白球つれづれ~第32回・宮本慎也
良薬は口に苦く、劇薬は時にして副作用を生む…。
ヤクルトの来季ヘッドコーチに現評論家・宮本慎也の就任が決まった。この男、“良薬”どころか、さしずめ“劇薬”の役割を期待されている。それほど現在のスワローズの置かれた立場は厳しい。何はともあれ、チーム再建の切り札が4年ぶりに古巣へ帰ってきた。
45勝96敗2分。球団ワーストの大敗を喫して最下位に沈んだ。指揮官の真中満は責任を取って退陣。就任1年目にはリーグ優勝を成し遂げたものの、その後は相次ぐ主力選手の故障、戦列離脱に悩まされて最悪の結末を迎えた。
後任監督に指名されたのは前監督であり、今年までチームのシニアディレクターを務めていた小川淳司だ。チームの生え抜きであり、コーチ、監督からスカウトなどほとんどの要職を歴任。球団上層部では戦力分析を進め、来季以降の立て直しを検討するうえで根本からの大改革を決断する。「現在の戦力のままでは優勝は難しい。まず戦力を整えチーム力を上げてほしい」と球団社長の衣笠剛は語り、その先導役に小川と宮本を指名したのだ。
最下位チームに必要な“厳しさ”
温厚な性格で知られる小川に対して、宮本は歯に衣着せぬ言動で知られている。今回のヘッド就任に際しても、球団の一部には異論があったと言われる。
引退発表の席上で「このチームに明るい未来はないと思う」と言ってのけたと思えば、スポーツ紙上の評論でも辛口の“宮本節”を連発。「彼にはチーム愛がない」という球団幹部もいた。だが、この厳しさこそが今のヤクルトに必要であり、「ぬるま湯」と指摘される球団の体質を改善するには、宮本に託すしかないのが実情だった。
PL学園から同志社大、社会人のプリンスホテルを経てヤクルトに入団。当初は守備の人のイメージが強かった。しかし、名将・野村克也の監督就任と同時にいわゆる「ID野球」を叩き込まれると打撃面も急成長。プロ通算2133安打、ゴールデングラブ賞の受賞は10度を数える。選手生活の晩年には2004年のアテネ、08年の北京五輪の日本代表主将に任命されるなどリーダーシップも高く評価された。
「野村さんと巡り合わなかったら今の自分はない。今でもあの人に足を向けて寝られない」と語るほど野村野球の信奉者。野球に取り組む姿勢は妥協を許さぬ求道者のようであり、「今の若者は試合を楽しみたい、というが信じられない。自分は野球を楽しいと思ったことは一度もない」と斬り捨てる。
「『何とかしないと』という気持ちしかない」
10月5日。新たなスタートを前に小川は全選手、スタッフの前でチーム全体の底上げと、それを実現するための個々の自覚、目的意識の大切さを訴えた。そして宮本ヘッド起用には「精神面の強化に期待する。緊張感をもって厳しくも出来る」と説明した。
かつて、万年Bクラスに甘んじてきたツバメ軍団が強豪の仲間入りを果たしたことが2度ある。70年代後半の広岡達朗、90年代前半の野村克也両監督の時代である。共に球団生え抜きではなく、厳しい指導と新たな戦い方で結果を残した。彼らもまたチーム改革のための“劇薬”だった。
「これだけ勝てなくなったチームを目の当たりにして、『何とかしないと』という気持ちしかない」。ヘッド就任発表の席で語った宮本の言葉には、古巣への愛情とともにチーム再建の強い思いが見える。
先日、広島の石井琢朗打撃コーチと河田雄佑外野守備走塁コーチの今季限りの退団が発表された。ヤクルトは全日程終了後に、この2人の招請に動くと報じられている。12球団トップのチーム打率を誇る強力打線をけん引した石井と、赤ヘル機動力野球を推進した河田。こうした外部の血の導入も今のチームには必要不可欠だろう。
小川・宮本体制でチームの根本改革に乗り出し、その先には監督・宮本慎也の青写真も描かれていることだろう。鬼軍曹はどう選手の意識を変え、戦う集団に導いていくのか。11月2日から愛媛・松山で秋季キャンプはスタートする。
はやくも戦々恐々…? “劇薬”の化学反応に注目したい。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)