ダイハード打線を知る戦士がまたひとり…
6月20日、ロッテの井口資仁が今シーズン限りでの現役引退を表明した。
日米5球団を渡り歩き、通算2244安打を放った文句なしのレジェンド選手。これにて21年間の現役生活に別れを告げることになったが、この引退によってまたひとり、福岡ダイエーホークス時代を知る選手が球界を去ることになる。
今季でロッテの在籍年数が9年になったため、若いファンにはあまり馴染みがないかもしれないが、井口が最初に所属していた球団は福岡ソフトバンクホークスの前身であるダイエーだ。
97年に入団すると間もなくショートのポジションでレギュラーの座をつかみ、その後セカンドにコンバート。01年には盗塁王となり、03年には最強打線「ダイハード打線」の中軸を担って2度目の盗塁王に輝くなど、チームの日本一に大きく貢献した。
ダイエーは04年オフに身売りしたため、現在の親会社であるソフトバンクに引き継がれた。そのため、ダイエー時代を知るメンバーは徐々に減少し、現役選手では以下のメンバーになった。
【残るダイエー戦士】
・川崎宗則(99年ドラフト4位/36歳)
・山崎勝己(00年ドラフト4位/34歳)※現オリックス
・寺原隼人(01年ドラフト1位/33歳)
・杉内俊哉(01年ドラフト3位/36歳)※現巨人
・和田 毅(02年自由枠/36歳)
・城所龍磨(03年ドラフト2位/31歳)
・明石健志(03年ドラフト4位/31歳)
03年の日本一当時、SWAT(杉内・和田・新垣渚・寺原)と称された4人中3人が未だ現役を続けている一方で、ダイハード打線のメンバーはほとんど引退した。
唯一残っているのは、当時プロ入り4年目だった川崎のみ。城所と明石に至ってはこの年のオフにプロ入りをした選手たちである。現在では全員が30歳を超えており、ダイエー戦士の絶滅もそう遠くない未来になりつつある。
「最後の○○戦士」に共通するポイント
では、他球団の「最後の○○戦士」となったのは一体誰だったのか。サンプル数が少ないため、70年代以降になくなってしまったチームで調べてみた。
70年以降に親会社が替わったことでチーム名が変更された、または消滅したというチームは12例。そのなかでもすでに現役を引退し、「最後の○○戦士」となっているのは以下の選手たちとなる
【最後の○○戦士】
▼ 東映フライヤーズ/日拓フライヤーズ
・岡持和彦(1970~1988)
▼ 西鉄ライオンズ
・若菜嘉晴(1972~1991)
▼ ヤクルトアトムズ
・杉浦 享(1971~1993)
・八重樫幸雄(1970~1993)
▼ 太平洋クラブライオンズ/クラウンライターライオンズ
・真弓明信(1973~1995)
▼ ロッテオリオンズ
・堀幸一(1988~2009)
▼ 南海ホークス
・大道典良(1988~2010)
▼ 阪急ブレーブス
・中嶋 聡(1987~2015)
▼ 横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ
・三浦大輔(1992~2016)
ここまで“最後の○○戦士”を見ていくと、ある傾向に気づく。それは野手なら「勝負強い打撃を売りにする選手」か「捕手」が多く、投手なら「球威よりも投球術で勝負するタイプ」が多いということだ。
加齢によって衰えが目立ってくると、まず走力や筋力から落ちてくる。そこで若い選手と競争するのは難しいものがあるが、重要な局面での代打となれば、豊富な経験がなによりの武器になる。同じく経験が重要なポジションである捕手の選手寿命が長いのもよくわかる。
絶滅が危惧される“○○戦士”
最後に、現役選手たちで“最後の○○戦士”となりそうな候補を紹介しておこう。
大阪近鉄バファローズに在籍経験のある“近鉄戦士”は、MLBのマリナーズで活躍している岩隈久志と、国内ではヤクルトに所属している近藤一樹、坂口智隆の3名。ブルーウェーブ時代を知るオリックスの“青波戦士”に至っては、昨年オフの後藤光尊の引退により、とうとうイチローのみとなってしまった。
調べてみると、興味深い名前が並ぶ「最後の○○戦士」たち。だが一方で、かつての名門チームがなくなってしまうのを目の当たりにすると、仕方がないこととはいえ、寂しい気持ちになるのもまた確かだ。
「がんばろうKOBE」のフレーズで神戸の街を盛り上げた青波戦士もイチローが最後と聞くと、時代の流れを感じざるを得ない。
文=福嶌弘(ふくしま・ひろし)