コラム 2018.05.11. 11:35

“転職”をプラスに変えた男…榎田大樹がつかんだ先発の椅子

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新天地でチャンスを掴んだ榎田大樹 [写真=阿佐智]

野球界もひとつの人間社会


 人々はなぜ、プロ野球に魅せられるのだろう――。

 野球は“人間臭いスポーツ”だと私は思う。チームスポーツでありながら、その本質は打者と投手の一騎打ちだ。1番から9番、それにベンチのメンバーまでそれぞれ役割が決められ、その役割を全うすることが求められる。なんだか、サラリーマン社会の映し絵のような感じがある。

 しかし、サラリーマン社会と違うのは、そこが実力第一主義とみなされていることだろう。学校では「みんな平等」と教えられながら、実社会は不平等、理不尽なことばかりだ。努力や実力だけではどうにもならないことの方が、むしろ多いかもしれない。

 知人のエリートサラリーマンがこんなことを言っていた。

 「会社で上に行くには、努力や業績だけではどうにもならないことがありますよ。自分がついた上司がさらに上に行き、それにつられて自分もってケースがほとんどです。やっぱり運は大きいですね」

 その「そこそこ」の出世を果たした彼も、本当のトップには登り詰めず、定年まで10数年を残して出向の道を歩むことになると言う。

 世のサラリーマンは、そんな世界に身を置きながら、自分が身を置くことができなかった実力主義の世界に生きるプロ野球選手たちに何かを託しているのかもしれない。


 しかし、実際はプロ野球の世界もひとつの人間社会だ。

 あるプロ野球OBは、“採用”にコネが絡んでくることを否定しない。実力がなければ始まらないことは言うまでもないが、支配下登録枠から一軍ベンチ入り枠、9つのポジションなどに絡む“人事”には、サラリーマン社会と同様の人間臭さが絡んでくるのだという。

 すべての選手に同じようにチャンスが巡ってくるわけではない。当然のことながら、ドラフト上位と育成選手では、与えられる実戦の機会も異なる。しかし、それは当たり前のことで、より失敗の確立の少ない方を起用するのが合理的と言うものだ。人間社会ではしばしば、成功よりも失敗した時の対処法に重きを置かねばならない場合がある。いわゆるリスク管理。それは全体としても、個人としてもすべきこともでもある。

 まさにサラリーマンの論理だが、実際のところ野球界も大差ない。キャンプでいくらドラフト下位の選手が良くても、本番が始まればまずはドラフト上位や、FA選手にチャンスを与える。失敗したときの言い訳にしやすいからだ。やはり、どの世界もチャンスは平等というわけにはいかない。


榎田大樹という男


 そういう意味では、この記事の主人公である榎田大樹は、プロの世界で恵まれたスタートを切ったはずだ。

 2010年秋の阪神タイガースのドラフト1位。それも東京ガスという大企業からの入団。大企業の実業団チームからのドラフト指名は、ある種の企業間の“引き抜き”という側面もあるため、そういう選手を球団は邪険に扱えない。実際、過去には球団と親会社で定年までの“終身雇用”を約束したうえで入団にこぎつけた例もあるのだという。

 少なくとも榎田は、自らの実力を発揮できる場をどの選手よりも多く与えられたはずだ。そして、その与えられた機会に、彼はしっかりと実績を残した。2年目までにリリーフ投手として110試合に登板。計54ホールドを挙げ、セットアッパーという椅子を自分のものにした。

 しかし、2年目に彼を襲った肘の故障が、その椅子を奪ってしまう。手術の後、肘の方は次第に問題なくなっていったが、彼が故障をしている間に新たな投手が彼の座っていた椅子を自分のものにしていた。そして、ケガが治ったと言っても、その椅子を譲ってもらえるほどプロ野球の世界は甘くない。

 気がつけば、榎田はチャンスをなかなか与えてもらえない側の選手となっていた。体の調子が良いからと言ってマウンドにあげてもらえるというわけではなく、たまに巡ってきたチャンスに打たれてしまうと、「あぁ、やっぱり」とばかりにファーム行きを告げられるようになった。つまり、榎田の名前では、監督にとっても、コーチにとっても、失敗したときの言い訳がしにくくなっていたのだ。

 こういう状況になると、サラリーマン世界で言う“出世コース”からは完全に外れたことになる。ただし、サラリーマンの場合はなんとか定年まで会社にしがみつくこともできなくはないが、プロ野球の世界では職を失うことになってしまう。

 会社にしがみつくことを是としないサラリーマンには転職という手段もあるが、年齢が行けば行くほど転職のリスクは高くなり、条件も悪くなっていく。プロ野球選手のトレードにも似たようなところがあって、ベテランと呼ばれるようになってからのトレードで花開く者は決して多くない。むしろ移籍先でひっそりと現役生活を終えるというのがひとつのパターンでもある。

 しかし、榎田のケースはこれとは違った。キャンプ中の緊急トレードというかたちの西武への移籍が、急ぎの戦力補強という意味合いが強いことは誰の目にも明らかだった。


先発という新たな椅子


 移籍のいいところは、それまでついた色を落とせることにある。それゆえ、サラリーマンも心機一転、転職の道を選んだりするのだが、榎田の場合も、阪神時代に先発も経験はしていたが、ベンチからは“リリーフ”という色をつけられていた。そして、そのリリーフでさえここ数年目立った成績を上げていなかったので、ましてや先発など…という風に思われていただろう。

 西武の弱点が投手陣、とくに先発陣にあったことは誰の目にも明らかだった。打線は見てのとおりの強力打線である。まっさらの状態で榎田をみた西武の首脳陣は、先発の椅子を彼に与えてみることにした。するとこれが見事にハマり、彼は移籍後初先発で見事勝利を収める。

 ゴールデンウィークの最終日、西武の先発マウンドに立ったのが榎田だった。楽天打線を6回無失点に封じこめる好投で3勝目。残念ながら、彼と言葉を交わせたのはゲーム直前、外野フィールドでのキャッチボール前にあいさつ程度のものだったが、彼は「ぼちぼちです」という関西ではよく使う表現で、先発という“転職先”での役割を表現してくれた。

 この試合、連敗中で元気のない楽天打線をまさに手玉に取った。落ちるボールに相手打者のバットがくるくる回る。決して速球派というわけではない榎田だが、6イニングで実に7個の三振を奪った。三振に打ち取られたバッターたちは、それを受け入れられないというもどかしそうな表情を浮かべて、バッターボックスから後ろ髪ひかれるようにベンチに戻っていく。

 シーズン当初は谷間の扱いだったが、3度の先発すべてでクオリティ・スタートを達成。3勝を挙げた。そして榎田が3勝目を挙げたこの日、左腕エース・菊池雄星が肩の不調のため登録抹消になる。榎田が新天地で掴んだ先発の椅子は、男の指定席となっていくに違いない。


文=阿佐智(あさ・さとし)

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