました。まず1つはプロ野球に入った頃から数字よりも40歳までプレーしたいという思いを掲げてプレーしてきて、昨年途切れるかというときに最後チャンスをくれたのもジャイアンツですし、この40歳までプレーするチャンスを与えていただいたのはジャイアンツなので、感謝の気持ちでいっぱいです。自分もプロ野球選手だったのですが当然、野球少年の時に応援していた球団、ファンは必ずあったと思います。自分は家族みんなジャイアンツファンでした。食事を済ませ、宿題を終わらせ、野球の練習を終わらせ、家族みんなでジャイアンツの応援をテレビの前でしました。それくらいジャイアンツが好きだったので、最後こういう…(涙)。ジャイアンツのユニホームを着て野球生活を終えるということは本当に良かったと思います」
――大学卒業からソフトバンクで過ごした17年は
「17年という期間、ホークスでプレーしていいことも悪いことも経験して、プロ野球の世界で数字を出すことができたと思いますし、福岡ソフトバンクホークスで17年間やってこなかったら最後ジャイアンツでもできなかった。両球団には感謝の気持ちでいっぱいです」
――印象に残っているシーンは?
「まずは18年間現役生活終わってみて、一番の打席というのが福岡ソフトバンクホークス時代の2014年のシーズン最終戦、サヨナラヒット。勝った方が優勝という大事な試合でチームのために、あのサヨナラヒットというのは18年間の中で一番の当たりでした。今でも左中間へ飛んでいく当たりであったり、バットの感触は忘れることはありません。ジャイアンツに来てから思うように結果というのが出すことができなかったので、1番の忘れられない出来事というと開幕戦で、東京ドームで打席に立たせていただいた時に、コールされた時にライト側のジャイアンツファンの皆さんから大歓声をいただいたことです。これもようやくジャイアンツの一員になれたなと思いますし、あの歓声は2度と忘れることはできないなと思います」
――ファンの存在、伝えたいこと
「ファンの皆さんあってのプロ野球選手だと思いますし、そういった意味では自分もこの18年間、若い時から今日までファンの皆さんの声援であったり、支えでやってくることができました。その中でファンの皆さんの支えというのは大きかったのかなと思います」
――18年間振り返ってどんな野球人生だった
「1番の目標の先ほども言わせていただきましたが、40歳まで現役でプレーする、一番の目標はクリアさせていただきました。現役引退を発表してから今感じることは、やり残すことがないくらいいっぱい練習しましたし、いっぱいバットを振りましたし、いっぱいボールを捕りましたし、いっぱい声を出しましたし、悔いを残すことなくやってこれたと思います。その中で40歳までできたんですけど、あまり数字にはこだわらなかったんですけど、結局1921試合、1832安打、301本塁打、991打点、ベストナイン1回、ゴールデングラブ8回、オールスター7回と、あまり数字にはこだわってきませんでしたが、とにかく一生懸命やってきた結果がこのような数字が残ったので、私自身、満足のいく数字だったかなと思います。自分を褒めてもいい数字かなと思いました」
――野球人生に点数をつけるとしたら
「若い頃、この辞める2年というのはやっぱりきつい思いをしたんですけど、良い時もあるし、悪い時もあるし、そういった意味では18年間プレーさせていただいたので、点数をつけると100熱男です。100点満点の数字を出してあげたらいいかなと思います」
――熱男が代名詞。想いは?
