川本良平さんは2005年にプロ入りし東京ヤクルトスワローズ、千葉ロッテマリーンズ、東北楽天ゴールデンイーグルスで合計12年プレーした元プロ野球選手(捕手)だ。現在は日本を代表するホテルネットワーク「アパグループ」の社員として日々忙しく働いている。
彼とアパグループとの出会いは完全な「縁」で、一般的な就職活動を経て入社したわけではない。千葉ロッテマリーンズの角中選手の激励会でたまたま元谷拓専務と挨拶し、ヤクルトファンでもある兄のCEOに話が伝わったことで、短期間で入社が決まった。
35歳の新入社員がオーナー一族にどう迎え入れられ、どう仕事と向き合ってきたのか?「アパグループ」をどう観察しているのか?アスリートのネクストキャリアにおける「ポイント」をどう言葉にするのか?インタビュー後編ではキャリアと人の縁について語ってもらっている。
――アパホテル入社のきっかけは角中勝也選手の激励会とお聞きしました。
川本 自分が楽天から戦力外通告を受けて、12月に引退を決めて、それから通ったパソコン教室を終えた翌日くらいです。ロッテ在籍時は角中選手と仲が良くて、そのつながりで角中選手の後援会長にも良くしていただいていました。「引退したのだから、サプライズで角中選手の激励会においでよ」と誘ってもらいました。会場は幕張のアパホテル&リゾートでした。
サプライズで行ったつもりが、逆に私へのサプライズがあって「引退式」みたいなことをやってもらったんです。現役のときは「コアラ」が愛称だったので、「コアラのマーチ」をタワーにしていただきました(笑)
――本来はサプライズで角中選手を驚かせるつもりで行ったら……。
川本 角中選手も知らなかったんです。僕がテーブルに座っていたら「なぜいるの!?」と驚きながら登壇していました。
――パソコン教室に並行して、他に人と会ったり、オファーを受けたりということはなかったですか?
川本 独立リーグから選手兼コーチの話はありましたが、当時はNPBへの思いが強く断念しました。軟式野球のチームから監督のお誘いもいただきました。ただ監督になると経験不足が露呈してしまうし、軟式もやったことがなかったので、紹介していただいたんですけどお断りしました。ゲームが好きで、特にドラクエが好きなので、安易な発想でスクウェア・エニックスあたりどう?と思ったりもしたんですけど。よく考えたら無理な話ですよね。
――激励会がどうアパホテル入社に結びついたのですか?
川本 そこに弊社専務の元谷(拓)がいましたが、そのときは本当に挨拶程度。激励会が確か1月16日で、おそらく専務とお会いした次の日に、専務の兄でもある元谷一志CEOに話をしたみたいです。CEOはヤクルトファンで、僕のことを知っていてくれました。
翌日、会社を訪問させていただくことになり、スーツで行きましたが、履歴書も持って行っていません。僕の経歴の話、今までの経緯を話して、最後に会社の話やお誘いがありました。その翌々日に「お世話になります」と連絡をしました。野球しか知らなかった僕を、温かく受け入れてくださる準備をしていただいて、本当に感謝しかなかったです。

――事前にアパホテルについて、どういうイメージを持っていましたか?
川本 専務のアシスタントの方が激励会にいて、当時の会場内での動きがすごく良くて印象的でした。自分も体育会を経験しているので、そういった動きのできる人がいるチームにハズレはないと思ったんです。広告や記事で見るアパグループよりも、アシスタントの行動でいい印象を持ったのが正直なところですね。
――会社には温かく迎え入れてもらえましたか?
川本 入社して1週間後に、月イチの会議があったんです。首都圏の支配人は全員集まって、本社の主要な役職の方もいる、地方ともつないでいる大きな会議です。そこで元谷芙美子社長から「アパが元プロを雇うのは初めてです。あなたはパイオニアになりなさい」と言っていただきました。「石の上にも3年。3年はしっかり頑張りなさい」と言われたことも覚えています。最初にそう話していただいて、「しっかりやりたいな」「やるしかないな」思いました。幸い1、2年経って評価もしていただいて「もしいい人がいたら、元プロを誰か紹介してほしい」という声ももらいました。
――35歳の新入社員というのはどうでしたか?
川本 野球のプライドはもちろんあるんですけど、そのプライドは脇に置きました。サラリーマンとしてのプライドはもうゼロで「何でも吸収しよう」という気持ちで始めたのが結果的には良かったと思います。
パソコン教室に1カ月通いましたけど、今もパソコンは大変ですね。パワポくらいはできますけど、センスの良いものができるかって言われたら……。資料はなかなかうまく作れなくて、いろんな人に助けてもらいながらやっています。
――アスリートの経験が活きたことはありましたか?
川本 提案を却下されてもめげずにまたトライするとか、そういった負けず嫌いの部分はやはりあります。
――印象深い仕事、プロジェクトはありますか?
川本 今置いてある客室のドライヤーは、僕が(元谷外志雄)会長に提案して、受け入れていただいたものです。僕が入社した頃のドライヤーは風量が弱いし、女性の髪を巻き込みやすい形状だったんです。個人的にも、現役時に僕の髪ですら風量が弱いことは不満で、マイドライヤーを遠征に持っていっていたくらいです。
ただ客室のデスクに入らないといけないので、そのサイズに収まる物でなければいけません。コンパクトで風量が強くて、より性能がいいもの……と試行錯誤して選定して、会長にプレゼンして決まりました。今も日本の直営ホテル、フランチャイズのホテルにはそれが入っています。

