ポスティングシステムを利用してメジャー挑戦を目指したオリックス・山本由伸が、ドジャースへの移籍が決まった。
山本は16年ドラフト4位でオリックスに入団し、2年目の18年に一軍に定着しリリーフで54試合、32ホールド、防御率2.89をマーク。翌19年から先発に転向し、同年最優秀防御率のタイトルを獲得すると、21年から3年連続投手三冠、沢村賞を受賞。今季は23試合・164イニングを投げて、16勝6敗、169奪三振、防御率1.21の成績。チームも21年からリーグ3連覇。日本通算は172試合・897イニングを投げ、70勝29敗32ホールド1セーブ、922奪三振、防御率1.82だ。オリックスの絶対的エースの退団はチームにとってかなり痛い。ただ、山本の穴を1人で埋めるのは難しいが、3年連続二桁勝利を達成した宮城大弥、今季9勝を挙げ新人王に輝いた山下舜平大など力のある若手先発陣が多い。
山本由伸のように圧倒的なエースがメジャー移籍した後、翌年のチームはどんな成績だったのだろうか。当時と今とでは状況が異なり、一概に比較はできないが、参考程度に翌年の成績はどうだったのかみていきたい。
4度の最多奪三振、3度の最多勝、2度の最優秀防御率、日本最終年となった06年に17勝を挙げた松坂大輔がポスティングシステムを利用して、同年オフにレッドソックスに移籍。松坂が日本最終年となった06年の西武は、首位・日本ハムに1ゲーム差の2位。カブレラが打点王を挙げ、和田一浩もリーグ3位の95打点、片岡易之がリーグ2位の28盗塁をマークし、投げては当時2年目の涌井秀章が、松坂に次いでチーム2位の12勝を挙げた。
松坂が作った貯金「12」の退団は西武にとってかなり痛かった。翌07年は66勝76敗2分のリーグ5位に終わり、26年ぶりのBクラスに沈んだ。それでも、片岡が自身初となる盗塁王のタイトルを獲得し、涌井も17勝を挙げ最多勝、当時新人だった岸孝之も11勝。先発陣は涌井、岸、西口文也に続く投手がおらず、リリーフ陣も勝ちパターンを固定することができなかった。
【西武】
06年:2位 80勝54敗2分
07年:5位 66勝76敗2分
日本ハムのダルビッシュ有は2度の最優秀防御率、リーグMVP、3度の最多奪三振、1度の最高勝率、沢村賞、数々のタイトル・表彰を獲得し、チームもダルビッシュが在籍した間に3度のリーグ優勝、1度の日本一。“黄金時代”と呼べる強さを誇った。11年オフに絶対的エースダルビッシュがポスティングシステムを利用してレンジャーズへ移籍。
“絶対的エース”が抜けるだけでなく、12年から栗山英樹監督が就任とチームが大きく変わろうとしていた。前年0勝だった吉川光夫がチームトップの14勝、リーグトップの防御率1.71と大ブレイクし、吉川、武田勝、ウルフの3投手が2桁勝利を達成。リリーフ陣も増井浩俊、宮西尚生、守護神・武田久の勝ちパターンを構築。野手陣も若き4番の中田翔を中心に、リーグトップのチーム本塁打90本、リーグ2位の510得点を挙げ、リーグ優勝を飾った。
【日本ハム】
11年:2位 72勝65敗7分
12年:1位 74勝59敗11分
2013年の楽天は、エース・田中将大が24勝0敗1セーブ、防御率1.27と圧倒的な成績を残し、リーグ優勝した西武戦、日本一を決めた巨人戦では最終回のマウンドに上がるなど、頼りになる絶対的なエースだった。
球団初となるリーグ優勝、日本一を達成し、田中は同年オフにヤンキースへ移籍。投手陣には新人の13年に15勝を挙げた則本昂大が翌年最多奪三振のタイトルを獲得したとはいえ、1人で24個貯金を作った田中の穴を埋めるのはそう簡単なことではなかった。打線も退団したマギーに代わって入団したユーキリスがメジャー時代のような活躍をほとんど見せることができず。チームも最下位に沈んだ。
【楽天】
13年:1位 82勝59敗3分
14年:6位 64勝80敗0分
前田健太は長年低迷する広島のエースとして、どんな時でも腕を振り、3度の最優秀防御率、2度の最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得しチームを引っ張った。13年には球団初のCS出場し、14年は2位とチーム力もだんだんとつけてきた中で、前田が日本最終年は自身は最多勝、沢村賞に輝いたが、チームは3位・阪神に0.5差及ばず4位に終わった。
翌16年は力をつけてきたタナキクマルに加え、鈴木誠也がレギュラーに定着、ベテランの新井貴浩も打線を引っ張った。投手陣も前田の1学年下の野村祐輔がリーグトップの16勝、ジョンソンも15勝、黒田博樹も10勝を挙げた。課題だったリリーフ陣も今村猛、ジャクソン、中崎翔太の勝利の方程式を確立。25年ぶりにリーグ優勝を果たした。
