コラム

オリックス・川端崇義、ファンに熱く愛された6年間

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どら増田のオリ熱魂!第22回・川端崇義


 オリックスは10月28日、川端崇義に対して戦力外通告を行ったことを発表した。長村裕之球団本部長は川端に育成打撃コーチ就任を打診していることを明らかにし、翌29日に就任(現時点では育成コーチ)が正式発表。川端は6年間のプロ野球選手生活に終止符を打った。

 2011年にドラフト8位でJR東日本からオリックスに入団した川端は、当時すでに26歳。早生まれのため、当時チームメイトだった坂口智隆(現ヤクルト)や大引啓次(現ヤクルト)らとは同学年の“オールドルーキー”だった。


ファンの心を掴んだオールドルーキー


 ドラフトは下位指名だったが、即戦力としての期待は高く、ルーキーイヤーの開幕を1軍で迎える。すぐに抹消されてしまったが、T-岡田の負傷離脱を受けて外野手不足となったチーム事情もあり、4月下旬に再昇格。すると、当時の岡田彰布監督は川端を積極的に起用するようになる。

 そして迎えた5月19日のヤクルト戦、神宮球場で行われた試合は、先制を許したオリックスが8回に追いつくも、その裏に勝ち越されてしまう。その後、李大浩の2ランでオリックスが逆転に成功したが、9回裏に追いつかれるという展開。このシーソーゲームに決着がついたのは延長11回、川端が満塁の走者を一掃する劇的なタイムリーツーベースを放ち、試合を決めた。

 当時のチームが6連敗中だったこともあり、観戦に訪れていた関東のファンには忘れられない試合となった。初めてヒーローインタビューを受ける川端に盛大な拍手と歓声が送られるとともに、この試合を機に川端ファンになったというファンも多い。

 この年の交流戦では、5月22日に京セラドームで行われた阪神戦でも活躍。メッセンジャーからレフトスタンドへプロ初となる決勝満塁ホームランを放ち、関西ファンのハートもがっちりと掴んだ。


変わらぬ想いと人気


 球団のグッズを担当している関係者に話を聞くと、年に数回購入できる定番選手以外の背番号入りハイクオリティユニフォームの注文数で、川端は上位に名を連ねていたという。その結果、2年前にはBs夏の陣(地球ユニ)で、定番選手以外に川端のユニフォームも発売されている。スタンドやキャンプでも川端のユニフォームを着用しているファンは多く、今回の戦力外通告が報じられた際にもSNS上などで惜しむ声が絶えなかった。

 2016年の夏、川端に神宮球場の話とファンの存在について尋ねた際には、「今でもあの時と気持ちは変わっていないです。グラウンドに立ったらいつでも行ける準備はしていますし、ファンの皆さんの熱さはもちろん伝わっています。僕にとってのモチベーションですね」と熱く滾る想いを口にしていた。

 川端がプロ初のサヨナラ打を放ったのはその直後、7月31日の西武戦(京セラドーム)。試合後、報道陣の前に現れた川端は喜びを噛み締めながら、「いつでも行けと言われたら行く準備はできています」と繰り返す一方で、「チームが一丸となって戦った結果がきょうに繋がった」と、チーム全体で手にした勝利であることを強調した。

 ルーキーイヤー(2012年)は125試合に出場し、打率も.266をマーク。早々にファンの心を掴んだことも影響したのか、オリジナルの応援歌も早期に作られるなど、2年目以降はさらなる飛躍が期待された。しかし2年目のシーズン(2013年)は頭部への死球が重なるなどの不運もあり、打撃不振から74試合の出場に留まってしまう。

 年々出場機会は減っていったが、福良淳一監督からの評価は高く、2016年5月11日に行われた日本ハム戦(東京ドーム)で先発出場。しかし、ダイビングキャッチの際に左手の親指を骨折してしまう。夏には復帰を果たし、前述した西武戦でサヨナラ打を放つ場面もあったが、出場試合数は28試合で打率.194と振るわなかった。


期待される新たな役割


 今季は古巣のJR東日本で小谷野栄一らと共に自主トレに励んだが、シーズンが始まるともともと抱えていた腰痛が悪化。6月14日の広島戦(マツダ)を最後に1軍の試合に出場することはなかった。

 川端の野球に対する真面目でストイックな姿勢は、指導者としての適性があると球団は判断し、育成コーチのポストを用意した。オリックスは3軍制ではないが、今季から育成も含めた選手数が増加したことで、ファームのビジターゲームの際には、遠征組と舞洲残留組に分けており、舞洲残留組は育成コーチが指導にあたっている。

 その中には、当然のことながら1軍から再調整のため降格した選手や、怪我によるリハビリ組から途中入団の外国人選手なども含まれる。「現有戦力の底上げ」を最優先課題としているオリックスにとって、川端育成コーチに対する期待は大きい。高知で行われた秋季キャンプでも早速、選手と一緒に汗を流していた。

 プロ野球界の壮絶な争いには勝ち残れなかったものの、6年間という短いキャリアでここまでファンに熱く愛された選手も珍しい。川端はユニフォームを脱ぐ決断を下したが、今度は指導者のユニフォームを身に纏い、川端のように熱く愛される選手を育成してもらいたい。

 川端の応援歌(名曲!)を引き継ぐ選手は、川端が育てた選手になることを切に願う。


取材・文/どら増田
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