――「もう1回ここを確認しろ」というような差し戻しもあったのですか?
川本 ありましたけど、会長はただダメというのではなくて、「こういう理由だからダメ」と説明していただけます。なので、次の提案に行きやすいです。オーナー企業でもあるので「これをやる」と言ったら、スピードは速いです。提案もしやすいし、間口を広げて受け入れていただいている。あとは若い層も育つのが早い会社ですね。
――ただ2020年1月からコロナ禍が始まって、ホテル業界にとっては厳しい時期だったと思います。
川本 会長はその前から「怖いのはパンデミックだ」と常々言っていて、本当にそれが来たなというのがありました。会社として残業をなくすといった動きもありましたし、テレワークの採用もありました。政府から会長に直接電話で依頼があり、医療崩壊を防ぐためにホテルを療養用に提供することを即断即決して、ホテル業界では一番先に動いた実績もあります。
――プロ野球人生をやり切ったことが、今の仕事につながっている部分はありますか?
川本 現役をやっている間は誰しもが引退なんて考えていないですし、この職業をずっと長いことやるつもりでいます。「次を考える」のはなかなか難しい部分ですよね。だからこそ、敢えて、選手たちには、準備の大切さや「視野を広く持つ大切さ」を伝えてあげたいと思いますね。
自分も野球しかやっていなかったし、人付き合いも自分の好き嫌いでやれました。だけど現役のときに知り合う野球界の外の方とのつながりは大事にしておいた方が良いなと思います。
――それがあったから角中選手の激励会に呼ばれて、アパホテル入社の話も決まったわけですね。
川本 そうですかね。ただ自分の得だけ考えて行動するのでなく「人」を見て接して、付き合った方がいいと思います。中には「選手をうまく利用して、何かやってやろう」という人もいるでしょう。見極めは難しいかもしれません。ただ「相談できる人」を作っておいた方がいいと思いますね。角中選手の後援会長には、紹介いただいた形になったので、「ちょっと飛び込んできます」と伝えて、「アパグループだったら大丈夫じゃない?」と言っていただきました。
――川本さんは元プロ野球ですし、捕手という立場もあって「観察力」は磨かれたと思います。そんなところは仕事で生きていませんか?
川本 相手の目や仕草、行動を見て「この人は、今こう思っているだろう」と言うことは考えています。現役の時もバッターの表情、仕草を見ながら、「この人はこう考えているだろう」「こういう性格だろうな」と分析して、メモにも残していました。
――プロ野球に戻る選択肢があるかもしれないし、アパグループでずっと過ごすのかもしれませんが、これからのキャリアについてはどんな目標を持っていますか?
川本 会社にいる以上は上に行きたい気持ちがありますし、そのためにいろいろやらないといけないことばかりです。今も日々精進しています。とはいえ野球界に未練がないと言ったら嘘になりますし、少しでも野球界に恩返しができたら……という思いも入社したときから持っています。

――ホテルの元谷芙美子社長から「支えてあげて」と言われたそうですが、その後もアドバイスややり取りはありましたか?
川本 本社にいるので会えば「よう頑張っとるね」と言っていただけます。入社してすぐの頃はマンション営業に一緒に連れて行ったりもしていただきました。3度の飯より営業がお好きなホテル社長で、本当にパワフルな方ですし、勉強になりますよ。
――勉強になるのはどういうところですか?
川本 商談では、どこで懐に入るか入らないか、牽制し合う部分もあるじゃないですか。そこで躊躇なく踏み込める器量がスゴいなと思いますね。行きすぎず、でも引きすぎずという間合いがあります。
――プロ野球に限らず、ネクストキャリアに悩んでいるアスリート、どうしたらいいかわからず困っているアスリートがいると思います。そういう方へアドバイスはありますか?
川本 僕しかり、他のプロ野球OBしかり、他業種で活躍している人はいるので、そういう人の話を聞くのがまず大事かなと思います。あとは視野を広く持ってほしいですね。野球界、スポーツ界以外のことを知れれば、プラスしかないと思います。本当に話を聞きたい方がいれば、私も力にもなります。いろんな業種、企業の方から「紹介してほしい」という話も実際いただいています。営業職で雇いたいところもあれば施設の支配人を……という会社もあります。アパホテルと関係ないところで、個人としてそういう話をいただいています。スポーツ選手のセカンドキャリアに力を入れている企業におつなぎすることもできます。現役として頑張りつつ、何か困ったことがあれば、遠慮なく言ってください。
―――――
取材=大島和人
写真=須田康暉
―――――