【広島】
15年:4位 69勝71敗3分
16年:1位 89勝52敗2分
4連覇を目指すオリックスは、絶対的エースが退団した来季、どんな成績を残すか注目だ。
山本は16年ドラフト4位でオリックスに入団し、2年目の18年に一軍に定着しリリーフで54試合、32ホールド、防御率2.89をマーク。翌19年から先発に転向し、同年最優秀防御率のタイトルを獲得すると、21年から3年連続投手三冠、沢村賞を受賞。今季は23試合・164イニングを投げて、16勝6敗、169奪三振、防御率1.21の成績。チームも21年からリーグ3連覇。日本通算は172試合・897イニングを投げ、70勝29敗32ホールド1セーブ、922奪三振、防御率1.82だ。オリックスの絶対的エースの退団はチームにとってかなり痛い。ただ、山本の穴を1人で埋めるのは難しいが、3年連続二桁勝利を達成した宮城大弥、今季9勝を挙げ新人王に輝いた山下舜平大など力のある若手先発陣が多い。
山本由伸のように圧倒的なエースがメジャー移籍した後、翌年のチームはどんな成績だったのだろうか。当時と今とでは状況が異なり、一概に比較はできないが、参考程度に翌年の成績はどうだったのかみていきたい。
松坂が退団した翌年の西武
松坂が作った貯金「12」の退団は西武にとってかなり痛かった。翌07年は66勝76敗2分のリーグ5位に終わり、26年ぶりのBクラスに沈んだ。それでも、片岡が自身初となる盗塁王のタイトルを獲得し、涌井も17勝を挙げ最多勝、当時新人だった岸孝之も11勝。先発陣は涌井、岸、西口文也に続く投手がおらず、リリーフ陣も勝ちパターンを固定することができなかった。
【西武】
06年:2位 80勝54敗2分
07年:5位 66勝76敗2分
ダル退団翌年にリーグVの日本ハム
日本ハムのダルビッシュ有は2度の最優秀防御率、リーグMVP、3度の最多奪三振、1度の最高勝率、沢村賞、数々のタイトル・表彰を獲得し、チームもダルビッシュが在籍した間に3度のリーグ優勝、1度の日本一。“黄金時代”と呼べる強さを誇った。11年オフに絶対的エースダルビッシュがポスティングシステムを利用してレンジャーズへ移籍。
“絶対的エース”が抜けるだけでなく、12年から栗山英樹監督が就任とチームが大きく変わろうとしていた。前年0勝だった吉川光夫がチームトップの14勝、リーグトップの防御率1.71と大ブレイクし、吉川、武田勝、ウルフの3投手が2桁勝利を達成。リリーフ陣も増井浩俊、宮西尚生、守護神・武田久の勝ちパターンを構築。野手陣も若き4番の中田翔を中心に、リーグトップのチーム本塁打90本、リーグ2位の510得点を挙げ、リーグ優勝を飾った。
【日本ハム】
11年:2位 72勝65敗7分
12年:1位 74勝59敗11分
圧倒的な強さを誇った13年の楽天
2013年の楽天は、エース・田中将大が24勝0敗1セーブ、防御率1.27と圧倒的な成績を残し、リーグ優勝した西武戦、日本一を決めた巨人戦では最終回のマウンドに上がるなど、頼りになる絶対的なエースだった。
球団初となるリーグ優勝、日本一を達成し、田中は同年オフにヤンキースへ移籍。投手陣には新人の13年に15勝を挙げた則本昂大が翌年最多奪三振のタイトルを獲得したとはいえ、1人で24個貯金を作った田中の穴を埋めるのはそう簡単なことではなかった。打線も退団したマギーに代わって入団したユーキリスがメジャー時代のような活躍をほとんど見せることができず。チームも最下位に沈んだ。
【楽天】
13年:1位 82勝59敗3分
14年:6位 64勝80敗0分
15年の広島は悔しい4位も…
前田健太は長年低迷する広島のエースとして、どんな時でも腕を振り、3度の最優秀防御率、2度の最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得しチームを引っ張った。13年には球団初のCS出場し、14年は2位とチーム力もだんだんとつけてきた中で、前田が日本最終年は自身は最多勝、沢村賞に輝いたが、チームは3位・阪神に0.5差及ばず4位に終わった。
翌16年は力をつけてきたタナキクマルに加え、鈴木誠也がレギュラーに定着、ベテランの新井貴浩も打線を引っ張った。投手陣も前田の1学年下の野村祐輔がリーグトップの16勝、ジョンソンも15勝、黒田博樹も10勝を挙げた。課題だったリリーフ陣も今村猛、ジャクソン、中崎翔太の勝利の方程式を確立。25年ぶりにリーグ優勝を果たした。
【広島】
15年:4位 69勝71敗3分
16年:1位 89勝52敗2分
4連覇を目指すオリックスは、絶対的エースが退団した来季、どんな成績を残すか注目だ。