昨年12月9日に開催された現役ドラフトで矢崎拓也は広島からヤクルトへ移籍した。
矢崎は16年ドラフト1位で広島に入団し、プロ初登板となった17年4月7日のヤクルト戦で、9回一死まで無安打に抑えるなど、8回1/3を2安打1失点でプロ初勝利。しかし、同年の勝利はこの1勝のみ。2年目の18年は一軍登板がなく、19年が5試合、20年が6試合、21年が4試合となかなか結果を残せずにいた。
転機となったのが22年。開幕一軍を掴むと、初登板となった3月29日の阪神戦で1回を無失点に抑え、プロ初勝利以来となる白星を手にする。その後も安定した投球で信頼を積み重ねていき、シーズン途中からセットアッパーを任された。特に8月は8試合を投げ5ホールド、防御率0.00をマークするなど、47試合に登板して、2勝0敗17ホールド1セーブ、防御率1.82と飛躍の1年になった。
翌23年は故障の影響で開幕一軍を逃すも、4月21日に昇格すると、離脱した守護神・栗林良吏に変わって抑えを任され、6月に月間8セーブ、7月は月間7セーブをマーク。8月に打ち込まれる登板が増え、再びセットアッパーに変わったが、最終的にはシーズン自己最多の54試合に登板して4勝2敗10ホールド24セーブ、防御率2.81の成績だった。
昨季も広島のブルペン陣を支える投球で、4月終了時点で9試合・9イニングを投げ5ホールドと最高のスタート。5月は月間防御率4.91だったが、5月は5試合に登板して防御率0.00だった。しかし、7月21日の阪神戦で6失点すると、この登板を最後に一軍登板がなくシーズンを終え、現役ドラフトでヤクルトへの移籍が決まった。
ヤクルトのブルペン事情を見ると、シーズン最終盤に大西広樹、小澤怜史の勝ちパターンが確立されたが、今季は田口麗斗、清水昇が思うような投球ができず、勝ちパターンに苦労。リリーフ陣に不安を抱える中で、矢崎の加入は大きい。新天地で再び躍動したいところだ。
矢崎は16年ドラフト1位で広島に入団し、プロ初登板となった17年4月7日のヤクルト戦で、9回一死まで無安打に抑えるなど、8回1/3を2安打1失点でプロ初勝利。しかし、同年の勝利はこの1勝のみ。2年目の18年は一軍登板がなく、19年が5試合、20年が6試合、21年が4試合となかなか結果を残せずにいた。
転機となったのが22年。開幕一軍を掴むと、初登板となった3月29日の阪神戦で1回を無失点に抑え、プロ初勝利以来となる白星を手にする。その後も安定した投球で信頼を積み重ねていき、シーズン途中からセットアッパーを任された。特に8月は8試合を投げ5ホールド、防御率0.00をマークするなど、47試合に登板して、2勝0敗17ホールド1セーブ、防御率1.82と飛躍の1年になった。
翌23年は故障の影響で開幕一軍を逃すも、4月21日に昇格すると、離脱した守護神・栗林良吏に変わって抑えを任され、6月に月間8セーブ、7月は月間7セーブをマーク。8月に打ち込まれる登板が増え、再びセットアッパーに変わったが、最終的にはシーズン自己最多の54試合に登板して4勝2敗10ホールド24セーブ、防御率2.81の成績だった。
昨季も広島のブルペン陣を支える投球で、4月終了時点で9試合・9イニングを投げ5ホールドと最高のスタート。5月は月間防御率4.91だったが、5月は5試合に登板して防御率0.00だった。しかし、7月21日の阪神戦で6失点すると、この登板を最後に一軍登板がなくシーズンを終え、現役ドラフトでヤクルトへの移籍が決まった。
ヤクルトのブルペン事情を見ると、シーズン最終盤に大西広樹、小澤怜史の勝ちパターンが確立されたが、今季は田口麗斗、清水昇が思うような投球ができず、勝ちパターンに苦労。リリーフ陣に不安を抱える中で、矢崎の加入は大きい。新天地で再び躍動したいところだ。