巨人出身の人的補償といえば
2017年のプロ野球界はこのニュースから始まった。DeNAが巨人にFA移籍した山口俊の人的補償として、平良拳太郎の獲得を発表。すでに入団会見も開かれ、背番号も59に決定した。
毎年、様々なドラマを生むFAプロテクトリストだが、過去の例を見ても28名から漏れて人的補償で移籍する選手のタイプは大きく分けて「A.一軍実績のほとんどない二軍の若手」、「B.30歳前後のアラサー一軍半選手」、「C.キャリア晩年のベテラン」の3パターンとなる。
例えば、一岡竜司(広島)や奥村展征(ヤクルト)は、移籍当時はAパターンの一軍実績のほとんどない二軍の若手だったし、12年1月に村田修一の人的補償でDeNAに移籍した藤井秀悟(当時34歳)はCパターンのベテラン枠だ。もちろん今回の平良も一軍実績は1試合登板のみなので、Aパターンとなる。今回はそんな近年の巨人FA人的補償選手をタイプ別に振り返ってみよう。(選手の年齢はすべて移籍当時)
▼ A.一軍実績のほとんどない二軍の若手
13年 一岡竜司 投手/23歳
(広島⇔大竹寛)
☆2年連続二桁勝利を挙げていた大竹寛の人的補償は、巨人で二軍のクローザーを務めていた一岡竜司。プロ2年間で一軍通算登板は13試合ながらも、今回の平良と同じく直前までプエルトリコのウインターリーグに派遣されるなど球団の期待は高かった。ちなみに当時のスポーツ新聞で、補償候補として名が挙がったのはこの一岡、田原誠次、公文克彦の3名。まさかの移籍劇に一岡は引っ越したばかりの都内近郊の新居を数週間で引き払うハメに…。
14年 奥村展征 内野手/19歳
(ヤクルト⇔相川亮二)
☆38歳ベテラン捕手の人的補償は、なんと19歳奥村。巨人在籍期間はわずか1年。一軍出場なしの高卒2年目選手の移籍は物議を醸すが、その裏には捕手を狙うと思われていたヤクルトが、巨人を自由契約となった井野卓との交渉を水面下で進める等の駆け引きが繰り広げられていた。岡崎郁元二軍監督から「あまりにも礼儀正しすぎて心配なくらい」と絶賛された好青年はわずか1年で巨人を去ることに…。
▼ B.30歳前後のアラサー一軍半選手
13年 脇谷亮太 内野手/32歳
(西武⇔片岡治大)
☆前年度は49試合の出場。故障もあり、徐々に出場機会が減っていたところに同ポジションの片岡加入に伴い西武へ。新天地では趣味の「釣り部」を結成するくらい馴染み、2年目には118試合で打率.294の好成績を上げる活躍。15年オフ、現役時代に自主トレをともにした由伸新監督を慕い、史上初の人的補償選手の出戻りFA復帰を果たした。
▼ C.キャリア晩年のベテラン
05年 江藤智 内野手/35歳
(西武⇔豊田清)
☆球界を代表するホームランアーティストも05年には本塁打0。それでも新天地での復活を期待され移籍。のちに清武英利元GMが自著『こんな言葉で?られたい』(文春新書)の中で、「手違い」でプロテクトリストから漏れてしまったと告白。事前に西武代表からは「人的補償なし」との表明があり、ベテランはリストから外したが、現場が元本塁打王の獲得を熱望したという。江藤は引退後、コーチとして巨人復帰。17年は一軍打撃コーチを務める。
07年 工藤公康 投手/43歳
(横浜⇔門倉健)
☆通算215勝を挙げていた名球会サウスポーがまさかの人的補償に。00年にともに巨人に移籍してきた江藤と同じく、FA移籍と人的補償選手としての移籍を経験。なお工藤本人はテレビのインタビューで「自分が球団代表でも43歳の投手はプロテクトしない」と冷静にコメント。ハマのおじさんは移籍初年度に7勝を挙げる活躍を見せた。
11年 藤井秀悟 投手/34歳
(横浜⇔村田修一)
☆ヤクルト時代の01年最多勝投手も、巨人2年目は登板機会に恵まれず低迷。1試合で0勝に終わり現役引退も囁かれていた藤井だったが、横浜移籍で奮起し貴重な先発左腕として2年間で13勝を記録。村田修一も不動の三塁手として原巨人V3に貢献した。まさに双方球団にWin―Winの人的補償だったと言えるだろう。なお藤井は現在、背番号221をつけ巨人打撃投手として第2の人生を送っている。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)