20勝、沢村賞、雑草魂…
「平成の巨人のエース」と言えば、誰の名前が思い浮かぶだろうか?
斎藤雅樹、桑田真澄、内海哲也、現代の菅野智之…と世代によって挙がる名前は異なるが、やはり90年代末から2000年代前半の「上原浩治」と答えるファンも多いだろう。
最近、その去就が注目される上原だが、数字だけを見たら最後の2ケタ勝利は04年の13勝、07年にはクローザーとして32セーブを挙げているものの、巨人在籍時後半は故障に苦しんだ。それでも、“絶対的エース上原”のイメージが強いのはデビューした1999年のあの大活躍の印象があまりに強烈だったからだと思う。
セ・パ両リーグの最多勝がともに新人投手で、松坂大輔(西武)と上原浩治(巨人)が「リベンジ」と「雑草魂」でそれぞれ流行語大賞を獲得したのが、今から19年前の99年(平成11年)シーズンの出来事だ。
ちなみに、音楽界では99年3月発売の宇多田ヒカルのファーストアルバム『First Love』が年間800万枚以上売れる大ヒットを記録し、この年から逸材・後藤真希が加わったモーニング娘。の代表曲『LOVEマシーン』が世紀末の日本中のカラオケボックスで歌われまくった。いわば21世紀を目前に各業界とも新たな若い才能を欲していたのである。
当時の巨人投手事情はというと、90年代を支えた斎藤・桑田・槙原の三本柱がそれぞれ年齢的に衰え、次世代のローテの柱となれる選手を求めていた。そこで逆指名ドラフト真っ只中、巨人が狙ったのがアマ球界No.1投手と称された大阪体育大の上原である。
東海大付属仰星高時代は建山義紀(元日本ハム)の控え投手で、さらに体育教師を目指すための大学受験にも失敗してしまう。浪人生・上原は予備校では格好付けずにレベルが最も低いクラスを選択し、朝9時から午後4時までがっつり勉強する日々。90年代中盤、同学年の高橋由伸(慶応大)や川上憲伸(明治大)らが神宮球場で華々しい活躍をしている頃、受験勉強に励みながら週3度の筋トレと月1度だけのおじさん達の草野球に混じらせてもらう生活を送っていた。
無事、大阪体育大に合格した後はアルバイトに燃え、工事現場で大声を上げて誘導していたら、社長から可愛がられ晩ご飯にも誘われたという。これらの経験がのちに“雑草魂”と呼ばれる原点となり、プロ入り後も何者でもなかった浪人時代の19歳の気持ちを忘れないために背番号19を背負うことになる。
そんなゴールデンルーキーは、99年開幕3戦目の阪神戦(東京ドーム)にプロ初先発すると、6回2/3を投げて4安打4失点で敗戦投手に。5月下旬まで最下位に沈むチームで7試合4勝3敗、防御率2.05とまずまずの成績だったが、5月30日阪神戦から9月21日阪神戦まで驚異の15連勝を記録。毎週日曜日に投げる“サンデー上原”は、チームを2位に押し上げる原動力となり、最終的に20勝4敗、防御率2.09、179奪三振という驚異的な数字を残し、最多勝、防御率、最多奪三振、最高勝率、新人王、そして沢村賞とあらゆるタイトルを独占してみせた。
異質で異端…入団時から規格外
この年の上原を語る上で外せないのは、やはり10月5日ヤクルト戦(神宮球場)での“涙のペタジーニ敬遠事件”だろう。7回裏、チームメイトの松井秀喜と僅差の本塁打王争いをしていたペタジーニに対して巨人ベンチは敬遠を指示。その直前の6回表に1本差で追う松井が勝負を避けられ四球で歩かされていたこともあり、これもシーズン終盤のよくある四球合戦の風景…と思いきや、マウンド上の上原は外角に大きく外す一球を投じた直後にマウンドを蹴り上げ、涙を流したのだ。
当時のテレビ中継ではその表情をアップで映し、「汗と涙が混じっています」なんて実況アナの声も確認できる。俺なら抑えてみせる、なぜ信用してくれないんや…と言わんばかりの涙の抗議。一歩間違えばチームの戦術批判とも受け取れる行動だが、嫌なものは嫌だと自分の感情をハッキリと示す上原らしいシーンだった。
今振り返ると、入団時から規格外の選手だ。
江川卓や桑田真澄にしても、昭和の時代から多くのアマ球界の大物投手たちは死にたいくらいに憧れた巨人入りをするためにドラフトで大きな騒動を起こしていたが、上原は当時のスポーツニュースで最後の最後までアナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス)との二択に悩む心境を吐露しており、もしかしたら巨人の先にメジャーリーグという目標があると公然と口にした最初の選手がこの男だったのかもしれない。代理人交渉、ポスティング直訴、これまでの球団の慣習に縛られないゴーイングマイウェイのスタンスは異質であり、異端だった。
4月で43歳になるベテラン右腕の去就はまだ未確定だが、「メジャー以外なら引退」を撤回して10年ぶりの日本球界復帰の可能性も出てきている。
平成はもうすぐ終わり、日本ハムの清宮幸太郎のように高校生ドラ1選手でも将来の夢はメジャーと笑顔で公言する時代、もう選手を出さない努力よりも、戻すルートの確立の方が現実的なNPB球団の生き残る道だろう。
巨人にとって、今回の上原の件はそのきっかけになればいいと個人的には思う。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)
【参考資料】
週刊プロ野球セ・パ誕生60年 1999年(ベースボール・マガジン社)
『闘志力 人間「上原浩治」から何を学ぶのか』(創英社/三省堂書店)