ラミレス監督の奇襲采配の象徴になった細川成也
パ・リーグの王者ソフトバンクと、セ・リーグのクライマックスシリーズ(以降CS)を勝ち上がり19年ぶりの日本シリーズ出場を果たしたDeNA。連日のように手に汗握る死闘を繰り広げた両者の日本シリーズは、延長にもつれ込んだ第6戦、川島慶三のサヨナラタイムリーでソフトバンクが勝利を収め、2年ぶりの日本一に輝いた。
あと一歩のところで力及ばず敗れたDeNAだったが、若手選手たちにとってはまたとない経験になったはずだ。そのなかで最年少選手だったのが、19歳の細川成也である。チームが最後に日本一になった1998年に生まれた高卒ルーキーだが、シーズン終盤の10月3日に一軍に昇格すると同日の中日戦でプロ初打席初アーチの離れ業をやってのけ、さらに翌日も本塁打を放った。
この細川の活躍を見たラミレス監督は、リーグ優勝が懸かるCSのロースターに大抜擢。細川もその期待に応えるように、セ・リーグ1位の広島とのCSファイナルステージ5戦目ではセンター前へタイムリーを放ち、貴重な戦力となった。さらに日本シリーズでも1戦目に代打で出場すると安打を放ち、日本シリーズ初出場で初安打を記録。高卒新人野手としては史上初となる快挙を成し遂げた。
短期決戦の日本シリーズで10代の選手がロースターに入ること自体珍しく、それはまさしく期待の現れでもある。実際、過去に日本シリーズに出場した10代の選手たちは、その後チームの主力選手に育つケースが多い。そこで、過去の日本シリーズ出場を果たした10代選手たちを調べてみた。
清原以外の10代野手も日本シリーズで奮闘
対象としたのは過去30年(1986~2016年)の日本シリーズに出場した10代の選手たち。まずは野手から見ていこう。
▼清原和博(西武)
1986年日本シリーズ vs.広島
8試合出場 31打数12安打 打率.355 1本塁打 2打点
西武黄金期の象徴ともいえる清原。鳴り物入りで入団したルーキーイヤーは打率.304、31本塁打、78打点と驚異的な活躍を見せ、シーズン終盤からは19歳にして4番に座った。日本シリーズでも4番打者としてフル出場を果たしたが、意外にもシリーズ5戦目までは単打しか打てず、打率も.200に抑え込まれている。
ところが1勝3敗1分けと劣勢の状況だった第6戦に大野豊から本塁打を放つと、息を吹き返してその後の3戦は11打数6安打と大当たり。西武の逆転優勝の立役者となり、優秀選手賞を受賞している。その後はリーグを代表する打者に成長し、主要打撃タイトルこそ取れなかったものの、通算2000安打、500本塁打を達成するなど球史に残るスラッガーに成長した。
▼立浪和義(中日)
1988年日本シリーズ vs.西武
5試合出場 17打数2安打 打率.118 0本塁打 0打点
シーズン打率は.223という数字だったものの、堅実な守備と走塁技術を買われてレギュラーに定着した立浪。日本シリーズでも全試合にフル出場を果たしたが、肝心の成績はイマイチだった。
しかし、翌シーズン以降もレギュラーとして活躍。二遊間だけでなく、三塁や左翼の守備にもつき、二塁、三塁、遊撃の3ポジションでゴールデングラブ賞を受賞するなど、長きにわたってチームをけん引した。また、課題となっていた打撃でも3割を7度も記録し、通算二塁打487本はNPB最多記録として残っている。
▼平田良介(中日)
2007年日本シリーズ vs.西武
4試合出場 7打数1安打 打率.143 0本塁打 1打点
誕生日が3月のため、プロ2年目のシーズンも10代で日本シリーズを迎えた平田。シーズン終盤に昇格するとその勢いのまま巨人とのCSでも全試合スタメン出場を飾る。日本シリーズでは打率1割台にとどまってはいるが、第5戦目でダルビッシュ有から犠牲フライを放ち1点をもぎ取ると、これが決勝点となり中日が日本一の栄誉を手にした。
その後、やや時間はかかったものの6年目の2011年にレギュラーに定着し、今度は主力選手のひとりとして2度目の日本一を経験した。
▼近藤健介(日本ハム)
2012年日本シリーズ vs.巨人
3合出場 3打数0安打 打率.000 0本塁打 0打点
ドラフト4位指名の高卒野手だったが、早くから一軍に昇格した近藤。日本ハムの新人捕手としては56年振りとなるレギュラーシーズンの一軍スタメンを飾るなど期待され、そのまま日本シリーズでも代打で3試合に出場。数少ない打席の中で結果を残すことはできなかったが、この経験を糧にチームの主力打者へと成長。2017年シーズンには規定打席にとどかなかったものの打率4割をマークするという異次元の打席成績を残している。
日本シリーズでプロの洗礼を受け続けた投手たち
続いては投手陣。過去30年を振り返ると3人が日本シリーズで登板を果たしている。
▼桑田真澄(巨人)
1987年日本シリーズ vs.西武
2試合登板(2先発)0勝1敗 防御率4.91
野手の平田同様、桑田も早生まれのため、2年目のシーズンも10代で日本シリーズを迎え、初出場。プロ1年目こそ振るわなかった桑田だが、2年目のこのシーズンは15勝6敗、防御率2.17の大活躍で最優秀防御率、そして沢村賞を獲得するなどのブレイクを遂げた。
この勢いのまま日本シリーズでは初戦から先発したが、初回に2点を失うなど、2試合を投げて0勝1敗とプロの洗礼を浴びている。しかし、翌年以降も桑田は巨人のエースとして奮闘し、現役22年間で173勝を挙げた。
▼石井一久(ヤクルト)
1992年日本シリーズ vs.西武
2試合登板(1先発)0勝1敗 防御率4.91
野村克也の奇襲作戦と称されたのがこの石井一久の登板だった。レギュラーシーズン未勝利の高卒ルーキーが日本シリーズの第3戦に先発するという奇襲だったが、熟練の西武打線には通用せず、4回に2点を失い降板。敗戦投手となっている。
その後の石井は第6戦でリリーフ登板を果たしたが、打者3人に2四球を与えるなど結果は伴わなかった。しかし、制球難を荒れ球というスタイルに替え、奪三振を量産する剛腕投手に成長。1995年、1997年、2001年とヤクルトの、2008年には西武の日本一にも貢献し、メジャーリーグでも活躍した。
▼吉川光夫(日本ハム)
2007年日本シリーズ vs.中日
2試合登板(1先発)0勝1敗 防御率3.00
最後に挙げるのが2007年の吉川。制球難が不安視されるなかで金村暁、八木智哉らが故障した先発陣の穴を埋める形でローテーション入りして4勝を挙げる活躍を見せた。この意外性を買われたのか、日本シリーズでも第4戦に先発登板。初回に2点を失ったが打線の奮起で一時は同点に追いつくも、5回につかまり降板。日本シリーズでの勝利はお預けとなったが、2012年にはMVPに輝く大活躍を収め、この年のリーグ優勝に貢献した。
調べてみると、投手、野手を問わず日本シリーズに10代で出場した選手は、皆同様に以降のプロ野球人生においてチームの中心選手となっている。この前例だけを見れば、細川の将来もまた明るいといっていいだろう。シーズンは終わったばかりだが、来シーズンが早くも楽しみでならない。
福嶌弘=(ふくしま・ひろし)