メジャーキャンプに招待
アリゾナ・ダイヤモンドバックスは現地時間9日(日本時間10日)、球団公式Twitterでキャンプの招待選手を発表。その中にある日本人選手の名前があった。元ロッテの左腕・中後悠平である。
招待選手14名のうち、投手は10名。そのうち左腕は中後を含めて4名いた。招待選手がメジャーの25人枠に入るには、キャンプとオープン戦でよほどの好成績を残さなければ難しいと言われている。ただし、メジャーは年間162試合を戦う長丁場。選手に故障はつきものであり、たとえ開幕メジャーを逃したとしても、マイナーで結果を残していればチャンスは巡って来ることだろう。
中後が所属するダイヤモンドバックスの投手陣は、昨季のチーム防御率が5.09。これはメジャー全体で見てもワーストの数字であり、投手陣の整備が急務となっている。
特に厳しいのが左腕で、昨シーズン25試合以上に登板した救援左腕はたった一人だけ。その投手も防御率は6.75と、投手が苦しいチーム事情の中でも大きな弱点となっている。そのため、中後にチャンスが巡って来る可能性は高いといえるだろう。
どん底から這い上がった男
2015年のオフに、ロッテを戦力外となった中後。年末のテレビ番組でも取り上げられ、大きな話題になった。
現役続行を目指して挑んだトライアウトでも散々な結果に終わってしまうが、番組の特集のおかげで中後の人生が大きく変わる。
その放送をたまたま見ていたメジャースカウトが中後との接触を試み、年が明けて2016年の2月にはダイヤモンドバックスと契約。アメリカから野球人生の再出発を切ることになったのだ。
当初はルーキーリーグからのスタートとなるも、夏場には3Aまで昇格。マイナーでは合計30試合に投げ、防御率は1.23をマーク。29回1/3を投げて40三振を奪う好投を見せた。
その他にも13試合連続無失点や、対左打者の被打率は.154(対右打者は.273)など、与えられた役割を果たしたが、メジャー昇格はあと一歩叶わず。それでも今年、その活躍が認められてメジャーキャンプに招待を受けるまでに至った。
20年前の変則左腕のように
中後といえば、“和製ランディ・ジョンソン”とも評されたその独特なフォームが有名。日本人の変則左腕でメジャーに挑戦した選手と言えば、元巨人の柏田貴史の名前を思い出す。
今からちょうど20年前の1997年、野球留学という形でメジャーに挑戦した柏田。巨人ではなかなか一軍に定着することができず、実績もなかったことから無謀な挑戦と思われたが、5月にメジャーデビューを果たすとその月は11試合に登板して防御率1.64と好成績を残した。
終盤は打ち込まれるケースも増えたものの、それまで日本でプレーした7年間の通算を上回る35試合に登板。中継ぎ専門ながら3勝を挙げ、防御率4.31という成績だった。
翌年、巨人に復帰すると、1999年から2000年にかけては2年連続で50試合以上に登板。左の中継ぎエースとして貴重なはたらきを見せ、チームの日本一に大きく貢献している。
メジャーまであと一歩のところまで来た中後は、20年前の柏田のように日本の野球ファンを驚かせることができるだろうか…。26歳の若さで「戦力外通告」を受けた男が夢を掴む瞬間は、もう目前に迫っている。
文=八木遊(やぎ・ゆう)