2018.04.30 14:00 | ||||
中日ドラゴンズ | 3 | 終了 | 1 | 横浜DeNAベイスターズ |
ナゴヤドーム |
白球つれづれ2018~第9回・松坂大輔のセルフリベンジ
37歳のベテラン投手が万感の思いを込めて、こう語る。
「僕って、往生際が悪いんです」
かつては“平成の怪物”と恐れられた中日・松坂大輔が4月30日の横浜DeNAベイスターズ戦(ナゴヤドーム)で勝利をつかんだ。国内に限れば2006年9月のソフトバンク戦以来、実に4241日ぶりだという。
横浜高時代には甲子園でノーヒットノーランの快投で全国制覇。西武入団後は新人からいきなり3年連続最多勝。メジャーの門を叩いてからもレッドソックスでワールドチャンピオン。さらにWBCの日本代表エースとして2大会連続のMVPと、その戦歴は眩しいほどの勲章に彩られてきた。だが、快刀乱麻の代償は自らの右腕の故障につながっていった。
長く暗いトンネルの先に
2011年の右ひじ手術から復活を期すも、本来の投球が戻らないばかりか、更なる肩の痛みに襲われる。メジャーでのトレード、2015年にはソフトバンクホークスの熱心な誘いに国内復帰を果たすが、満足な投球すら出来ずに3年間で一軍登板はわずかに1試合。4億円の年俸をもらいながら戦力にすらなれない。月給泥棒という辛辣な批判まで飛び交う惨状に、博多の街を出歩くのもためらわれた。
引退か?現役続行か?昨年オフ、ソフトバンクからコーチ兼任でリハビリを続けては?という打診を受けたが、これを断り投手としての活路を求めた。
「このまま辞めて、自分は後悔しないのか?ボロボロになるまで野球をやりたい。僕って往生際が悪いんです」
最悪の場合は米国独立リーグでの挑戦や野球浪人まで覚悟したが、今年の1月になって中日が獲得に名乗り。西武時代のコーチでもあった監督・森繁和の存在が大きかった。
復活へ向けた長く暗いトンネルの日々。全国の病院や治療院を訪ね歩き、その数は40か所近くに上った。ようやく、光が差したのは昨年の秋ごろ。東海地方のある先生を訪ねて施術を行ったところ「肩がはまった」という。松坂は本年2月のスポーツニッポン紙上で西武の恩師でもあった東尾修と対談。その中で右肩痛の原因を「様々な検査をする中で、肩の中の方に傷があるのがわかった。中の筋肉が肉離れしていました」と明かしている。その奥深い部分の肉離れが奇跡的に快方に向かい出したのだ。
新たな松坂大輔
キャッチボールから、ここ数年にはない感触を得て、臨んだ今シーズン。もちろん、かつてのような剛速球が投げられるわけでもない。高速スライダーもない。どこに活路を見出すか、と言えば技巧派への転身しかない。それはかつての稲尾和久(西鉄)や江夏豊(阪神、広島など)らの大投手も晩年にたどった道である。
ストレート回転から微妙にボールが動くカットボールや打者のタイミングを外すチェンジアップ。威圧感はなくても「ニュー松坂」ならではの投球術。何よりマウンドで100球を超すピッチングが出来ること自体がうれしい。
今季3度目の先発となったDeNA戦。6回を3安打1失点と数字上は勝利投手に相応しいが、内実は7四球など毎回のように塁上に走者を背負うハラハラドキドキの内容。それでも驚くべきは5回二死満塁の場面だ。宮崎敏郎には押し出しの四球で1点を失うがこれも危機管理のひとつと試合後に明かした。
「甘くいって長打を打たれるよりは、最悪、押し出しでもいい」そこまでの打席で2安打されている宮崎より、抑えている梶谷隆幸との勝負を選択して一ゴロに仕留めた。この辺りは百戦錬磨の勝負師ならではの芸当である。
「高校、プロ、メジャー、WBCで頂点に立った男がもがき苦しみながら、泥まみれでやっている。たくさん格好いいところは見ているので、これからはボロボロでも勝てる投手になって欲しい」と横浜高時代の監督・渡辺元智が今後の松坂にエールを送っている。
この日のナゴヤドームには3万6000人を超す今季最多のファンが詰めかけた。さらに松坂のピンチの場面では激励の拍手が鳴りやまなかった。こんな光景は初めてのことだという。松坂の執念や必死さがファンのハートを射止めているからだ。投球にかつての面影はなくても、試合後に見せた笑顔は高校時代と変わらない。ドラマと人間性。松坂大輔が長く愛される理由がそこにある。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)