コラム

阪神・鳥谷の金字塔を支えた2つのキーワード

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阪神・鳥谷敬(C)KYODO NEWS IMAGES

白球つれづれ~第28回・Wの歓喜~


 今からさかのぼること18年前。西武ライオンズのスカウト会議ではある選手の獲得を巡って激論が交わされたという。

 埼玉・聖望学園の強打者である鳥谷敬。地元出身であり、本人もライオンズファンだという。だが、最終結論は高校生野手の上位指名は断念。これで終わった話にはおまけがつく。ドラフト当日に鳥谷ではなく、急転、3位で指名したのは同じ埼玉栄高の大島裕行だった。当時の高校通算本塁打記録である86本をマークした稀代の長距離砲に夢を託したのだ。

 すでに現役を引退して現在は球団の編成部門で働く大島だが、プロで“大輪の花”を咲かすことは出来なかった。逆に早大に進学した鳥谷は、順調に成長して4年後に阪神の自由枠1位で入団。そして、この9月8日のDeNA戦で史上50人目の2000本安打を達成した。球団では83年の藤田平以来34年ぶりだが、本拠地・甲子園での快挙達成は史上初だ。

「あの時に鳥谷を指名していたらどうなっていただろうね?」とは、ある西武関係者のため息である。


練習の虫


 鳥谷の金字塔を振り返るとき、欠かせないフレーズが2つある。「ストイック」と「我慢強さ」だ。早大時代の恩師である監督・野村徹は鳥谷の野球に対するひたむきさを証言する。

「人の三倍は練習していた。練習好きという選手は数多く見てきたが彼ほどはいませんでした」

一年からレギュラーに抜擢されると順調に成長して二年時には三冠王も獲得。この頃、ようやく頭角を現すのが同級生の青木宣親だ。こちらはヤクルトにドラフト4位で入団後海外に挑戦、今季はアストロズでスタートするもブルージェイズ、メッツと移籍して日米8球団目という野球界の渡り鳥だ。鳥谷も実は14年オフに海外FA権を行使してメジャー挑戦を表明した時期がある。結局、交渉の過程で条件面の折り合いがつかず断念して阪神一筋を決意した。その青木が今年6月に一足早く日米通算2000本を記録。それから3カ月後に大学の同級生が肩を並べた。

「同期の中でも実力は突出していた。それなのに誰よりも練習するし、野球に対する意識が人一倍強かった。彼の姿を見て、自分ももっと練習をしないとダメだと思った」とは青木が鳥谷の2000本達成に寄せたコメント。いかにストイックに野球に打ち込んできたかがわかる。


2つの我慢強さ


「我慢強さ」にはいくつもの側面がある。ケガに対する強さは一流選手の証、07年の死球による肋骨骨折をはじめ、腰椎、再び肋骨、そして今年5月の巨人戦では吉川光の投球が顔面を直撃して鼻骨骨折。そのたびに欠場を余儀なくされる危機を迎えながらグラウンドに立ち続けた。球団トレーナーの伊藤健治は鼻骨骨折で病院へ付き添った際に信じられない言葉を耳にする。

「明日、試合に使ってくれるなら出られます。出られる準備はします」鳥谷の気迫に衝撃すら覚えたという。故障やケガがもとでレギュラーの座を奪われた選手は何人もいる。翌日、フェイスガードを着用して代打で登場した鳥谷は、数日後には三塁の定位置に戻っていた。

 もう一つの我慢強さは打席での選球眼に表れている。9月11日現在、鳥谷の四球数は992個。あと8つフォアボールを選べば「1000」の大台に達する。2000本安打に1000四球を同時に達するとこれは、史上15人目の隠れた大記録となる。打者には好球必打で初球から積極的に打って出るタイプと、甘い球をじっくり待って見極めるタイプがいるが、鳥谷は完全な後者のタイプ。13年には104個の四球を選んで3年連続最多四球をマークするなど、優れた選球眼があるからこそ多くの安打を量産してきた。

 決して派手さはないが、いぶし銀のようなチームに欠かせぬベテラン。2001本目の安打が翌日のサヨナラ打にもなり、猛虎に勢いまで戻ってきた。記念に発売された「鳥谷Tシャツ」は爆発的な売れ行きで、球団のオンラインショップのサーバーが予約の殺到でダウンしたとか。地味な職人がど派手な主役になる日があってもいい。


文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
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