オリックスは15日、比嘉幹貴投手が今季限りで現役を引退すると発表した。
比嘉は球団を通じて「今シーズンをもちまして現役を引退させていただきます」と報告。「入団した当初は、この年齢までユニフォームを着て戦えるとは思っていませんでした。振り返ると15年間のプロ野球生活でしたが、毎年のようにケガをしたり上手くいかない事が多く、つらい時間が長かったです」と振り返る。
「そんな中、監督、コーチ、球団スタッフ、トレーナーチームをはじめ周囲の皆さんの多大なお力添えをいただけたことで、ここまでプレーすることができました。心より感謝しております」とスタッフに感謝の言葉を並べた。
「野球を教えてくれた父、どんな時も見守ってくれた母、文句一つ言わず野球中心の生活をさせてくれた妻、息子達。家族の支えで今があります。ありがとう。ファンの皆さん、私は京セラドーム大阪のマウンドが大好きです。マウンド上でいただいた、あたたかい声援は、いつも背中を押してくれました。大きなパワーをもらいました。嬉しかったです」。
「2014年に優勝することができず、チームとして本当に苦しい時期が長くありました。どんな時でも声援を送り続けてくださり、やっと優勝できた時に、ファンの皆さんと喜びを分かち合えたときは、幸福感でいっぱいでした。御堂筋での優勝パレードの景色、一生忘れません。色々なことがあったプロ野球人生でしたが、恵まれた環境の中でプレーができて、日本一も経験させてもらい本当に幸せ者です。オリックス・バファローズに入れて良かったです」と、リーグ3連覇、日本一は大きな喜びとなった。
「球団からは記者会見や引退セレモニーの打診もいただきましたし、本来であれば、皆様の前で直接お伝えすべきところではありますが、私自身、そういったことが本当に苦手な性分であり、こうして球団や報道を通じてのご挨拶となりますことをお許しください。15年間、本当にありがとうございました」と報道を通じての挨拶になった理由を説明した。
比嘉は09年ドラフト2位でオリックスに入団し、プロ通算417試合に登板して、26勝11敗93ホールド3セーブ、防御率2.65。ソフトバンクとリーグ優勝を争った14年にはシーズン自己最多の62試合に登板して、7勝1敗20ホールド、防御率は驚異の0.79。リーグ3連覇した21年〜23年にかけても貴重な右のリリーフとして存在感を発揮した。
比嘉は球団を通じて「今シーズンをもちまして現役を引退させていただきます」と報告。「入団した当初は、この年齢までユニフォームを着て戦えるとは思っていませんでした。振り返ると15年間のプロ野球生活でしたが、毎年のようにケガをしたり上手くいかない事が多く、つらい時間が長かったです」と振り返る。
「そんな中、監督、コーチ、球団スタッフ、トレーナーチームをはじめ周囲の皆さんの多大なお力添えをいただけたことで、ここまでプレーすることができました。心より感謝しております」とスタッフに感謝の言葉を並べた。
「野球を教えてくれた父、どんな時も見守ってくれた母、文句一つ言わず野球中心の生活をさせてくれた妻、息子達。家族の支えで今があります。ありがとう。ファンの皆さん、私は京セラドーム大阪のマウンドが大好きです。マウンド上でいただいた、あたたかい声援は、いつも背中を押してくれました。大きなパワーをもらいました。嬉しかったです」。
「2014年に優勝することができず、チームとして本当に苦しい時期が長くありました。どんな時でも声援を送り続けてくださり、やっと優勝できた時に、ファンの皆さんと喜びを分かち合えたときは、幸福感でいっぱいでした。御堂筋での優勝パレードの景色、一生忘れません。色々なことがあったプロ野球人生でしたが、恵まれた環境の中でプレーができて、日本一も経験させてもらい本当に幸せ者です。オリックス・バファローズに入れて良かったです」と、リーグ3連覇、日本一は大きな喜びとなった。
「球団からは記者会見や引退セレモニーの打診もいただきましたし、本来であれば、皆様の前で直接お伝えすべきところではありますが、私自身、そういったことが本当に苦手な性分であり、こうして球団や報道を通じてのご挨拶となりますことをお許しください。15年間、本当にありがとうございました」と報道を通じての挨拶になった理由を説明した。
比嘉は09年ドラフト2位でオリックスに入団し、プロ通算417試合に登板して、26勝11敗93ホールド3セーブ、防御率2.65。ソフトバンクとリーグ優勝を争った14年にはシーズン自己最多の62試合に登板して、7勝1敗20ホールド、防御率は驚異の0.79。リーグ3連覇した21年〜23年にかけても貴重な右のリリーフとして存在感を発揮した。