「うれしく思うのは、ジャイアンツに来ても東京ドームでもジャイアンツ球場でもファンの方がたくさん自分に声援をくださいました。その中で松田選手というよりも、ジャイアンツでも熱男という呼び名で呼んでいただいたので、本当に嬉しく思いますし、2015年に福岡ソフトバンク時代に工藤監督が熱男というスローガンを選んでいただき、当時選手会長ということもあって、熱男というのをただ広めたい、ただそれだけで熱男というのをホームランを打った後に叫んでいました。ホークスでもそうですし、ジャイアンツでも熱男とともに戦って参りました。熱男というパワーはとてつもなくて、自分の中では5メートルくらい飛距離が変わった。熱男と出会ってから、ホームランの数も増えたと思いますので、自分の中では熱男との言葉との出会いというのはプロ野球人生で大きかったかなと思います」
――今後について
「本当に18年間プロ野球選手として1日も力を抜くことなくやってきました。今の気持ちはお腹いっぱい野球をさせていただいた状態です。まずは今年に関しては単身で東京に来ましたし、ジャイアンツでプレーさせていただきました。家族もいつも支えてくれました。その中で、今後はサポートしてもらう側から、サポートしてあげる側にまわりたいと思いますし、家族の存在は大きいので一人の父親として2人の子供、妻のために父親という仕事をやってみたいなと思います。長男も中学校で硬式野球をやっています。ゆっくりみてあげるのも2年ぐらいだと思いますので、まずは息子のために僕が経験してきた野球というのを伝えてあげられたらいいかなと思います。ゆくゆくはプロ野球界にも、ジャイアンツにもお世話になりました。プロ野球界であったり、ジャイアンツであったりに恩返しできるそういった人間になりたいと思いますし、これからの目標としては野球界の松岡修造さんみたいな熱い人間になることを次の目標として、次のステップに入っていけたらいいかなと思います」
――最後に思いを聞かせて
「本当に残りわずかとなりましたプロ野球生活です。ジャイアンツファンの皆さん、福岡ソフトバンクホークスのファンの皆さん、プロ野球ファンのみなさん、松田宣浩が現役選手としてユニホームを着れるのも残りわずかとなったので、最後何日間かわかりませんが、しっかり目に焼き付けていただけたら、これまでやってきたことが正しかったんじゃないかなと思うので、ファンの皆さんにはユニホーム姿をしっかりみていただきたいなと思います」
(取材=ニッポン放送アナウンサー・洗川雄司)
【松田宣浩引退挨拶】
「本日はお忙しい中たくさんの方にお集まりいただきありがとうございます。このような素晴らしい引退会見を用意していただいた読売ジャイアンツ、球団関係者の皆様ありがとうございます。私松田宣浩、今シーズンでユニホームを脱ぎます。現役引退することを決断しましたので、ここにご報告させていただきます。読売ジャイアンツ1年、福岡ソフトバンクホークス17年、18年間のプロ野球生活は私にとって夢のような時間でした。本当に野球が大好きでした。18年間、たくさんの方と出会い、たくさんの方に支えられ、野球をすることができました。本当にありがとうございました」
【一問一答】
―― 引退を決断した理由とタイミングは?
「約1年前に原監督さん、球団関係者の皆さんのご縁で、こうして読売ジャイアンツの一員になることができました。その時に原監督さんからムードメーカーではなく、戦力として考えているという…(涙)。戦力として考えていただけているという温かい言葉をいただいて、飛び込んできました。その中でとにかくジャイアンツのために一生懸命やる、それだけでした。そのために何ができるかと考えてやってきました。その中で、一軍でプレーしても結果というのは出すことができなかったというのが、正直な思いです。その中で2回目の一軍、二軍降格になった夜に、まずは妻にそろそろ引退の時期かなという思いを打ち明けました。正式に想いを伝えたのは、横浜3連戦の最終戦終わった後に原監督さんに自分からお時間をいただき、そこで引退をさせていただきますとご報告させていただきました」
――原監督からどんな言葉があった?
「18年間、よくやってくれたよと温かい言葉をいただいて、本当に結果として出せなかったので、読売ジャイアンツ、原監督さんには申し訳ない気持ちで今はいっぱいです」
――巨人で過ごした時間は?
「この1年、ジャイアンツの皆さんには自分の2つの思い、考えを叶えさせていただきました。まず1つはプロ野球に入った頃から数字よりも40歳までプレーしたいという思いを掲げてプレーしてきて、昨年途切れるかというときに最後チャンスをくれたのもジャイアンツですし、この40歳までプレーするチャンスを与えていただいたのはジャイアンツなので、感謝の気持ちでいっぱいです。自分もプロ野球選手だったのですが当然、野球少年の時に応援していた球団、ファンは必ずあったと思います。自分は家族みんなジャイアンツファンでした。食事を済ませ、宿題を終わらせ、野球の練習を終わらせ、家族みんなでジャイアンツの応援をテレビの前でしました。それくらいジャイアンツが好きだったので、最後こういう…(涙)。ジャイアンツのユニホームを着て野球生活を終えるということは本当に良かったと思います」
――大学卒業からソフトバンクで過ごした17年は
「17年という期間、ホークスでプレーしていいことも悪いことも経験して、プロ野球の世界で数字を出すことができたと思いますし、福岡ソフトバンクホークスで17年間やってこなかったら最後ジャイアンツでもできなかった。両球団には感謝の気持ちでいっぱいです」
――印象に残っているシーンは?
