コラム

松井稼頭央「平成球界を駆け抜けたスピードスター」【平成死亡遊戯】

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西武に復帰する松井稼頭央

予想外の指名


 マジで西武か…。俺の入り込む隙なんかないやろ…。

 今から25年前の93年秋、PL学園の“松井少年”は西武ライオンズからの3位指名に戸惑っていた。

 事前にスカウトから話があったのは巨人、中日、ダイエーの3球団。しかも巨人とダイエーは投手ではなく、ほとんど経験のない野手として欲しいという。まあまずはプロに入れたらいいかと思ったら、予想外の西武からの3位指名だ。

 当時の西武といえば、いわゆる黄金期の後期でリーグ4連覇中。一塁には清原和博、二塁・辻発彦、三塁・石毛宏典、そして遊撃は田辺徳雄と内野のレギュラー陣も固定されていた。果たして、自分がこの豪華メンバーの中で生き残ることができるだろうか…。


野手転向3年でレギュラー奪取、50盗塁!


 あの頃、サッカー日本代表はドーハの悲劇で初のW杯出場を逃し、野球界はFA制度元年でオレ竜・落合博満の去就に注目が集まっていた。

 街のゲームセンターでは91年の『ストリートファイターII』、93年の『バーチャファイター』らの登場をベースにした格闘ゲームブームが巻き起こり、ストIIの筐体周りを通称“ベガ立ち”と呼ばれた腕を組んで立つ男たちがぐるりと何重にも取り囲む異様な熱気に溢れていた。そんな懐かしさ漂う四半世紀前、松井稼頭央(※当時は和夫)はプロのキャリアをスタートさせたわけだ。

 背番号32の18歳は「とりあえず3年間で一軍に上がる」と心に決めるも、1年目はイースタンリーグで90試合に出場して24個ものエラーを記録。遊撃守備ではとんでもない大暴投を繰り返し、走塁も投手時代はほとんど練習していなかったため、スライディング技術は素人同然だった。

 それでも2年目、東尾修新監督にマウイキャンプに抜擢されると、谷沢健一打撃コーチのもとスイッチヒッターに取り組む。松井が凄いのは野手転向わずか3年で一軍レギュラーを掴み、96年にはフル出場で50盗塁を記録していることだ。

 秋山、石毛、工藤、辻、そして清原...。黄金時代のメンバーたちが続々とチームを去る中、世代交代の中心にいたのが75年生まれの松井稼頭央である。当時の球界全体の流れを見ても、73年生まれのイチロー、74年生まれの松井秀喜ら20代前半の新たなスター選手たちが出現。名実ともに昭和の球界に別れを告げ、平成プロ野球が始まろうとしていた時期だった。


ブレイクのキッカケは“TV出演”!?


 97年正月、当時21歳の松井に思わぬ転機が訪れる。チームメイトだった高木大成の代役として、人気テレビ番組『スポーツマンNo.1決定戦』の出演が決まったのだ。

 すると、それまで球界No.1の脚力の持ち主と言われていた飯田哲也(ヤクルト)に50メートル走で圧勝(記録は6秒07)。同じく瞬発系の種目ショットガンタッチでもぶっちぎりで優勝し、なんと総合No.1に輝いた。

 今ほどパ・リーグの露出がなかった時代。この活躍は事件と言ってもいいインパクトで、女性ファンが急増。これまでの野球選手のイメージを覆す、“アスリート系スピードスター・松井稼頭央”の名は瞬く間に全国区となった。

 本業の野球でも、あの石毛が背負った栄光の背番号7を継承。62盗塁で初タイトルを獲得すると、オールスターではスピードガンコンテストで149キロを記録してファンの度肝を抜き、古田敦也から1試合4盗塁の新記録でMVPに輝く活躍。翌98年にはチームV2の原動力となり、イチローを抑えてパ・リーグMVPを受賞。99年まで3年連続盗塁王と走りまくり、あっという間に日本球界を代表する選手へと登り詰める。

 2002年には「140試合・打率.332・36本塁打・87打点・33盗塁・OPS1.006」という凄まじい打撃成績でトリプルスリーを達成。ほかにも193安打でリーグ最多安打、NPB新記録のシーズン88長打、さらに5試合連続本塁打、2試合連続サヨナラアーチ...。秋の日米野球では日本人選手18年ぶりの1試合2本塁打でメジャーリーガーたちの度肝を抜いた。

 03年のオフにはFAとなり、その去就に大きな注目が集まったなか、ニューヨーク・メッツへ移籍。ちなみに当時は巨人入りも噂されていたが、子どもの頃から憧れていた原辰徳監督の突然の退任で選択肢から消えたという。


15年ぶりの古巣復帰


 NPB最強内野手から、日本人内野手初のメジャーリーガーへ。新天地・ニューヨークでは慣れない天然芝の守備に苦しんだものの、07年のロッキーズ時代に二塁手としてワールドシリーズ出場。アメリカで7年間プレーしたのち、11年から楽天で日本復帰した。

 楽天では、13年に球団初の日本一に貢献。15年には外野手に転向すると、40歳を迎えるシーズンでの2ケタ本塁打・2ケタ盗塁が話題となった。そして、日米通算2699安打とあらゆる体験を経て迎えた2018年、15年ぶりにテクニカルコーチ兼任で西武に復帰する。

 まだ松井がデビュー間もない若手時代、練習で誰よりも熱心に走っていたのが、当時すでに30代半ばの伊東勤だったという。10年間で9度のリーグVと常勝西武を正捕手として支えたベテランの凄み。これが一流のプロか…。その妥協を許さない背中に衝撃を受けた金髪の若者が、42歳となり古巣へと戻ってきた。今度は平成を駆け抜けた松井稼頭央が、あの頃の伊東の役割をする順番だ。

 平成30年。時代が代わり、野球界も変わった。それでも、今も「西武黄金時代の系譜」は脈々と受け継がれているのである。


文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)

(参考資料)
『メジャー最終兵器−わが決断−』(松井稼頭央/双葉社)
『3000安打の向こう側』(松井稼頭央/ベースボール・マガジン社)



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