「まずは18年間現役生活終わってみて、一番の打席というのが福岡ソフトバンクホークス時代の2014年のシーズン最終戦、サヨナラヒット。勝った方が優勝という大事な試合でチームのために、あのサヨナラヒットというのは18年間の中で一番の当たりでした。今でも左中間へ飛んでいく当たりであったり、バットの感触は忘れることはありません。ジャイアンツに来てから思うように結果というのが出すことができなかったので、1番の忘れられない出来事というと開幕戦で、東京ドームで打席に立たせていただいた時に、コールされた時にライト側のジャイアンツファンの皆さんから大歓声をいただいたことです。これもようやくジャイアンツの一員になれたなと思いますし、あの歓声は2度と忘れることはできないなと思います」
――ファンの存在、伝えたいこと
「ファンの皆さんあってのプロ野球選手だと思いますし、そういった意味では自分もこの18年間、若い時から今日までファンの皆さんの声援であったり、支えでやってくることができました。その中でファンの皆さんの支えというのは大きかったのかなと思います」
――18年間振り返ってどんな野球人生だった
「1番の目標の先ほども言わせていただきましたが、40歳まで現役でプレーする、一番の目標はクリアさせていただきました。現役引退を発表してから今感じることは、やり残すことがないくらいいっぱい練習しましたし、いっぱいバットを振りましたし、いっぱいボールを捕りましたし、いっぱい声を出しましたし、悔いを残すことなくやってこれたと思います。その中で40歳までできたんですけど、あまり数字にはこだわらなかったんですけど、結局1921試合、1832安打、301本塁打、991打点、ベストナイン1回、ゴールデングラブ8回、オールスター7回と、あまり数字にはこだわってきませんでしたが、とにかく一生懸命やってきた結果がこのような数字が残ったので、私自身、満足のいく数字だったかなと思います。自分を褒めてもいい数字かなと思いました」
――野球人生に点数をつけるとしたら
「若い頃、この辞める2年というのはやっぱりきつい思いをしたんですけど、良い時もあるし、悪い時もあるし、そういった意味では18年間プレーさせていただいたので、点数をつけると100熱男です。100点満点の数字を出してあげたらいいかなと思います」
――熱男が代名詞。想いは?
「うれしく思うのは、ジャイアンツに来ても東京ドームでもジャイアンツ球場でもファンの方がたくさん自分に声援をくださいました。その中で松田選手というよりも、ジャイアンツでも熱男という呼び名で呼んでいただいたので、本当に嬉しく思いますし、2015年に福岡ソフトバンク時代に工藤監督が熱男というスローガンを選んでいただき、当時選手会長ということもあって、熱男というのをただ広めたい、ただそれだけで熱男というのをホームランを打った後に叫んでいました。ホークスでもそうですし、ジャイアンツでも熱男とともに戦って参りました。熱男というパワーはとてつもなくて、自分の中では5メートルくらい飛距離が変わった。熱男と出会ってから、ホームランの数も増えたと思いますので、自分の中では熱男との言葉との出会いというのはプロ野球人生で大きかったかなと思います」
――今後について
「本当に18年間プロ野球選手として1日も力を抜くことなくやってきました。今の気持ちはお腹いっぱい野球をさせていただいた状態です。まずは今年に関しては単身で東京に来ましたし、ジャイアンツでプレーさせていただきました。家族もいつも支えてくれました。その中で、今後はサポートしてもらう側から、サポートしてあげる側にまわりたいと思いますし、家族の存在は大きいので一人の父親として2人の子供、妻のために父親という仕事をやってみたいなと思います。長男も中学校で硬式野球をやっています。ゆっくりみてあげるのも2年ぐらいだと思いますので、まずは息子のために僕が経験してきた野球というのを伝えてあげられたらいいかなと思います。ゆくゆくはプロ野球界にも、ジャイアンツにもお世話になりました。プロ野球界であったり、ジャイアンツであったりに恩返しできるそういった人間になりたいと思いますし、これからの目標としては野球界の松岡修造さんみたいな熱い人間になることを次の目標として、次のステップに入っていけたらいいかなと思います」
――最後に思いを聞かせて
「本当に残りわずかとなりましたプロ野球生活です。ジャイアンツファンの皆さん、福岡ソフトバンクホークスのファンの皆さん、プロ野球ファンのみなさん、松田宣浩が現役選手としてユニホームを着れるのも残りわずかとなったので、最後何日間かわかりませんが、しっかり目に焼き付けていただけたら、これまでやってきたことが正しかったんじゃないかなと思うので、ファンの皆さんにはユニホーム姿をしっかりみていただきたいなと思います」
(取材=ニッポン放送アナウンサー・洗川雄司)